サパテアード

仲津麻子

第1話苦手なプランタ

 大きなスクリーンの中央に、スポットライトを浴びて踊る女。

 サパテアードが細かいリズムを刻み、長い髪が体にまとわり付くように流れる。

 まわりの闇に溶け込む漆黒の衣装に、白い腕が誘うようにうごめく。深紅の肩掛マントンの縁飾りが激しく揺れていた。



 僕は彼女の置き土産を食い入るように見つめていた。

 そう、映画のチョイ役で踊っている女、香留かおる。母が運営するフラメンコ教室に現れたのは、彼女が十二の時だった。


 日本のフラメンコ教室は意外に多い。一説では本国スペインより多いとも言われるくらいだ。生徒の年齢は幅広い。ほとんどは女性で、健康のためとか華やかな趣味で、などという理由ではじめる人が多いのだが、まだ中学生だった香留かおるは、ズブの素人だというのに初めからスペイン留学を目指していると言った。


 当時僕は十八で、踊りバイレよりはギター演奏トケの方に興味を持っていた。それで、たまに教室を手伝ったりしていたのだが、彼女の登場は鮮烈だった。


 手足はほっそりとして長く、やや痩せているものの年頃の少女にしては背が高かった。黒く艶やかな髪はうねるように長くて、濃い眉毛の下で主張してくる瞳は強く印象的だった。

『私にはロマの血が半分流れているの』彼女はそう言って笑った。


 ロマとはいわゆる放浪の民ジプシーのことで、フラメンコのルーツはロマ族の伝統的な踊りだったとされている。

 彼女の亡くなった母親はプロの踊り手で、スペインでの修行中に現地の男と知り合った。日本に帰国後身ごもっていたことがわかり、踊りをあきらめて香留かおるを産み、女手ひとつで育ててくれたという。

 彼女は母親の死後、叔父の家に身を寄せているが、高校を卒業したら独り立ちしたいのだと言った。


 そう言う割には、彼女は不器用だった。初心者が習う基本のステップ、四種類あるのだが、普通は数十回も繰り返せば覚束なくもそれなりにできるようになるものだけれど、それがなかなか身につかずに苦労していた。


 はっきり言ってロマの血どころか、体の中にあるリズムがしっかり日本人なのだ。生活の中で染みついたリズムを、形だけでもフラメンコの十二拍子に合わせるのは難しい。


 ひざから下の足を後に引き上げてから落とし、足の裏全体で床を打つ「ゴルペ」はまだいい。かかとで打つ「タコン」、つま先付近で打つ「プランタ」。他に軸足の後でつま先をトンと打つ「プンタ」というステップもある。


 タコン・プランタをマスターすると、次はかかと2回、つま先1回のタコン・タコン・プランタ、さらにタコン・タコン・タコン・プランタとバリエーションが増えて行く。


 どうやら彼女はつま先付近で打つ「プランタ」が苦手なようで、バランスを崩してよろめいたり、打ち付ける音が鈍かったりするのだった。


「タコン・プランタ、タコン・プランタ! 足に力を入れすぎないない。自然に下ろすだけ」

「はい!」

「そんな鈍い音じゃないでしょ。もっとスパッと乾いた音で!」

「はい!」

「頭の位置! 上体は同じ高さで」


 何度も同じ事を繰り返す母の声が響く。いつもの光景だった。


 フラメンコの靴の裏には鋲が打ってあり、ステップを踏むたびにその音が小気味よく響く。だが、「プランタ」では、つま先から指の付け根あたりの場所で上手に床を打てないと、鈍くて弱々しい音になってしまうのだ。


『大口を叩いていた割にはあの娘は』と、よく母が笑っていたものだが、それでもいつもの合同レッスンの後も居残らせて、特別に目を掛けていたのは何か感じるところがあったのだろう。


 なかなか上達しない彼女だったが、決して諦めることはなかった。


 香留かおるは週二日のレッスン日以外は、放課後に掛け持ちバイトをしているらしかった。最初の頃は中学生ができるバイトなどはなく、知り合いの手伝いをしていたらしい。、レッスン代金は少額ずつ分割で持って来ていた。


 彼女は、叔父には出してもらいたくないなどと言っていたが、母はこっそり保護者とは連絡はとっていたようだった。それはそうだろう、未成年を預かるのだから、何か問題が起こってからでは遅い。


 そんな大人たちの配慮を知っていたのか気づいていなかったのか、彼女は極めてマイペースで、ただひたすら貪欲にレッスンに食らいついていた。

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