[3]白昼夢の贈りもの

 薔薇が消えた。


 部屋は絶対に間違えていない。となれば薔薇は一体どこにいったのか。

 あの男が持ち去ったのだろうか。実は男は泥棒で、兄の部屋に侵入したところにセイルと出会でくわし花束を抱えて窓から逃げた、とか。それなら回廊ですれ違わなかったのも頷ける。


 ――でも盗むならフツー花より金目のものじゃね?


 どう考えても薔薇は金にはならない。花束を見せたときに目を輝かせていたのは事実であるが。

 そもそも警備のしっかりしているこのやしきに泥棒が入りこむこと自体考えられないのである。そしてあののほほんとした雰囲気の男が凄腕の泥棒である可能性はどう考えても有り得ない。

 頭痛がしてきた。もうだめだ。セイルは考えることを放棄する。


「……これ返す。使えって渡されたけどウィルのだろ。アデレードにやるんじゃねえの」


 栞を突き出した。ほぼ押し付けられる形で受け取ったそれを兄はつぶさに観察する。


すみれだな。……押し花?」

「あー、そんな感じのこと言ってた気がする。オレは本読まねえっつったんだけど、栞は読まねえヤツの方が使うもんだって言って」

「俺のじゃない」


 言葉尻に被せるようにして、兄は弟の言を遮った。よく聞き取れなかったセイルはぽかんとし、次いで眉を顰める。兄はいよいよ醒めた目を向けた。手にした栞をひらひら振って。


「これは俺のじゃない。何を思い違いしているか知らないが」

「……はぁ?」


 意味がわからない。ではこの栞はやはりあの男の物になるのか。

 ヤツは一体何者だ? そしてどこに消えてしまったのか。

 まるで狐につままれたような心地だった。いっそ夢なら覚めてほしい。


「……菫か。菫といえば、花言葉知ってるか?」


 セイルはむっと唇を引き結んだ。「知らねえよ」の五文字を発することすら億劫だった。別に世間話をしにきたわけではないのだ。ご高説を聞く気もないしこのまま回れ右をしてしまおう。

 兄にとってその反応は想定内だったようだ。すぐに「謙虚と誠実」と、ふたつの言葉が紡がれた。そのうえ「どちらも縁のない言葉だな」と揶揄されセイルはますます苛立ちを募らせる。


「だが菫は色によっても別に言葉がある。おまえにはそっちの方がお似合いかもな。紫の菫の花言葉は、」

「どーでもいい。オレはそんな話は別に」


 予期しない沈黙が下りた。

 ゆるゆる向けた視線の先で、兄は栞の小花を表にしてセイルに差し出していた。その瞳に宿る感情は――。


 瞬時にセイルの顔に朱が差した。


「寝ぼけてなんかねーし!」


 突然響いた怒鳴り声に、部屋の中央から「どうしたの!?」と高い声が飛んでくる。

 兄の眼差しはひたすら冷たかった。完全にセイルが思い違いをしていると考えているようだ。確かに自分でもその可能性を考えなかったわけではない。が、人から指摘されると全力で否定せざるを得なかった。

 ぎりぎりと歯軋りする。これだから兄には会いたくないのだ。


「バカにしやがって……。薔薇もそれも、人がせっかく、持ってきてやったのに!」

「その〝持ってきてやった〟薔薇はどこにいったんだ?」

「知らねーよ! オレは、ちゃんと! 持ってきたからな! そんなに見たかったら自分で行けよ!」


 言うが早いかセイルは部屋を飛び出した。

 やっぱり戻るのではなかった。顔を合わせるのではなかった。誰か――それこそ客間を掃除していた使用人に頼んでしまえばよかったのだ。そうだ、そうすればよかった。


 とばっちりどころかとんだ災難だった。兄は悪魔だ。きっと生まれた瞬間から意地の悪い悪魔だったに違いない。

 行き以上にどすどすと不機嫌そのものの足音を立て、セイルは離れを後にする。





 * *





「リュー、ただいまー!」


 満面の笑みで駆けてきた少年は、勢いよく青年に抱きついた。抱きつかれたリューはおかえりと笑顔を返し、受け止めた身体の冷たさに驚いた。紅葉のような小さな手は凍えて氷のようだ。


「お日さまがしずんだら急に寒くなったの。リューは行かなくてだよ。またかぜ引いたら大変だもん」

「花は、何かあったかい?」

「ぜんぜん。小さいのがちょっとだけ。ねっアン?」


 背後を振り返る少年に合わせて目を向ければ薄暗い中を長身の女性が歩いてくるところだった。背中に垂らした赤みを帯びた金色の髪が、室内からこぼれる光に照らされ仄かに輝く。その髪を軽く掻き上げ、アンは手をひらひら振ってみせた。握られているのは白い花弁を持つ八重咲きの小花。


「秋も終わりだね。残念だけどこれくらいかな」

「押し花にできる?」


 心配そうに小首を傾げる少年にリューはもちろんと頷き、形の良い小さな頭を優しくなでる。それから「いいものがあるよ」と悪戯めいた微笑みを口許くちもとに浮かべた。それまで後ろ手に隠していたものをぱっと差し出した。

 突然現れた美しい薔薇に、ふたりがわあっと歓声を上げる。


「どうしたの、これ!?」

「お友だちが持ってきてくれたよ。ウィルにどうぞって」

「お友だち? だれだろう」


 少年が首を捻ると蜂蜜色の髪がさらりと揺れた。「ウィルとおんなじ金髪の、背の高いお兄さんだったよ」との言葉に彼はますます眉を顰めた。アンの方にも心当たりはないらしい。


「それよりリュー! 窓が全開じゃないの! 風邪引くつもり?」


 アンがぷりぷりと掃き出し窓を閉めてまわるのを見て、ウィルも手伝いに駆けていく。換気だよとリューは言い訳し、丸テーブルの元に戻った。


「押し花見てたら思い出したんだよ、菫のお香貰ってたこと。試作品らしくてさ、感想教えてほしいって言われてたんだけど……ちょっと匂いが予想以上だったかな」


 同封されていた薄い紙片を示してみせた。後から来たアンがそれを読み上げる。


「――ゆめうつつの香。ひとたびくゆらせば心の奥底の夢が具現化するかもしれません。紫菫の花言葉〝白昼夢〟から、その力を最大限に活かした商品ですぅ? なにこれ胡散臭うさんくさい……。どうせデムナの店のでしょ」

「それがオルガーの店なんだ」

「ねえねえ、ハクチュームって?」


 ウィルがアンの袖をくいくいと引っ張っていた。アンは僅かに身を屈める。


「お昼に見る夢ってことだよ」

「ええ? ゆめって、夜ねるときに見るんじゃないの?」

「普通はね。でもリューなら立ったままでも見そうでしょ」


 途端に少年は無邪気な笑い声を上げた。それを合図に、室内に明るい笑い声が響き重なる。


「ね、早く作ろうよ」


 ひとしきり笑って、少年は白い小花を指差した。


「そうだね。じゃあ、せっかくだからあの薔薇も押し花にしてみようか。ウィル、少し分けてもらってもいいかい?」

「うん、みんなで使おうよ。あ、うすい紙もっとあった方がいいよね? ぼく、もらってくる!」


 言うが早いかウィルは元気よく部屋を飛び出していった。


「それで、オルガーさんにはなんて言うつもり?」


 少年を見送る背中に声が掛かる。目が合うとアンは手にしていた紙片をはいと渡してきた。


「あんたの夢は、見られた?」

「特に幻覚は見なかったかな。心身に変調をきたすほどではなかったけど匂いが強すぎることは申告しようと思ってる。まあ、どのみち――」


 リューは手近に置いてあった花束の中から薔薇を一輪抜き取った。深みのある赤いそれを注意深く観察し、刺がないことを確かめる。それからアンに歩み寄るとそっと彼女の髪に挿した。


「どのみち俺の夢は叶ってるからね。そんなものに頼らなくても」


 似合うよとにっこり微笑んだ。急な展開にアンが目に見えて狼狽うろたえている。

 だがそのあとの言葉を「顔が、薔薇とおんなじ色してるよ」と続けてしまったがために、哀れな正直者にはアンの正拳突きが容赦なくお見舞いされることとなった。






――――――――――


 どちらかというと番外編になる物語でした!

 これ単体でもわかるように書いているつもりですが、自作のほとんどは同一世界観のため他の話を既読されてるとよりお楽しみいただけるかなーと思われます。


カクコン10参加中の恋愛ファンタジー→【月のひかり、陽だまりの歌】

https://kakuyomu.jp/works/16818093088351539534

メインの登場人物:リュー・アン・ウィル


うちで一番読まれてる恋愛物語→【Honey and Apple】完結済

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154994635

メインの登場人物:アデレード・ウィル


自作の人間関係が一番わかる気がする成長譚→【綺羅星の子】

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154875311

メインの登場人物:ウィル・リュー・アン・セイル・アデレード


 ここまでご高覧くださりありがとうございました!

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黄昏に薫る夢 りつか @ritka

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