ずっと一緒に

笹月美鶴

ずっと一緒に

 世界は、ゾンビであふれていた。

 はじめはどこかの島で、人が人を襲っているというニュースが流れた気がする。


 私が噛まれたのはたしか、二週間くらい前だっただろうか。

 それ以来肌の色は生気を失い、だんだん青緑っぽく変わりつつあった。

 これは、感染したということ?

 映画の通りね。


 ゾンビに噛まれた者はゾンビになる。


 ゾンビ化の原因が細菌兵器か未知のウイルスなのかわからないけれど、あっという間に世界に広がった。

 私もゾンビになったはずなのに、なぜか精神は正常だった。


 この、心臓のせい?


 私の心臓には今、人工心臓が埋め込まれている。バッテリーの続く限り、この心臓は動き続ける。

 ゾンビがゾンビたる状態になるのは死んで脳に血液がいかなくなり、思考を失うという説がある。でも私は病気で人工心臓をとりつけていたので、ゾンビになっても心臓は動いていた。汚れた血でも脳は機能するのだろうか。


 この心臓が止まったら、私もあんなふうになるのかな。


 ゆらゆらと彷徨うゾンビどもをぼんやり見つめる。いちおう仲間とみなされているのか私がゾンビから襲われることはなかった。

 ここは病院。非常用の発電装置のおかげで人工心臓のバッテリーの充電ができる。この心臓が動いている限り私の精神は正常を保たれる。


 きっと、たぶん。


 薬を求めて感染していない人間がやってくるが、そんな人たちも病院内にいるゾンビにどんどん襲われて、いまや病院はゾンビで大盛況だ。


 今の私にとってゾンビよりも生きた人間の方が脅威だ。

 ゾンビはうろつくだけだけど、生者はものを奪ったり、壊したりするからね。


 病院の中はいまや、か細い非常灯がついているだけだ。

 発電施設がもう機能していないのだろう。

 私の精神を保っている非常電源とバッテリーは守らなければならない。


 そんな意気込みは、すぐに萎える。

 病院の座り心地がいいのか悪いのかわからない、堅めのソファに座ってためいきをつく。


 守ってどうする。

 ゾンビだらけの世界で一人心を保っていることに、なんの意味があるのだろう。


 そこに、彼があらわれた。

 私と同じくらいの年恰好の男の子。


 ゾンビに追われながら逃げのびたようで、ゼイゼイと息をしている。

 私を見るや血に濡れた金属の棒を振り上げるが、驚いて目を見開いている私を見て、感染していない人間だと思ったのか振り上げた手を降ろしてホッとしたように笑顔を見せた。


 とまどっている私に一方的に話しかけて来る。

 外はどうなっているか、自分はどんなに大変な思いをしてここまで来たか。


 彼の話は興味深かったが、もうゾンビになってしまった私にはどうでもいい話だった。

 希望を聞かされるほど、私の心は荒んでいく。


 反応が薄い私をさすがにいぶかしんだのか、彼が私をじっと見る。

 私は、思い切って自分のことを正直に話した。

 もう、自分はゾンビなのだと。


 彼はとまどった顔を見せた。

 あたりまえだろう。

 袖をまくってゾンビに噛まれた醜い傷跡を見せる。

 肌がもう、腐ったような黄緑色になっていた。


 彼は納得した。私がゾンビだと。

 でも、彼は私のそばから離れなかった。

 むしろ「怖かったね」と、なぐさめてくれた。


 私は、涙が出そうになるのをぐっとこらえた。

 もっとも、涙なんてもうでないけど。


 それから、彼との生活がはじまった。

 大きな病院だったから、彼のための食料もあるていどは残っていた。

 でも、限りはある。

 彼が今後も生きていくためには、いつかここを出ていくのだろう。


「私は人間を殺すなんて、ましてや食べるなんて出来ない。このまま私はご飯が食べられず、死んでしまうんだわ」


 私の、愚痴。


「ゾンビはもう死んでいる。だから彼らは本当は食事をとる必要なんてないんだ。

 彼らが人間を食べるのは〝飢え〟だ。その飢えがなぜおこるのかはわからないけれど、耐えがたい欲求が人間の肉を食べるという行動に至っている。

 つまり、本来ゾンビは食事をとる必要なんてないんだ。だから君がたべたくないのなら、食べなくていいんだよ」


 彼はやさしい。

 私はいつか意識をなくし、彼を襲ってしまうかもしれないという不安に駆られる。

 彼から離れよう。そう思うのだが、彼は私を引き止めた。


「僕ね、ゾンビの映画を見ると、一番はじめにゾンビになった人の方が勝ちだなって思ってた。だってそうでしょ。あんな世界で生きたって、苦しくて怖い思いをするだけじゃないか。でも、そうは思っても、実際にゾンビに襲われたらやっぱり必死に逃げるよね。それが、今の僕だ」


 やさしい、笑顔。


「いっそ死んだ方がいいのに、死ねずに逃げ回ってる。

 でも、今は君がいる。僕は君と一緒にいたい。

 もしも君が本当のゾンビにいつかなってしまうなら、その時僕は、はじめての君のご飯になりたい。

 そうして君と同じになれたなら、もう何も怖くない。そう思う。

 どんな未来がまっていようと僕は平気だ。だからお願いだ」


 まっすぐみつめる、男の子の瞳。


「僕と一緒に、いてください」


 機械の心臓が、どくんと跳ねた気がした。


「いくら意識があったって、体はどんどん腐っていくの。くさいし、気持ち悪いよ」


「気にしない」


「気に……してよ」


 うまく、笑えない。


「怖い」


 どんどん、細かい動きができなくなっている自覚がある。


「怖いの。どうして私、心が残っているの?

 うろつくだけのゾンビになれたら楽なのに。

 ゾンビになってまで、どうしてこんなにくるしまなきゃならないの?」


 泣きたいのに、涙が出ない。


「私も、あなたといたい。

 一人が怖くてしかたがないの。

 私もあなたと、一緒にいたい……」


「君の体がどんどん腐って、君が死にたいと望んだら、その時は僕が君を殺してあげる」


「私を殺す? ちゃんと殺せるの?」


「もちろん僕も一緒に。二人でこの世界から抜け出そう。その方法をこれからふたりでゆっくり考えよう」


 二人で。

 もう私は、ひとりじゃないんだ。


「約束よ」


「ああ、約束だ」


 目と目があう。

 体温はないはずなのに、頬が熱い気がする。

 ああ私、この人が好きになってしまったのね。

 彼の目も、熱を帯びている。

 自然に、無意識に、どちらともなく顔が近づいて……そして唇が、重なる。




 そうして、少年はゾンビになった。




 少年は人間を襲い、肉をくらう。

 そんな彼に私はずっとついていく。


「うそつき」


 同じゾンビなので襲われはしないが、彼はもう私の事を覚えていない。


「キスしただけでゾンビになるとか、どういうことなのよ」


 病院から出た彼のあとをついていく。

 彼は生きた人間を、血と肉を求めて街をさまよう。


 あるとき、殺して切断した人間の腕を、彼は私に差し出した。


「え?」


 思わず受け取る。

 生々しい人の腕。もう見慣れているから怖くはないんだけど、そんなことより、


「私を覚えているの?」


 そんな期待をしたけれど、彼は人だった肉を夢中でむさぼるばかり。

 ゾンビの気まぐれ?


 乱暴にちぎられた切断面の血をなめてみる。

 人間を襲うなんて出来ない、ましてや肉なんて食べられない。

 そう、思っていたのだけど……。


「おいしい」


 心臓のバッテリーはとっくに切れている。

 まだ意識は保っているけれど、時々ふっと気が遠くなることがある。

 視界もだんだんぼんやりしてきた。

 でも、不思議と怖くはなかった。


 彼と私の胴をロープでしっかりつなぐ。

 意識がなくなっても、彼と離れ離れにならないように。


 ゾンビに寿命があるのだろうか。

 どっちでもいいや。

 彼と一緒にいられたら。

 この身が朽ち果て、本当の死を迎えるその時まで、



 ずっと、一緒に。

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