第16話 最終章・寂しくないように



 日本のある地方都市にある、昭和に建てられた築50年の分譲団地「北園和団地」この夏一気に日本一有名な団地となった。

『殺戮団地』


 若い女が鍬を振るい、夫を初めとする団地住人18人を殺し、その後に自宅から飛び降り自殺をしたのだ。

 被疑者死亡で幕を閉じた、この残虐な大量殺人のニュースは国内外を揺るがせた。


 事件の発端になった詐欺犯罪。

 自己啓発セミナーと投資信託詐欺を合わせ持った手で、人々から投資金やセミナーの金を騙し取った「飛翔会」この事件も大きく報道された。 

現在、被害者の会があちこちで結成されて、主犯である天馬翔元会長こと柴田知良を相手取り、投資金の返還や賠償金などの裁判を起こす動きがみられている。


――いつだったか、レモンバームと一緒に植えたトマトは、もう赤い実をつけ終えて、茶色の葉っぱに覆われている。

 レモンバームの葉も黄色い。

 恵は、自分の家庭菜園の前に立っていた。


ようやく外に出られる日常が戻ってきたことに、ほっとする。

『団地住民大量虐殺』この事件によって、団地に関わる全てが大嵐に巻き込まれた。

 マスコミと野次馬の大軍が押し寄せ、記者や作家だとか名乗るものが、取材と言いながら周辺を歩き回って無遠慮に住民に接近し、通報したりされたりと、一種無法地帯だった。


おかげで警察のパトロールが増えて、騒々しいこと極まりなかった。

 テレビをつけたら、必ず北園和団地が出て来た。

レポーターが団地を語り、コメンテーターが団地を語り、キャスターが詐欺と猟奇にねじれた事件の憶測をして、精神科医が宇野裕香の心理状態を分析した。


死体を玩具にされた白石の事件も、当然事件の添え物にされた。

どこを切っても出てくる自分の住処の映像に、恵はしばらくニュースもネットも見たくなかった。学校では事件の事で生徒たちに質問攻めに合い、職員室では会議にかけられ、スクールカウンセラーに追い回された。


 あまりの騒ぎに恵を心配した父は、何度も引っ越しを口にしたが、恵はそれを押し留めた。

 母の思い出がここに詰まっている。

 大変だからこそ、ここから動きたくない。

 そして。


「めっぐむちゃん」


 嬉しくなって、恵は振り向いた。

 淑子と鈴音が立っている。


「何だか、この顔ぶれで揃うのがすごく懐かしいわね」


 淑子が笑った。


「徒歩2分圏内に住んでいるのに、それが許されない状況でしたからね」


 鈴音が大きくため息をついた。


「もう、世界が変わるってこの事をいうのかと……」


 恵は事件の関係者とはいえ、未成年という事で好奇の目からある程度守られたが、淑子と鈴音は、大嵐に翻弄されるボートに乗った気分、いつ止まるのか、終点の見えないジェットコースターに乗せられた気分だったという。


「でも、ゴローさんがすっ飛んで帰って来てくれたし」


 鈴音が身をくねらせた。


「上司がこのためにゴローさんに休暇をくれたそうだから、会社に火を点けるの、今は勘弁してやることにしました」

「ずっと勘弁してあげなさい」


 やれやれといった風情の淑子。

 自治会役員の中で難を逃れた二人は今、『北園和団地自治会』会長と副会長になってしまった。


「あの日、事件に居合わせた人の心の後遺症とか、投資詐欺の被害者とか、色々と事件の名残が残っているからね。あの自治会のようにとは言わないけど、団地にはやっぱり皆で相談し合うとか、情報交換する場所が今後も何かしら必要なのよね」


 自治会はもう要らない、そう思ったこともあるけれど、どんな形にしろ、集団とは人が生きていくための一つの形態ではある。

だけどこの二人が会を仕切るのなら、少なくとも会議に無駄はない。


「今後の方向性として、住民のためにとか、生活ルールを守らせるとか、そんな御大層なことはもう無しで行こうと思うの。皆の日常を『目に入れとく』くらいで干渉はしない。でも無関心じゃない、くらいで」


淑子が空を見た。


「ま、誰かに寂しいと思わせない程度にね」


 淑子が誰を見ているのか、誰を想っているのか。

 恵も青い空を見上げた。


「あの人、お母さんに会えたかな」


 淑子と自分を殺そうとした宇野裕香を、阿川千鶴子は止めてくれた。

あれは助けてくれたのか、それとも連れて行く相手に裕香を選んだのか。

それは恵には分からない。

 だが、阿川千鶴子は淑子が好きだった。これは間違いない。


――お母さん、私も、このおばさんが大好きです。

 あの日、私がおばさんを守れたのかどうかは分からないけれど、お母さんのおかげで臆病者にはならなかった。

 でもさ、見ていてくれているのなら、そうと言って欲しいんだけど。


 お父さんの夢の中には、時々出てきているくせに。


「あ、そうだ、お義母さん。直に会って話したいことがあったんです」


 鈴音が言った。


「あの日ですけど、私、お義父さんにお会いしましたよ」

「……らしいわね」


むっつりと淑子は言った。


「あなたたちと一緒に、怪我した人を応急処置してくれたんですってね。救急車呼んだのがあの人だというのを、ずっと仏壇に置いてあるはずの、形見のガラケーの通話記録で知りましたよ」


「お仏壇の写真でしかお会いしたことなかったので、すぐには気が付かなかったんです。何だかゴローさんっぽくて、ステキな男性だったと思っていたら、お義父さんでした」

「あの人ってば、私の前には全然顔を出さないくせに……ムカつく」


 淑子は大きく息を吐いた。


「まあ良いわ。どうせいずれは会えるんだから」


 そして、そのまま押し黙る。

 淑子が沈んだ理由が、恵には手に取るように分かる。

 宇野高之は、どうしているのか。


マスコミによって、宇野家の中は全てぶちまけられ、腑分けされて、大衆の好奇心の供物に捧げられた。

不倫による略奪結婚で作った家庭、その後の事業失敗、そして悪徳セミナーに投資信託詐欺と、欲望と金の泥にまみれた荒んだ家庭は、以前高之に聞かされていたとはいえ、恵にとって目を背けたくなるほど生々しく、頭が重くなるものだった。


しかも、最後に高之の父は継母に首を切断され、殺された。

父の詐欺被害者たち、団地住民合わせて18人を、次々と鍬で殴り殺したのは継母だ。

 親と子供は別人格だ。

 関係ないと言いたいが、親子は地続きでつながっている。今後の生活から、人生から簡単に切り離せない。


 事件後、高之がどうしているのか気になっていたが、メールアドレスも知らない。

訪問なんて出来ない。

 そうしている内に、高之は消えていた。最後の別れさえなかった。

 何もしてあげられなかった。


そのまま、高之とあっけなく糸が切れてしまった事を、恵は後悔している。

 高之と母親は縁が切れている。

 母方も父方も、祖父母は高齢で余裕も無いので、父親方の親戚の家に身を寄せていると警察の人が教えてくれたが、今はどうしているのだろう。


 淑子も、高之のメールアドレスや携帯番号を知らない。

家に呼ぶようになった時に、自分の番号を教えるのも、高之から番号を聞くのも、今はまだ押しつけがましいと思い、バイトも口約束だけだったという。

今はそれを悔やんでいるようだ。


「高之の事なんですけど」


 鈴音が切り出しに、恵は頭を上げた。

 淑子が目を丸くして鈴音を見つめている。


「事件の事情聴取とか色々あった時に、一度アイツと警察署ですれ違ったんです」

「……」

「私のメアド書いたメモを、ポケットに突っ込んでやりました」


 思わず、淑子と恵は顔を見合わせた。


「またプチ通り魔をしたくなったら、その前に連絡寄越せってね」


 思わず、淑子と一緒になって鈴音に抱きついた。


「鈴音さん、大好き!」

「でかした! 鈴音さん!」


二人分の体重を受け止めて、鈴音が「わわ」と慌てたが、恵は嬉しくてたまらない。

 3人で楽しくもつれ合っている内に、淑子がふと思い出したように言った。


「ああ、そうそう。あの集会所だけど、古い方の物置も一緒に、いったん取り壊して立て直すそうよ。それで管理会社の人が私と鈴音さんに、工事の話をしたいって言って来られたんだけどね、久代さん抜きで良いのかなって」


 ふうん、と鈴音が口を曲げた。


「確かに、自治会そのものは残っているわけですから、まあ……あのジジイは一応、役員ではあるしな。でもあの人、家出したそうでしょ? どこに消えたんです?」

「奥様も、ご存じないそうよ」


「ふーん、じゃあ、今は抜きで良いでしょ」


 鈴音は言った。


「そのうち、帰ってくるんじゃないですか?」



              ※


 家の近所には、川が流れている。

 土手から見える、広くて緩やかな水の流れは、北園和団地の傍にあった川の風景に似ていた。世話になっている親戚の家まで少し遠回りになるが、高之は学校の帰りに毎日ここに立ち寄り、少しだけ休んでいく。


 親戚は、夫婦で焼鳥屋を営んでいる。

 店の手伝いと引き換えに、高校まで出してもらえることになった。住み込みの従業員みたいなものだろう。


 それでも有難い話だった。屋根と壁、そして布団と食事もついているのだ。世話になっている夫婦は2人共50代で、子供はいない。事件の事は承知しているが、全く口に出さない。

新しい高校生活は慣れた。友達はいない。


ただ、学校で置物のように身を置くことに慣れただけだ。

『宇野』から苗字を変えたので、父と継母が起こした事件と、自分を結びつける人間はまだいないが、それでも高之は人に近づくのが怖い。


ネットで顔も拡散しているし、知人続きもある。

いつかは誰かに気が付かれるだろう。

父親は近所の老人たちを騙した詐欺師だと、継母は大量殺人者だと、暗く凄惨な背景を知られた瞬間に、周囲の目と扱いがどう変わるか、目に見えていた。


 川を見ていると、北園和団地で過ごした、四号棟のあの部屋が浮かぶ。

 古さも間取りも家と同じだった。だがあの部屋は清潔で穏やかだった。

 力仕事や電球の取替をした後、淑子はいつも食事やおやつを出してくれて、高之の話を聞いてくれた。高之の話にただ優しく頷き、励ましてくれた。


 高之にとって、あの部屋は聖域だった。雪村淑子は心の拠りどころだった。

 だから、別れを言えなかった。

 重い背景を背負う自分には、もうあの3人に会う資格がないと思ったからだ。

淑子も、鈴音も、そして恵も、高之にとって眩しすぎた。


 制服のポケットの中に、涼音がくれたメモがある。

 このメアドは、あの3人が高之を受け入れてくれたことの証だった。

嬉しいはずなのに、連絡する勇気が出ない。どうしても踏み出せない。

だけど寂しい。ひどく寂しい。


――どうしたの?


 横から声をかけられ、高之は驚いた。

 立っていたのは、自分と同じくらいの年齢の少女だった。

 いつの間にいたのか、気が付かなかった。


 同じ高校の制服ではない。しかもこの半袖の季節にブレザーの上着を着ている。

 少女は微笑む。

 初対面だというのに、慈愛すら感じる笑顔に驚いて、高之は無意識にポケットに手を入れる。


 メモがお守りのように、その手に触れた。

                             了


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殺戮団地 洞見多琴果 @horamita-kotoka

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