第1話:半人前の朝
成人の宴の翌日。
窓の外では庭師が芝を刈る音が規則的に響き、澄んだ空気を伝って部屋にまで届いている。花壇には鮮やかな色彩が広がり、鳥たちのさえずりが朝の訪れを告げていた。
屋敷の寝室の天井をぼんやりと眺めながら、俺は重い体をベッドの上に投げ出していた
。
(成人にはなったけど……なんだか全然実感がないな)
昨晩の宴は豪華で、見渡す限り金と銀が輝くような盛況ぶりだったが、それ自体が疲れるような内容ではない。真の疲労感の原因は――そう、漆黒の翼の継承。
騎士の名門レイブンシュラウド家の家督を担う存在として、誰もが憧れるナイトエンジン「漆黒の翼」の次期操縦者に任命されたことだ。
(ロボットだぜ。ロボットのパイロットだぞ……)
少年時代の夢が現実となった興奮と、現実の重責が胸の中で綱引きをしている。
俺は思わず足をバタつかせる。
(パイロットって響きはいいけど……ナイト・ランナーって呼び名もなかなかカッコい
いよな)
この世界では騎士操者(ナイトランナー)が操縦者の呼び名になるのだ。
自分で呟いてみたくなる衝動に駆られ、声を作って言ってみる。
「ディルムッド・オーディン――ナイト・ランナーだ」
その瞬間、部屋の扉をノックする音が響いた。
「坊っちゃま、起きておりますか?」
聞き慣れた穏やかな声に、俺は慌てて姿勢を正した。声の主はガレオン、屋敷で長く仕える中年の執事だ。髪に混じり始めた白髪をきっちり整えた彼の姿を想像するだけで、少し背筋が伸びる気がする。
「起きてるよ。おはよう、ガレオン」
扉を開けたガレオンの姿は、いつも通り整然としていた。
「おはようございます。良い朝ですな。今朝の予定ですが、まず訓練場での剣術の稽古がございます。そして……エミリア様が中庭でお待ちしているとのことです」
「エミリアが?」
妹のエミリア。家族の中でも特に明るい性格の彼女が待ち構えているのかと思うと、気が引き締まる。彼女の元気には、いつも振り回されてしまうのだ。
どこか微笑ましい顔をしているガレオンから察するに、昨日の成人となったお祝いの言
葉なりなんなりがあるのだろう。
「分かった。」
俺はベッドから飛び起きて、成人らしい品位を取り戻すべく身支度を始める。
***
朝食を済ませ、訓練場へ向かう。
屋敷の奥に広がる広大な敷地には、砂利の道が整然と敷かれ、その周囲を取り囲む木々が日差しを遮りながら涼やかな空間を作り出している。
訓練場に到着すると、父エドモンドと姉フィオナが既に待っていた。
エドモンドは灰色の短髪に鋭い眼差し、まさに騎士の中の騎士というべき人物だ。その佇まいだけで威圧感があり、彼の言葉一つで場の空気が引き締まる。
姉フィオナは長い金髪を緩やかに編み込み、端正な顔立ちと品のある態度で、見る者に知性と美しさを感じさせる女性だ。
「ディル、遅いぞ。成人したのなら、もっと時間を守れ」
エドモンドの声が低く響く。
俺は「すみません」と反射的に頭を下げた。
フィオナは微笑みながら俺を見ていたが、その目は鋭く、どこか含みがある。
訓練場には、木剣や槍、標的用の人形が整然と並べられている。広い敷地には、昼間だというのに少し涼しい風が吹き抜けていた。
「今日はフィオナとの模擬戦をする。全力をぶつけてみろ」
成人となったからには、ということか。どうやら訓練もステップアップらしい。
父の指示に従い、俺は木剣を手に取った。
***
「どこからでもいいわよ」
木剣を軽々と構えるフィオナ。表情は柔らかいが、目には鋭い意志が宿っている。
この訓練は俺が物心ついたころ(転生してるんだから物心はとっくについてるんだが)
から始まった、騎士としての剣術、戦い方についての勉強の時間だ。父と姉の二人から
しごかれてきた。
俺は木剣を握りしめ、一歩を踏み込んだ。
「やあっ!」
突進したものの、フィオナは一瞬の動きで俺の剣を受け流し、足を払って地面に転がす
。
「ふふ、まだまだね」
見下ろすフィオナの表情には、少し楽しげな余裕がある。
「……容赦ないな、姉さん」
「容赦なんて要らないわ。成人したのだから、もう少し努力しなさい」
容赦のない言葉だ。父は何も言わないが、じっとこちらの一挙一動を観察している。まだ続けろということだろう。
何度も打ちこんでは転がされながら、ふと疑問が浮かぶ。
(というかナイトエンジンを操縦するのに、なんで剣術が必要なんだ?)
思い返すと、以前に父が話してくれた言葉が頭に浮かぶ。
「ナイトエンジンを動かすには、操縦技術だけではない。相手の動きを読む力、咄嗟の判断、そして自分の体をどう動かすかを理解する感覚――これらは全て自分の体での動きを経て磨かれるものだ。剣術を通して、お前は強くなれる」
その時は半信半疑だったが、今は少し納得できる気がする。
(でも……俺にとっては、まだまだ遠い話だな)
そう思いながら、俺は再び弾き飛ばされた木剣を拾い上げるべく走った。
***
訓練を終えてへとへとになった俺は、最後に頭をなでられて訓練は終わりとなった。
中庭に向かうと、エミリアが花壇の前で待っていた。
庭師が手入れした花壇には、色鮮やかな花が咲き誇り、周囲を心地よい香りで包んでいる。エミリアはその中央で、鮮やかな黄色の花を両手に抱え、小柄な体を目一杯伸ばして俺を迎えてくれた。
「お兄ちゃん、お疲れ様!」
無邪気に微笑む彼女の声に、俺は自然と顔を緩めた。
「……ありがとう。でも今日は疲れたよ。姉さんにボコボコにされた」
俺が苦笑交じりに言うと、エミリアは両手で口元を覆いながら、クスクスと笑った。
「そりゃ姉さん、強いもんね。でも、お兄ちゃんだって成人したんだから、もっと頑張
らなきゃダメだよ?」
その笑顔には、からかいのような軽さと、兄への純粋な期待が混じっているのがわかる
。
「言うのは簡単だよなぁ……」
ため息をつきながらも、エミリアとこうして話していると肩の力が抜ける。父や姉とは違い、彼女の前では自然体でいられるからだ。
彼女は手にした黄色の花をそっと胸に抱え、少しだけ真剣な顔をして俺に尋ねた。
「ところで、お兄ちゃん。漆黒の翼って、どんなのなの?」
突然の質問に、俺は少し考え込む。屋敷の奥で眠るアレについては、存在は知っていても見せられてはいない。気にもなるだろう。
「どんな感じ、って言われてもなぁ……まだちゃんと乗ってないし」
漆黒の翼を思い浮かべると、その漆黒の外装や威圧感あるフォルムが脳裏に浮かぶ。だが、具体的なことはまだ何もわからない。
「でも、お兄ちゃんがそれを動かすのってすごいよね。きっとみんなを守る立派な騎士になれるよ!」
無邪気な声で言うエミリアの目は、希望と期待に満ちている。その瞳に見つめられると、妙に胸がむずがゆくなった。
「それはどうだろうな。俺、まだ未熟だし……」
自分の剣の才能がないのはうっすらと感じている。転生したのになんでやねんという気はするのだが、どうも今のこの身体はそこまで頑健ではなさそうなのだ。
どこか頭と体の動きがどこかぎこちないという感じというか、膜がかかったような違和感があってうまく動かせない印象がある。これは俺が転生したからなのか、もしくはこの身体に何か問題があるのか……考える余地はあるのだが、明確にこれという原因は分かっていない。
父も姉もどうも俺が不出来な長男であるとは感じているようだが、余計なことは言わない。ただ訓練に打ち込むようにとじっと付き合ってくれている。
今が12歳。ここから成長期に入れば身体にも筋肉がつくだろう。また他の訓練……禁止されている、エーテルに関する訓練などを通せばまた変わるのかもしれない。そう思いつつも、もしかしたらという不安は拭えないわけで。
頭を掻きながらそう返すと、エミリアは目を輝かせて一歩前に出た。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん! 絶対にできるよ!」
その言葉には疑いの余地がなく、俺への信頼がそのまま込められていた。少し照れくさくなりながらも、俺は頷いた。
この家族は大事なものだ。姉の厳しさも、父の威圧感も、すべてはこの家族を守り、領地を治めるためのものだ。
妹のエミリアの明るさだって、この屋敷を照らす陽光のような存在だ。母も多くは語ら
ないが、静かにこちらのやることを見てくれている。
(この家族を……絶対に守りたい)
それが、異世界で生きる俺の目標だ。そう心に決めると、先ほどまでの疲れが嘘のように薄れていくのを感じた。
俺はもう一度、空を見上げた。太陽の光は眩しく、暗くなりそうな気持ちを明るく照らしてくれる。ぺかっと笑っているエミリアの髪を指先ですきながら、身体を少し休める
。
(未熟さは中々変わらないけど……少しずつ前に進めばいいさ)
そんなこんなで。新しい人生の騎士としての立ち上がりは、のんびりとしたものになりそうだった。
この時はまだ
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