うちの妻がつま先を残してしっそうした
水城みつは
うちの妻がつま先を残してしっそうした
「はい、津崎探偵事務所です」
「うちの妻がつま先を残して失踪した――」
電話先で疲れ果てた声で呟いたのは大学時代からの悪友だった。
「はぁっ?! 妻ってお前……」
「――ってタイトルでコンテストに応募しようと思ってるんだが、将希はどう思う?」
「こちとら忙しいんだ、切って良いか?」
コイツはいつもこうだ。小説家を名乗り、ふざけているんだか真面目なんだか判断に苦しむラインのネタを仕掛けてくる。
更にタチが悪いことに半分ぐらいの確率で本当の事件が持ち込まれるのだ。
この探偵事務所が潰れていないのはコイツが持ってきた縁によるところもあって頭が痛い。
「朝から客の一人も来てないんだ、暇してるだろ? コーヒーぐらいは奢るから少し付き合ってくれ」
なぜ分かる、と怒鳴りかけて事務所の窓から向かいの喫茶店を見下ろすと案の定窓際の席に座った男がこちらに向かって手を振っていた。
「それで、そのコンテストってのはどんなやつなんだ?」
コーヒーを頼み、ヤツの向かいに座る。
「せっかちな君のためにさっさと本題に入るが、お題のある短編小説コンテンストなんだ。そして、そのお題が『つま先』」
「『つま先』……確認だが小説のコンテストだよな、大喜利とかではなくて」
『試験』とか『雪』ならともかく、『つま先』は……お題か?
「ああ、そんなにチベットスナギツネみたいな顔になるのも分かるよ。僕も困惑したからね、そもそも『つま先』って具体的には何処だよ? って思わないかい。それも
誰がチベットスナギツネだ、と突っ込むのはコイツと付き合いの浅いやつのすることだ。
基本的にコイツの戯言はスルーしてとっとと話を進めるに限る。
「それで『うちの妻がつま先を残して失踪した』か。それで良いじゃないか、わざわざ俺のとこに来るまでもない」
「いやいや、この話はエッセイ、いや、ノンフィクションが九割の話でね。実名では出さないが君の名前を少しばかりアレンジして出したいんだ」
「はぁっ?! ……あ、すみません」
ついつい大声をあげてしまい、周囲の客の注目を集めてしまった。
「……いやいや、エッセイ? ノンフィクション? まずはどこから突っ込めば良いんだ? オマエとは十年以上の付き合いがあるが結婚してたのか……?」
「おや、気になるかい、僕と妻との馴れ初めとか……まあ、語ってやらんでもないが、この話のネタバレにもなるよ?」
ニタリと笑うヤツに飲みかけのコーヒーをぶっかけたい気持ちを堪えるべく一気に飲み干す。
「……ちっ、聞かせてもらおうじゃないか。内容しだいでオマエの小説に俺の名前を出してもいい」
「それは助かるね。君にいつ妻の話をしようかとタイミングを見計らっていたんだよ。今日、この日、このタイミングで妻の話をできるのを嬉しく思うよ――」
そう言ってヤツは満面の笑みを浮かべ、話し始めた。
「――僕が彼女と出会ったのは二年前、偶然通りがかったペットショップの前だった。あ、話を進める前にうちの妻の写真を見せた方がいいかな。君に見せようと思って印刷してきた写真があるんだ」
ヤツはニコニコで隣の椅子に置いていた鞄をあさりだす。ちっ、こちとら花の独身貴族だぞ爆発しやがれ。
「さあさあ、コレが僕のかわいい妻だよ」
ウザ顔のヤツから写真を受け取って見る。
「……これは……確かに可愛いな……」
多分、俺はチベスナ顔、もしくは、宇宙猫顔をしているだろう。
確かにヤツの妻、アメリカンショートヘアと呼ばれる品種の猫は可愛かった。
俺もペット探しの依頼で探したことがあるが、猫はかわいい。
「そうだろう、そうだろう、いつか君に僕の妻と言って紹介できるように『妻』って名付けたんだよ。それでね、うちの妻は膝の上に甘えて乗ってきたりして可愛いんだけどね、爪を切られるのが嫌でね、すぐダッシュで逃げ出してしまうんだよ――」
「――それで、エッセイのタイトルを『うちの妻が爪先を残して失踪した』にしようかと……あれ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。それで、俺の名前を出したいんだったか……」
「そうそう、親友の探偵事務所から帰りに妻と出会ったからね。まあ、一文字抜いてフルネームで『
俺は無言で空になったコーヒーを再度飲み干した。
うちの妻がつま先を残してしっそうした 水城みつは @mituha
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