第2話 王国と騎士
「じゃあ、今日はここからやるわよ」
姉のフィオナが机の上に重厚な本を置いた瞬間、机がわずかに揺れる。その本には「アストリア王国概論」と書かれ、金色の装丁が施されている。装丁だけで既に威圧感がある。
「成人した騎士なら、これくらいの基礎知識は当然よ」
姉の言葉に、俺は苦笑いを浮かべた。フィオナの穏やかな笑顔の裏には、どこか容赦ない圧力を感じる。彼女の「当然」という言葉は、いつも俺にとってハードルが高いのだ。
午後の自室。俺の部屋には俺と、姉のフィオナがいた。お勉強の時間である。今更ながら貴族の令嬢であるところのフィオナは、なぜか俺の教育係を努めている。
色々事情はあるのだが、要はフィオナは俺とは半分しか血がつながっておらず、また領外での仕事も今はお休みしているため、この数ヶ月ほどはずっと教育係をしてくれているのだ。このあたりの話はおいおい。
「まあ確認するのはいいけど……この本、辞書より分厚いよね。これを全部読めって?」
「当然よ。領主としてだけじゃなく、騎士としても知識は不可欠だから」
前の教育係だったフォワーダ先生が懐かしい……子どもなんで色々手加減してくれたの
だが、フィオナはとにかく容赦ない。いい爺さんだった…。
俺はため息をつきながら、渋々本を開いた。中には細かい文字がぎっしりと並び、いかにも退屈そうな内容が詰め込まれている。それでも俺が文句を言わないのは、彼女の微笑みの奥に「怠けたら容赦しないわよ」という暗黙のプレッシャーを感じ取っているからだ。
(成人したばかりだっていうのに、もう家門の責務とか騎士の役割とかで頭がいっぱいだよ……)
俺は心の中でぼやきつつ、ページをめくり始めた。
***
「アストリア王国は現在、アストリア五世が治める封建制国家である」
本の冒頭に記された一文は、いかにも教科書的な無味乾燥さだ。その隣のページには、王国全体の地図が精緻に描かれている。
「アストリア王国は北から南まで広がる広大な領土を持つわ。北部は寒冷な気候で、西部には高い山脈が連なる。南部は温暖な平野が広がり、東部は広大な森林が中心……私たちの領地は、その北東部に位置しているわね」
フィオナがさらりと説明する。俺は地図を見ながら、領地の広大さと森の多さに目を奪われた。
「北東部の防衛を任されているのがレイブンシュラウド家。この地域は奈落の獣が出没しやすい場所でもあるのよ」
窓の外に目をやると、庭園の先に鬱蒼と茂る森が見える。その奥には、奈落の獣が潜むと言われる危険な領域が広がっている。
奈落の獣――俺の前世では聞いたこともない存在だが、この世界では領民を脅かす最も恐ろしい脅威だ。それはただの動物ではなく、異常な力と知性を持つ怪物たちの総称だという。
まあファンタジー世界ではよくあるモンスターということだ。嫌なまとめ方!
「奈落の獣って、具体的にどんな奴らなんだ?」
俺の質問に、フィオナは本を開きながら答える。
「奈落の獣には、いくつかの種類がいるわ。狼のような形状のものや、虫のようなもの、さらには鳥のような巨大な怪物まで。それぞれ異なる力を持ち、領地に甚大な被害を及ぼす存在よ」
本の中には、奈落の獣の特徴や生態についての簡単な記述がある。それによればどうやら野生動物を元に攻撃性や凶暴性を増幅したものが、奈落の獣という総称で呼ばれているのだという。
「動物と同じような姿なんだったら、見分けはつくの?普通の動物と」
「……見ればわかるわ。いやでもね」
フィオナが目を眇めて森を見つめる。
「これらの怪物は、なぜか特定の地域に集まる傾向があるの。私たちの北東部は、その中でも特に頻繁に出没するわ」
「……それって、俺たちの領地だけ損してない?」
「防衛を任されているのは、それだけ家門に力がある証拠でもあるわよ」
(それを力と言うのか……)
俺は少し不満げに呟きながらも、ページをめくり続ける。
***
「騎士の役割は、戦場で戦うだけじゃないのよ」
フィオナがページの一部を指差しながら言う。その指先が示しているのは、「貴族と騎士の責務」という項目だった。
「騎士は領地を守るだけでなく、民を導き、農業や経済を支える柱でもあるわ。だから、こうした知識が重要なの」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「でも、俺に経済とかの知識が必要な場面が想像できないんだけど……」
「必要になるわよ。領地の運営には、戦場だけでなく民の生活を安定させることが欠かせないから」
フィオナはさらりと答えるが、簡単なことじゃあないだろう。こちらを見つめるフィオナから目を逸らして本に目を戻すと、ページには「貴族の責務」がぎっしりと記載されている。「農作物の収穫量の調整」「災害時の対応」「民衆との交流」――どれも俺にはまだ実感が湧かないものばかりだ。
(責任だけが山積みだな。本当にこれが俺にできるのか……)
俺は不安を覚えながらページを閉じた。
***
さてさて。そんなお勉強の時間を通して、あれこれと現代人としての俺も考える。この世界は何なのか、ということを。この世界について学べば学ぶほど、俺の中には一つの推論が確信めいてきている。
(まずここは地球じゃない)
理由は二つある。
一つ目は言語だ。この世界で使われているのは「共通語」と呼ばれる言葉で、その文字や文法は、俺が前世で知っていたどの言語とも一致しない。それでも不思議と自然に話し、読み書きできるのは、きっと転生時に備わった能力の一環だろう。
二つ目は星空だ。この世界の夜空を見上げると、かつて地球で見た北極星やオリオン座は一切存在しない。どの星も見覚えがなく、地球で使われていた星図では全く対応できないのだ。
朝が来て昼が来て夜が来て、という太陽の周期や一日・一月・一年という周期はほぼ同様にある。ただ時間についてはまだ時計は一般的で内容で大雑把だ(寝坊にも寛大なのでこれは良い文化だ)。
太陽系の惑星であることは確かなのだが、それと異なるということはどういうことか。
異世界、全く異なる場所かもしくは異なる惑星にいるということだろう。
(それにしても、文明がまるで違う方向に進んでるよな……)
この世界には、ナイトエンジンのような先進的な技術が存在している一方で、農業や生活の基盤は前世の中世ヨーロッパを思わせるほど原始的だ。その違和感がどうにも拭えない。
(どうしてこの世界にはこんなロボットがあるんだ?)本の中の一ページ、挿絵に描かれて角張った機械人形を見つめる。
ナイトエンジン――巨大な機械兵器。こんなものを作るには、相当高度な科学技術が必要だ。それなのに、どうして他の分野はこれほど遅れているのか。
それをいいだすと俺自身の存在も謎だ。なぜ俺はこんな世界に転生してきたのか。理由はわからない。だが、ここで生きていく以上、この疑問と向き合い続ける必要がある。
***
ともあれ講義は続く。実はすでに蔵書庫で読んだ話もあるのだが、そのあたりはこっそり読んだので知らない体で教わりつつ、あれこれ知識を再確認する。
そうしてやがて、フィオナがページをめくると「駆動騎士の歴史」という章にたどり着いた。そこには、ナイトエンジンの起源について詳しく記されている。
「駆動騎士――ナイトエンジンは、古代文明の遺産であり、現在の技術では完全に再現することができない」
俺はその一文に目を留めた。
「姉さん、駆動騎士って、結局は古代の人たちが作ったってことだよね?」
「ええ、そうよ」
フィオナは頷き、次のページを指差した。そこにはナイトエンジンの図解が描かれている。中はまさに機械仕掛け、複雑怪奇なつくりになっている。歯車やケーブル、モーターかな?多分書いている人も分かってないんだろうな。
「私たちは、その技術を修復し、なんとか維持しているだけ。仕組みを完全に理解しているわけではないわ」
「……じゃあ、漆黒の翼も例外じゃないのか」
「もちろん……と胸を張ることじゃないのかもね」
その一言に、俺はふと漆黒の翼の巨大なフォルムを思い出す。薄暗い地下室で、静かに
佇んでいたあの機体。全身に刻まれた紋章と、闇に溶け込むような漆黒の装甲――それ
は単なる機械を超えた圧倒的な存在感を放っていた。
(12歳に動かす責任を負わせるには、重すぎる代物だよな……)
「漆黒の翼が稼働するには、操縦者のエーテル――つまり精神エネルギーとの同調が不
可欠よ。それを引き出せるかどうかが、ナイトランナーの実力を決めるの。とはいえま
だ焦るような話ではないわ。貴方のものではあるけれど、絶対に乗らないといけない、というわけでもない」
そう。今更ながらナイトエンジンは戦闘用の兵器だ。家の物だから、といってもそう簡単に扱って良いものではない。そのため所有権は俺にあっても、乗り込む許可を得られるまではお預けなのだ。
このことは昨日目の前で見せられた時に伝えられてショックだったが、納得の行く話でもある。
そもそも稼働させるのにも様々な整備が必要とのことで、そちらの手配もまだ途中なのだという。
「貴方は漆黒の翼の所有者だけど、あれはレイヴンシュウラウドの象徴でもある。剣は必要な時に抜ければ良いのよ」
貴族っぽい言い回しの言葉で締める。
その後も勉強は続き、まだ続くのかよ、と3回ぐらい考えたところまで勉強は続いた。
本を閉じるとフィオナが満足そうに頷いた。
「どう? 少しは頭が整理できた?」
「まあね……でも、まだナイトエンジンを動かす自信はないよ」
そう。成人として認められた今、次に考えるべきはそこだろう。
朝の模擬戦でも、午後からの勉強でも、俺が騎士としてどうあるべきか。
そこを問われつつも、教わっていたという実感がある。
俺の言葉に、フィオナは微笑みながらも真剣な眼差しで言った。
「それは誰だって同じよ。最初から完璧にできる人なんていないわ。重要なのは覚悟を持つこと、そして少しずつでも努力を続けることよ」
その言葉は厳しいけれど、どこか温かみもあった。
重い本を机の上に戻しながら、俺は胸の中で漆黒の翼を思い浮かべた。その重厚なフォルムを。
レイヴンシュラウド。貴族としての責務。騎士としての在り方。考えるべきことがぐるぐるとまわり……やがて像を結ぶ。
(……俺が乗るかはともかく、一旦動いた所はみられないかなあ。絶対格好良いよな)
我ながら呑気に、そんな事を思うのだった。
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