第5章 どうにも壁が硬かった

どうにも壁が硬かった (1)

 レイブルノウ王国はまたも陥落の窮地から免れた。

 西の空から上った太陽は、あとほんの数刻で東の果てに沈むことになる。夕焼け空が風車塔をオレンジ色に彩り、長く伸びた影が王都の領内に落ちていく。だが、その数はこの数日でずいぶんと数を減らし、残った数本が仲間を失った寂しさを紛らわすように、ゆったりとその役目に没頭していた。

 ボルヘイムとの取り引きは思わぬ方向へと転がった。本来ならば例の少年と魔法使いの少女を引き渡して終わるはずだった。すべてが終わるはずだった。

 しかし現実はまたも国民たちの期待を大いに裏切る。果たしてこの結果は成功なのか失敗なのか、国の重役たちは非常に判断に困った。


「春賀、紹介するよ」


 再び地下牢に逆戻りした春賀に、隣の房から声が掛かる。その主は竜騎士として恐れられるボルヘイムの刺客。そして、このネイバース世界で春賀と奇跡の再会を果たした幼馴染の奏多だ。鎧を脱いだ今の彼は、竜騎士時の殺伐とした雰囲気はない。

 奏多は春賀との暑苦しい抱擁の後、親友の身を案じてレイブルノウ王国に投降した。処遇は捕虜扱いでの投獄と随分ぬるいが、彼に何かあれば今度こそドラゴンが本気で国を潰しにくることを考えると、王国側もそれなりの扱いをせざるを得なかった。


「娘のグリシナだ」

「むすめって・・・奏多君の子供!?」


 春賀が驚くのも無理はない。諸々の事情で奏多との年齢差が倍近くになったことにもびっくりしたのに、まさか子供までいたとは。


「グリシナです。どうぞお見知りおきを」


 正面の牢で姿勢よく正座していたグリシナは、スっと両手をついて腰を折った。日本人である奏多の教育なのか、その所作にどことなく和を感じさせた。


「先は竜騎士様のご友人とは知らず、無礼をいたしました。どうかお許しを」

「そんな、別に・・・ああっ頭を上げてください!」

「いえ、お許しの言葉を頂くまでは」

「そんなぁ~」

「わはは。誰に似たのかこいつは堅物でな。こうと決めたらテコでも動かないんだ」

「ええ~」

「てきとーに許すって言っとけ。とりあえずそれで満足するから」

「そ、そう? じゃあ、許しますぅ」

「ありがとうございます」


 じー・・・・。


 なんか春賀を見ている。キリっとした吊り目なのでちょっと怖い。


「それにしても、あんなでかい風呂に入ったのは久しぶりだな」


 奏多が言っているのは、ネイゴルニーヤ城の大浴場のことだ。


「アジトにも風呂はあったが、やっぱり日本人だからな。ああいうでかい風呂ってのは格別だ。久しぶりに春賀と男同士の裸の付き合いができたしな」


 キッ!


 グリシナの目が急にきつくなった。


「お前ちゃんと鍛えてるか? ひょろひょろじゃないか」

「奏多君はムキムキだね」


 キッ!!


 また睨んできた。


(・・・ま、まあいいか)


 春賀は気にしないことにした。


「で、どうだ春賀? グリシナを彼女にとか?」

「ええっ!?」

「親の贔屓目でも結構可愛いと思うんだけどな」

「冗談ではありません! いくら貴方様の提案でも、こんな軟弱でへっぽこな男とイチャイチャするくらいなら私は切腹します!」

「何も言い返せない・・・でもまあ、グリシナちゃんは奏多君のことが大好きみたいだし」

「んなっ!?」

「んー、でもさすがにお父さんをそういう目で見るのはどうかと・・・」

「なっ、なっ・・・(わなわな)」

「すごいだろ。春賀は昔から不思議とカンがいいんだ。で、そういう目ってなんだ?」


 奏多は鈍感だった。


「ま、彼女云々は本人の自由意思に任せるとして。でも親友と自分の娘がくっつくってのも、親としては面白いんだけどな。グリシナももうすぐ一四で歳も近いし」


 すると奏多は言葉を切った。

 房の中を移動し、こちら側の壁にもたれかかったのが気配でわかった。


「春賀、お前今何歳だ?」

「? 一五だけど」

「そうか。ということは、俺たちと別れて三年ぐらいか・・・」


 暫し間が開いた。石壁の向こうから、タイミングを図るような空気が漂ってくる。


「・・・何かあったのか? その、向こうの世界で」


 奏多はずっと気掛かりだった。対峙した時、春賀が言っていた言葉の意味が。


「別にたいしたことじゃないよぅ」


 春賀は気の抜けた感じで、あははと笑う。奏多にはその笑い声が、とても遠い。背にしている石壁よりも分厚い壁のように思えた。


「奏多君?  どうしたの? 泣いてるの?」

「ずびび・・・俺は情けないよ。親友のお前に、何もしてやれない自分が・・・いやいいんだ! 無理に話さなくていい!」


 石の壁が、ドンと鳴った。奏多が拳をぶつけた音だった。


「この壁が憎い。できるならぶっ壊して、お前を抱きしめてやりてぇ・・・」

「だめだよそんなの! 怒られちゃうよ!」

「うおおおおはるかああああああああうおおおおおおおっ!」


 ドーン!


 奏多が壁にぶつかった。


「もう、奏多君は相変わらずだなぁ」


 春賀はまた、あははと笑った。

 笑いながら、随分と歳の離れてしまった幼馴染を尊敬した。

 彼はこの世界で想像を絶する過酷な人生を歩んできたはずなのに。

 それでも人の心を失わなかったことを。

 すごい。本当に奏多君は、すごいよ・・・・・。


「すまん、取り乱した。でも、どんな形でもお前と再会できて、俺は嬉しいぞ!」

「僕は・・・・・」


 できれば会いたくなかったな。


 ★


「・・・そうか。それがお前がこの世界で、本当にやりたことなんだな」


 春賀は語った。世界を超え、時間を超え、奇跡的に再会を果たした幼馴染に、この世界で自分が成すべきことを。嘘偽りなく話した。

 自分はフィアーナの〝助けて〟に応えたい。ただそれだけだと。


「・・・わかったよ」


 奏多はもたれていた壁から離れ、ベッドに寝転がった。


「俺ももう復讐だなんだってのはどうでもいいと思ってる身だ。止めはしない」

「竜騎士様・・・」

「いいんだよグリシナ。お前にも早いとこ手を引かせたかったしな。これは先に元の世界へ帰った人たちも同じ気持ちだ。お前は俺たちの大切な娘だからな」


 奏多は天井の暗がりを見つめる。その目には、この世界での楽しかった日々だけが映っていた。そしてそこには必ずグリシナの姿があった。まだ赤子だった彼女を拾い、名を与え、触れ合った時間。その幸せな時間のおかげで、荒んでいた地球人たちの心は次第に安らぎと平穏を取り戻していった。


「お前もこの国に思うところはあるだろう。忘れろとも、俺たちみたいに捨てろとも言わない。だが俺たちが願うことは、お前の幸せだけだよ」


 奏多は彼女の親の一人として、その思いを語った。血の繋がりのない、生まれた世界も違うたった一人の我が子に、たっぷりの愛情を込めて。


「・・・・・少し、考えさせて」


 俯き、前髪で顔を隠したグリシナに、奏多は「ああ」と短く答えた。

 大丈夫。俺たちの娘はきっと大丈夫だ。そう祈りながら、ごろんと寝返りを打った。


「すごい奏多君。立派なお父さんだ」

「へへ、まあな。そうだ春賀」

「なに?」

「実はこの国の連中が勘違いしていることがいくつかあってな・・・」

「お? このタイミング?」


 変なおっさんの声がした。


「おいーっす」


 〇カ殿(シムケン王)がノコノコ現れた。


 ★


「そんな顔すんなよー、傷つくだろー」


 シムケン王は顔をしかめる奏多の視線をリンボーダンスで躱し、牢屋の鍵を開けた。


「・・・どういうつもりだ」

「どうもこうもねーべ。お前さんをここに入れてたのは民らに納得させるためであって、それ以外の理由なんてねーもん」

「今俺がお前を殴り殺すとは思わないのか?」

「んなめんどっちーことを。やってんならとっくにドラゴンで城ごとペチャンじゃん? そうしねーんなら大丈夫っしょ」


 シムケン王が扇子で指した場所には、奏多たちの装備があった。


「これから話を聞こうってのに、取り上げたままじゃ悪いしねー」

「・・・・・・・・・まあいい」


 奏多は諦めたように息を吐いた。正直そんなもんより気になることがある。


「なんで全裸なんだよ」


 シムケン王はなぜか裸だった。パンツも履いていない。


「これがワシの精一杯の誠意だ。さあ、お互い身も心もすべて曝け出そうではないか」

「近寄るな! ぶらぶらさせるな!」

「怖がることはない。生まれたときは皆裸なのだ」


 キメ顔だった。


「それにワシも男同士の裸の付き合いとかしてみてーじゃん」

「・・・盗み聞きとはな」

「壁に耳ありショウジに目あり、とはそっちの言葉だしょ?」

「お父様!」


 サリアリットが走ってきた。綺麗な右ストレートをかました。


「おっぱおん!」


 バ〇殿はぶっ飛んだ。


「申し訳ありません竜騎士様! 本当にあの人はいつもふざけて!」


 サリアリットはペコペコ頭を下げる。グラマラスな胸元が無自覚に弾んだ。グリシナが牢から飛び出し、すごい剣幕でサリアリットに掴みかかった。


「おいいいこのクソアマあ! 私の竜騎士様に色目使ってんじゃねええええっ!」

「なっなんですか貴方は!? い、色目など使っていませんわ! それに、わたくしには別の殿方が・・・チラッ(春賀の方を見る)」

「うるせええええ! 竜騎士様は私のパパなんだよおおっ! パパのすべては娘である私のものおおお! 一日着た下着も洗う前の食器も座った後の便座もおおお! ぜんぶぜんぶぜんぶううううう――――――っ!」

「そんなのお好きになさってくださいまし!」

「すましやがってええええこの下品なデカ乳女があああっ!」

「げ、下品ではありませんわ! それに貴方に言われたくありません!(顔真っ赤)」

「私の胸は竜騎士様のものだからいいんだよおおおおっ!」


 意味が分からない。


「もうっ、やめてください! ・・・そうですわ!」


 サリアリットがいいこと思いついた、と両手を合わせた。目をキラキラさせてる。


「こういう時は、やっぱり味噌ですわ!」


 どこからともなくチューブ味噌を取り出した。うにゅにょにょ~ん、と小皿に絞り出し、スプーンですくってテイスティング。


「ああ・・・やっぱり味噌は究極ですわ~天上ですわぁ~・・・」


 何かがキマっていた。


「さあどうぞ! 一度口にすれば気分もヨクなりますわ!」

「うっげあまったるいっ! やめろ! 近寄るな!」

「そんなことおっしゃらないでくださいまし!」


 攻守逆転。今度はサリアリットが異様な熱で圧倒し、入信グッズらしき味噌樽をドン引きするグリシナの頭にかぶせた。


「これで貴方も今日から夜空を翔ける味噌教の敬虔なる信徒ですわ! 共にハッコウ神様に祈りましょう! ミソーメン」

「ふざけるな!」


 グリシナは味噌樽を投げ捨てた。「ああ!」と、サリアリットがこの世の終わりみたいな顔をする。


「くだらないカルト宗教になどハマって。何がハッコウ神様だ馬鹿馬鹿しい」

「なんてことをおっしゃいますの! わたくしは良かれと思って!」


 キーキー取っ組み合いを始める。

 ジョーク宗教プリンセスとガチファザコン少女剣士のキャットファイト。

 地球人二人はこの異世界テンションにまったくついていけない。


「・・・なあ、春賀」

「・・・うん」


 二人は牢屋へ静かに戻っていった。



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●次回更新は〝1月11日 18時〟どす。

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2025年1月11日 18:00

魔法少女マギアギア☆エリス おきな @okina-kabushiki

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