冬至柚子と魂すら凍えさせる鮮血
藤泉都理
冬至柚子と魂すら凍えさせる鮮血
とても寒い日だった。
四方八方から吹き荒れる空っ風に、幾度身体が地面に叩きつけられそうになったか。
血を飲めてさえいれば、こんな無様な体勢を取る事もなかった。
常に伸ばしていた背中を丸め、常に天空を見上げていた顔を地面に俯かせ、常に露わにしていた手を布の中に隠すなど。
ああ、さむい、ああ、おなかがすいた。
とうとう踏ん張る力も残されておらず。
あわれ吸血鬼である
ああ、このまま数日間誰にも発見されなかった場合、冷凍吸血鬼が爆誕するわけか。
時翠は急速に襲いかかる眠気に抗う事なく、目を瞑った。
「え? ちょっ? え? なになになに!?」
遠くで男の戸惑い喚く声が聞こえた時翠は知る由もなかった。
男が遠くに居たのではなく、間近に居た事を。
男が時翠の近くを通りかかった時に、時翠の身体が勝手に男の足首を強く掴んでは、男が気付かずに少しの間引きずられていた事を。
のちに、男の家で意識を覚醒させた時翠は知った。
男の名前は
男が雪男であった事。
雪男の血は肉体だけではなく魂すら凍りつきそうになるほど冷たい事。
「湯加減はどうだ? 時翠」
「ああ。少し熱いが心地よい」
「そっか。よかったよかった」
瓦屋根、土壁、部屋数が多い上に一室一室が広いと、古風ゆかしき武家屋敷のような家だったが、電気やガス、水道も通っており、風呂もまた五右衛門風呂ではなく、ガス風呂が配置されていた。
ぷかりぷかり。
浴槽の表面を半分以上占拠する柚子を、沈めたり手の上に乗せたりしながら、時翠は風呂を堪能していた。
ぷかりぷかり。
贅沢な柚子の香りも堪能する。
ぷかりぷかり。
浴槽に閉じ込められた柚子は明日にはきっと野菜畑の肥料になるのだ。
次の世代の柚子の肥料になるのだ。
(肥料、か)
止まり木がないなら、ここをそうしていいよ。好きなだけいればいいよ。
ほんわかほっこり。
人好きのする笑顔を向けながら言う宿雪に甘えて、半月ほどになるだろうか。
君の血が冷たすぎて飲めない腹が減るのでひと時の止まり木にすらなれない。
世話になっておいた恩も返さず去ろうとする時翠を、宿雪は呼び止めた。
腹をいっぱいにさせてやると豪語したのだ。
(まあ。確かに。血を飲まなくとも、腹がいっぱいになるという不可思議な現象に見舞われているわけだが)
ぷかりぷかり。
ぷかりぷかり。
ぷかりぷかり。
でこぼこした果皮に黄色の柚子が漂い彷徨う。
この狭い浴槽の中で。
「かぼちゃの煮物、きのこの混ぜご飯おむすび、鶏つくねの柚子風味あん、紅白なます、かぼちゃのタルト。冬至盛り合わせディナーをどうぞ」
「ああ」
いつもより長く入った風呂から上がった時翠を待っていたのは、風呂を上がったばかりの時翠よりも温もりを持っていそうな宿雪と、視覚と嗅覚だけでも十二分に味わえ、とても美味しいと断言できる旬のご飯だった。
「君は本当に雪男かい? 本当は温男ではないのかい?」
「そうだったら、おまえに血をたらふくあげられるんだけどなあ。残念ながら雪男でっす。ほら。冷めない内に食べよう。食べよう」
食卓の椅子に座る宿雪に倣って、宿雪の前に座った時翠は宿雪と共に手を合わせて、いただきますと言っては、箸をかぼちゃへと伸ばしたのであった。
今日は、冬至。
一年で一番太陽が出ている時間が短く、夜が長い日。
吸血鬼としての本性が強く露わになる時。
腹は満たされているはずなのだが、強く強く、血を欲する。血でしかこの空腹は満たせない。
「こんなに温かいのにな」
夕飯を平らげたのち、居間へと移動しては、時翠はソファの上で膝立ちになって宿雪に向かい合いながら、宿雪の首に手を当てた。
すれば、温かい、ともすれば、熱いとも言える温もりが掌へと伝わってくる。
宿雪は時翠を見上げては、恍惚とした表情を向けた。
まだその表情は早いだろう。
時翠は胸中で呟いた。
「瞳の色が金色だ」
「ああ。今日は抑えきれない」
「ごめんな。俺の血が冷たくて。あったかいもんをいっぱい食ってるんだけどなあ」
「いい。今日は。冷たくてもいい。から」
そっと、時翠は手を当てたまま、反対側の首に口を近づけては、待ち切れずに伸びる二本の牙を硬い皮膚へと突き立て、逸る本性を抑えて、ゆっくりゆっくりと皮膚を突き破り、肉へと食い込ませて、魂すら凍えそうになる血を啜ったのであった。
ゆっくり、ゆっくりと、
(2024.12.21)
冬至柚子と魂すら凍えさせる鮮血 藤泉都理 @fujitori
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