三つ目
怪影会の四人は、再び部室へと集まっていた。先の地震の影響で、部屋の中は様々な物が散乱して足の踏み場もなくなっている。ソファの上にあった本の束を乱暴に払いのけ、腰を掛けた俊介が最初に口を開いた。
「やっぱりこんなもの、試さない方が良かったんですよ。おかげで日本はめちゃくちゃです」
俊介の目線は、机の上に置かれたままの"龍の手"に向けられていた。誰も何も答えず、部屋の中は重苦しい空気でいっぱいになる。
一連の大災害を引き起こしたのは自分たちであることは明白だった。"龍の手"は望み通り四人に一億円をもたらした。しかし、その代償はあまりにも大きい。この国は向こう十年は復興に手を取られ、まともな生活を送ることはできないだろう。
「何とか言ったらどうなのよ」
麻衣は非難めいた声で啓太に呼びかけた。啓太は床に蹲まった状態のまま、消え入りそうな声で話し始める。
「…敗因は、条件の付け方が甘かったことだ。日本円の価値が今のままでとか、世界は平和なままでとか、いくらでもやりようがあった」
「まだそんなこと言っているんですか! どんな条件付けたって、きっと別の穴を突かれてますよ!」
俊介が床のごみを蹴散らし、隣の里奈がひいっと悲鳴を上げる。誰もが罪悪感に苛まされ、精神的に疲弊していた。自分たちのせいで多くの人が不幸になったこと、地震でこそ人は死ななかったものの、二次災害で多くの人が命を落としていることは、ただの大学生たちには簡単に受け止められるものではない。
「…あと一つ、願い事が残っている。それを使おう。みんな、意見をくれ」
啓太が、今度ははっきりした声を発した。
「そんなの決まっているでしょう! 世界を元に戻すんですよ!」
「いや、それは難しい。なぜなら何をもって"元に戻った"と定義するかが難しいんだ」
荒ぶる俊介とは裏腹に、啓太はゆっくりと顔をあげ、落ち着いた様子で立ち上がる。
「例えば単に"元に戻して"と願ったとしよう。そしたらこの"龍の手"は世界の創造される前だとか、おかしなところまで戻してしまうに違いない」
「じゃあ、"二つ目の願いを叶える前の状態に戻して"にしたらいいじゃないですか!」
「それも危険だ。願い事は"最も自然な形で叶えられる"んだ。現在、日本円の価値は暴落しているが、それを自然な形で元に戻すには、どこか他の通貨が劇的に価値を落とさないといけない。災害で壊れた街も、すぐに元に戻してと願えば工事に携わる人たちが過労死するかもしれない」
「そっか…。時間を巻き戻したりするのは明らかに"自然な形"じゃないものね…」
恐ろしい現実に、麻衣が絶望的な声をあげた。元の世界に戻すにも、何か代償を支払う必要があるということだ。
「そう。自然なプロセスを経て願い事が叶えられるには、どうしても他の誰かが不利益を被るんだ」
「じゃあ、"世界中の誰の不利益にならない方法で"って条件付けましょうよ!」
俊介は悲鳴にも近い叫び声を上げるが、今度は里奈が口を挟む。
「うーん。でも、条件付けるなら網羅的にやらないと、また予想を超えた出来事が起きてしまいますよね…。何をもって不利益というかは人に寄りますし、不利益被らなければ何でも良いのかって話にもなっちゃいますから」
里奈も真剣に世界を元に戻す方法を考えていた。――その様子を見ていた麻衣は、ふと彼女が持ってきた二冊の本に目が留まる。
「里奈、それ何?」
「"猿の手"の小説ですよ。こっちは"猫の手"。もう失敗できないですから、もう一度原作を読んで勉強しておこうと思いまして」
真面目な彼女は、しっかりと予習をしたうえで最後の願いに臨もうとしているのだ。麻衣も思わず手を伸ばし、"猿の手"の原作をぱらぱらとめくり始める。
「じゃあ、考えられるだけの条件を設定しよう。四人いるんだ。あらゆる角度から考えれば、ほとんどの選択肢を潰せるはずさ」
啓太が手を叩き、再びホワイトボードの前に立った。いつになく真剣な表情で、頭の中の思考を書き出してく。
【願い事】
・平和な世界に戻してほしい
【想定される代償】
・偏った目線での平和を実現し、周囲がそのあおりを受ける(例:日本は平和になるが、周辺国が被害を受ける、等)
・平和な世界を実現するために、多くの人々が犠牲になる
・世界そのものを消滅させて、世界を何もない状態=平和にする
・時間軸が狂う等、世界の法則が乱れて結果として平和になる
・平和の定義が変えられる
・瞬間的に平和になり、すぐ元に戻る、または悪化する
etc.
【願い事の条件】
・すべての人に危害や不利益が及ばないように配慮する(死なない、怪我しない、悲しまない、苦しまない、など)
・平和を正しく定義する(災害がない、戦争がない、人類が滅亡しない、極端な経済変動がない、差別がない、疫病がない、など)
・平和を維持できるようにする
・平和へのプロセスを具体的に願う(公正公平なやり方、誰も異を唱えない)
・世界が消滅したり、世界の法則が狂わないようにする
etc.
「こうして見ると、"元に戻す"というよりは"世界をより良く変えて"って願いだな」
「平たく言うと"世界平和"ってことですか。悪くないですね。おとぎ話のメタ視点では、そういう人のための願いって失敗しにくいですし」
ホワイトボードを眺める啓太に、里奈は力強く頷いた。次第に四人は熱が入り、そのまま夜通し世界平和のアイデアを出しては、ああでもないこうでもないと議論を展開する。空が白んできたころには、ホワイトボードの両面にぴっしりと埋まるほど、願い事の条件が定義されていた。
「これだけやれば十分だろう」
啓太は血走った眼を擦りながら、仲間たちの方を振り返った。疲れ切った三人も首を縦に振ったので、啓太は恐る恐る"龍の手"に手を伸ばす。
「お願い! 上手くいって!」
「頼みますよ! 幹事長!」
「条件を間違えないように、注意してくださいね!」
祈るような叫びを浴びながら、啓太は"龍の手"を高く高く掲げた。そしてホワイトボードを見ながら、ゆっくり、はっきり、正確に願い事を口にする。
「"龍の手"様、誰にも危害を加えず、誰も不利益を被らず、誰も悲しまず、誰もが異を唱えない公平公正な方法で、災害は起きず、戦争も起きず、地球を破滅させるような出来事も起きず、世界は消滅したりせず、人間も滅亡したりせず、時間を巻き戻したり止めたり進めたりせず、物理法則が狂うこともなく、極端な経済変動もなく、疫病の流行もなく、苦しむ人や差別される人もいなく、誰もが健康で文化的な生活を送って、誰もが幸せな気持ちを持って、誰もが経済的に豊かなになるような、ずっと続く平和な世界にして!」
一瞬だけ静寂が訪れ、四人は固唾を飲んで"龍の手"を見つめた。――次の瞬間、まばゆい光が炸裂し、四人は悲鳴を上げる間もなくその場に倒れこむ。そして、物音一つしなくなった部屋の中で、"龍の手"は静かに消えていくのだった。
***
大学教授の土井は、病院の中を息を切らして走っていた。先ほど突然警察から連絡があり、自身が顧問を務めるサークルの学生たちが、意識不明の状態で発見されたと連絡があった。世が世なので集団自殺を疑ったが、どうもそういう訳ではないらしい。とにかく、状況を確認しようと、彼らが搬送された病院へと駆けつけたところだった。
「土井先生ですね、こちらです」
案内された病室までたどり着くと、白衣を着た恰幅の良いの男が出迎えた。彼が医師であることを理解した土井は、言われるがまま病室の中へと入っていく。そこには、目を閉じたままの四人の学生が、横並びのベッドに並べられていた。
「生徒たちは、一体…?」
「それが、何とも不思議な状態でして…。体は健康そのもの。脳も正常に稼働しているのですが、何故か意識がない。ありとあらゆる療法も試しましたが、もう全く目を覚ます気配がないのです。でも、このまま点滴を続ければ問題なく生きられる状態です」
医師は困ったような顔をしたまま、歯切れ悪く答える。
「つまり、植物状態ということですか…?」
「原因はわかりませんが…」
ふいっと視線を逸らされ、土井はがっくりと肩を落とした。彼らとは親密だったわけでもないが、やはり顔見知りのこんな姿を見るのは心が痛い。
「何とかわいそうに…。まだ若いのに、こんなに苦しくて辛い事になってしまうなんて…」
「いいえ。案外彼らは幸せかも知れませんよ」
「え?」
意外な物言いに、土井は間抜けな声をあげて振り返った。医師はもったいぶった表情で、おもむろに口を開く。
「土井先生は、"猿の手"って小説をご存じですか?」
「いいえ、知りません」
首を振ると、医師はほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「イギリスの怪奇小説ですよ。"猿の手"の呪物が、願いを叶える代わりに代償を支払うという、おとぎ話のようなものです。警察の方によれば、彼らが倒れていた部屋には、"猿の手"とそれを元にした小説"猫の手"の本が置かれていたそうです。それから、ホワイトボード一面を埋め尽くすような理想の世界の条件と、何も入っていない仰々しい木箱…」
「はあ…」
真意の見えない話に、土井は気の抜けた相槌を打った。しかし、医師は間髪入れずに話を再開する。
「失礼。私も昔、オカルトを齧っていましてね。おそらくですが彼らは、自分たちの考える理想の世界を願ったのではないでしょうか。全ての問題を解決し、誰も見捨てずに幸せになれるような、まさしく夢のような世界を。…浅はかな事です。世界はそんなに単純ではない。私のような医者の端くれも、人々の為に死ぬ気で毎日働いていますが、それでも救えない命がある。世界でも、戦争は悪だといいながら戦火は絶えませんし、差別や貧困はいつまでもなくならない。何もかもがうまくいくような世界など、あり得ないのです。そんな美辞麗句で固められた理想の世界は、夢の中にしか存在しません。若い彼らには、それがまだわかっていなかったのかも知れませんが」
「何が言いたいのでしょう」
長い話にうんざりしてきた土井は、ぶっきらぼうに話を遮った。医師はぽりぽりと頭を掻きながら、申し訳なさそうに続ける。
「すみません。だらだらと話すのが私の悪い癖でして。…量子力学の世界では、観測できないものは存在しないとされるらしいです。眠っている彼らは、きっと現実の辛い世界の事を全く知覚していないでしょう。その代わり、眠りの中で夢のような世界を、ずっと見続けているのです。願ったとおりに。現実の世界は変わらないままですが。」
「そんな"猿の手"なんて眉唾物が、本当にあると言うのですか?」
土井は眉をひそめた。まさかこの医師は、彼らが倒れたのはその呪物のせいだと言うつもりだろうか。
「まさか。オカルトマニアの気味悪い戯言と思ってください。でも…」
医師はそう言うと、横たわる学生たちの方へと向き直った。彼らの表情は、何も知らなければ穏やかに眠っているかのように思えるだろう。医師はそんな学生たちに、語りかけるようにして続けた。
「でも、彼らの願い事を叶えるには、そう考えるのが自然ですから」
(了)
龍の手 石野 章(坂月タユタ) @sakazuki1552
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