第2話旅立ち
いつしか僕は
なぜなら、大学に入ってから僕には恋人ができたし、恋人を愛しいと思う気持ちと、香留への感情はまったく別のもののように思えたから。
家族とか妹とも違う。何と説明したらいいのだろう。彼女の夢を叶えさせてやりたい、必要なら手助けもしてやりたい。応援したい。うまく言えないけど、そうだな「推し」とでもいうのだろうか。
もっとも
だから僕は、ちょっと離れたところで見ているだけなんだけれど、ついつい気になってしまう。
その代わり、素人の僕が見ても驚くほどに完璧だった。苦手だったプランタも問題なく、激しく速いリズムでも乾いた良く響く音を立てていた。
「貸してもらった音楽プレーヤーがあったから」
香留はそう僕に礼を言った。
フラメンコを踊ろうとしているというのに、彼女はあまりにも音楽に無知だったのだ。早くに母親が亡くなったため、聴く機会がほとんどなかったらしい。それは基本のステップ以前の問題だった。
彼女はスマホも持っていなかったから、使わなくなった携帯音楽プレーヤーに、踊るのに必要になるだろう曲をダウンロードして貸すことにした。
最初は使わないからあげると言ったのだが、答えは推して知るべし。『いつか買うまで借りておく』だそうだ。
以来、ヒマさえあればイヤーホンをつけて曲を聴いているようだった。自主練習にも役立ったと言っていたから、少しは助けになったかもしれない。
基本のステップをマスターしてもそれで終わりではない。腕の動きも重要だ。
手首から先をスムーズに回す。順番に指を動かしながら、内まわり外まわり。次は左右別の向きでまわす。
さらに、腕を上げながら下げながらまわす。片方ずつ、両腕で。一方は上げながら、もう一方は下げながら。
足でステップを踏みながら腕を動かす。滑らかにしなやかに、時には素早く、激しく。
他にも足の運び方や腰の動き、体におぼえさせなければならないことは無数にあった。
一年も過ぎる頃には初級のレッスンについて行けるようになって、僕が大学を卒業する頃には中級クラスも卒業できそうなほどになっていた。
「だいぶ良くなったけど。そうね、あとは恋をすることね」
彼女が踊る姿を見ながら、母はポツリと言った。
大学卒業後の僕は、父のビジネスを手伝うことになったため、家を出て母のフラメンコ教室からは遠ざかった。
当然、
だから、彼女がその後どうしていたのかは良く知らない。母の元で上級クラスまで学んだ後、母の師匠にあたる人の指導を受けるため教室を辞めたと聞いた。
成人してからは、渋谷のタブラオ、フラメンコが楽しめるという売りのレストランで踊っているというのを聞いた。
恋人のいる男を寝取ったとか、ハーフの某有名俳優に貢がせているなんて噂も流れてきている。彼女ならありえるかと思う反面、おそらくすべてはスペインへ修行に行くための布石なのだろうと思った。
彼女はしたたかで強い。そして一途だ。そこら辺の男にどうこうできるような女ではないと思う。
そして冒頭にもどる。
スクリーンのなかで踊る女は誰だと騒ぎが大きくなる頃には、彼女は日本を発っていた。タブラオで稼いだ金と、映画の出演料で密かにスペインへ飛んだらしい。
主演していた某俳優がインタビューで大げさに嘆いていたので、おそらく事実なのだろう。
向こうでどうしているのかは知らない。おそらくどこかで踊っているのだろう。いつか日本へ凱旋する日が来ることを期待している。
しばらくして、貸していた携帯音楽プレーヤーが国際郵便で戻ってきた。
(終)
参考:
YouTubeの「EscuelaDe MARI」チャンネル
フラメンコダンサー松本真理子氏の解説動画を参考にさせていただきました。
サパテアード 仲津麻子 @kukiha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます