三、一人ではありませんから

 約束どおり、あの石像は店と交渉をして買い取った。そのあと石材店へ運んで加工された部分を削ってもらい、まだ雪深い氷雪山の沢へと運んだ。水に濡れるから紙垂はつけられないが、しめ縄は巻いてある。これで、信徒の目にもここに神が在ると分かるはずだ。

「ここの居心地はいかがですか」

『快適だ。水も清いし景色も良い』

 尋ねた私に、穏やかな声が応える。

 自然石に見えるよう加工された部分を削ってもらったせいで、大きさは二回りほど小さくなってしまった。でも本来の姿に戻れたことの方が、清沢神キヨサワノカミにとってはよほど重要らしい。

「良かったです。これからは、父とともに氷雪山とこの沢をお守りください。どうぞよろしくお願いいたします」

『ああ、請け負った』

 快諾する清沢神に安堵して、最後に柏手を打とうと手をもたげる。玉依、と呼ぶ声に開いた手を止めた。

『お前は、最後まで人の世で人の子として生きるつもりか』

「そうですね。そのつもりでいます。今の世には、私の力が必要ですので」

 見えないものを信じないようになっただけで、見えないものがいなくなったわけではない。人間達が利益を追い求める限り、その溝は決して埋まらないだろう。

『そうか。しかしできる限り、その力は隠しておく方が良い。人の子の欲は尽きぬもの、見つかれば立ちどころに食い潰されてしまうぞ』

 それは、かつてほかの神に伝えられた言葉とよく似ている。

――お前なら、我らに救えぬものも救えるであろう。人の子の定めを揺るがさぬかぎりは、それを窘めることはせぬ。ただそれは時に、我ら以上の責を負うものだ。そしていつかは人の子に、尽きぬ人の子らの欲に潰される。

 「その日」のことを考えれば、今でも身が竦んでしまう。でも。

「十分に気をつけて役目をこなします、真方とともに。一人ではありませんから」

 私は、一人で生きることはない。

 改めて頭を下げ、柏手を打って離れる。沢の入口で待つ真方の元へ向かった。

「済んだか」

「はい、気に入ってくださったようです」

 真方は沢を一瞥して頷き、雪の山道を先に下っていく。

「今日はもう、これで終わりだよな」

「そうですね、戻って資料整理をするだけです」

 真方が協力してくれれば、定時でちゃんと終わるだろう。

「なら、ちゃっちゃと片付けて飲み行くか」

「行きます。あと鳳荘も!」

「いいけど、ならあんま飲むなよ」

「えー」

 苦笑する真方に不満を返しながら、まだ歩き慣れないブーツで斜面を下る。不意に足をすべらせたが、転ぶはずの体は何かに守られるように重心を取り戻した。

 転んだって、構わないのに。

 苦笑で振り向き、どこかで見守っているであろう父に「ありがとう」と小さく呟く。柔らかく頬を撫でる風に頷いて、山を下りた。



                            (終)

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澄まず濁らず 魚崎 依知子 @uosakiichiko

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