第7話 奈落の獣との対峙
木々を押し分けて現れたのは、異形の巨獣だった。
「あれが……奈落の獣か」
俺は息を呑んだ。巨大な狼のような姿だが、その輪郭は異様に歪んでいる。特に長い前
肢と鋭い爪が目を引く。全長4メートルを超えるその体は、黒い毛皮に覆われていた。
その毛皮には、薄紫色の光を放つような奇妙な模様が走り、不気味さを際立たせている
。
そして、その目。赤く輝く瞳が、こちらを見透かしているようだった。鋭い牙を口元か
らのぞかせながら、熱い息を吐き出している。
「成獣だな……ここで仕留めるしかない」
アネットが矢を番え、弓を引く。その矢先には、青白い光……エーテルの光が宿ってい
た。他狩人たちは同様に弓矢をつがえ、騎士たちも槍を構えて、それぞれの武器にエー
テルを纏わせている。
他の村人達は盾を構えて俺を引っ張り込む。どうやら守ってくれるらしい。
「合図をしたら行く。……準備を」
アネットの声が緊張に満ちた空気を引き締める。
俺は村人たちと木陰に下がりながら、状況を見つめた。
「放て!」
アネットの号令と共に、一斉に矢が放たれる。青白い光を放ちながら飛ぶ矢が獣の体を
捉えたが、そのほとんどが硬い毛皮に阻まれた。
「やっぱり効かない……」
「動きを封じる! 網を準備!」
狩人たちの一人が大きな網を広げ、獣の足元を狙って投げ込む。網が絡みつき、一瞬だ
け獣の動きが鈍った。その隙を突き、槍を持った狩人が突進する。
「今だ!」
槍が獣の腹部を捉え、深く刺さる――はずだった。しかし、その硬い筋肉が槍の進行を
阻み、傷は浅い。「くそっ!」騎士が悪態を漏らす。
獣は怒りの咆哮を上げ、網を引きちぎると同時に前肢を振り払った。その一撃で槍を構
えようとした狩人が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「下がれ! 無理に近づくな!」
アネットが叫び、狩人たちは一斉に後退する。しかし、奈落の獣はそれを追うように鋭
い爪を振りかざし、逃げ遅れた狩人に迫る。
(この場にスクワイアがいなければ、俺たちは手も足も出ないんじゃないか?)
背後で控えている1機のスクワイアエンジンに目をやる。3.5メートルほどの小型ナイ
トエンジンだが、その鋼鉄のボディにはエーテル駆動機関が搭載されており、人間では
不可能な力と速度を発揮する。
その時、奈落の獣が低い咆哮を上げた。空気が震え、周囲の木々がざわめく。
「スクワイア、今だ!」
護衛の騎士が叫ぶと、スクワイアエンジンの一機が駆動音を上げて前進する。右腕に装
備されたチェーンブレードが起動し、うなるような音を響かせながら獣に向かって振り
下ろされた。
「押し返せ!」
鋼鉄の刃が獣の前肢を捉え、その硬い毛皮を切り裂く。奈落の獣が悲鳴を上げ、一瞬だ
け後退する。
だが、それも束の間。獣はすぐに反撃に転じ、巨体をぶつけるようにしてスクワイアに
突進した。
「くっ……!」
スクワイアは一瞬よろめくが、衝撃に耐えながら
を続ける。だが、獣の突進力は予想以上で、スクワイアは押し倒されそうになる。
「援護に入る!」
騎士の一人が間合いを詰め、左腕に装備された槍を構えながら突撃する。やりの穂先が
獣の横腹を押し込み、獣の動きが止まる。
「そのまま抑えろ!」
スクワイアはとっさに獣の腕を抱え込み、騎士が脇腹をえぐりこむように突き刺してい
く。だが尻尾による横薙ぎの一撃で、騎士は吹き飛ばされてしまう。
スクワイアも大きく暴れる獣の前に、ついには拘束が解かれてしまう。
(あれだけの重さのあるスクワイアでもこれほど苦戦するなんて……これが奈落の獣の
力なのか)
俺は木陰に身を潜めながら、戦場の光景を見守っていた。
「ガイゼル班に合図を! 応援を要請しろ!」
アネットの鋭い声が森に響く。狩人の一人が木陰へ走り込み鏑矢を空高く打ち上げる。
しかし、応援が到着するまでには時間がかかることは誰の目にも明らかだった。
一瞬鏑矢の音に目を奪われた獣に対し、アネットは屋を放つ。矢は槍が刺さっていた傷
口に突き刺さり、獣が怒りの声を上げる。
「これ以上はもたない……」
その瞳には焦りと決意が交錯していた。手にした弓は矢筒が空になるまで使われ、その
額には汗が光る。
奈落の獣は再び組み付いたスクワイアを振り払い、矢で攻撃する狩人たちの方へ迫って
くる。その巨体が地面を踏みしめるたび、木々が揺れ、轟音が森全体を包んだ。
「網をもう一度! 足を止めるしかない!」
別の狩人が網を投げるが、獣はその動きを見切ったかのように素早く跳躍し、容易く網
を回避する。
「だめだ……動きが速すぎる!」
狩人たちが後退しながら武器を構え直す。俺は村人たちの盾ごしにじっと身を潜め、握
りしめた拳が汗で滑るのを感じていた。
(こんな怪物が、本当に倒せるのか……)
その時、背後の方向から甲高い金属音が響いた。待っていた相手……援軍が来たのだ。
「総員抜剣!」
響き渡るのは父、鎧を身にまとったエドモンドの力強い声だった。その背後には、スク
ワイアを軸に甲冑に身を包んだ騎士団の一隊が整然と並んでいる。全員が戦闘態勢を整
え、武器にエーテルの光をまとわせていた。
「隊形を取れ! 獣を囲め! 距離を保ち、連携攻撃を仕掛ける!」
父の指示で騎士たちは迅速に動き出す。各自の持つ槍や剣にはエーテルの光が宿り、戦
場が青白い輝きに包まれる。
立ち上がったスクワイアエンジンも加勢し、それぞれの役割を果たして獣を分断する動
きを見せた。
「第一陣、突撃!」
父の号令と共に、数人の騎士が槍を構えて突進する。そのうち一本が奈落の獣の肩を深
々と貫き、エーテルの力が傷口を焼いた。
「よし、次の波だ! 足元を狙え!」
次に控えていた別の騎士が素早く間合いを詰め、剣で獣の前肢を斬りつける。動きが鈍
った隙を見逃さず、スクワイアエンジンがその巨体を押さえ込むべく突進する。
「グワァァァァ!」
奈落の獣が咆哮を上げ、暴れる。しかし、騎士たちは冷静だった。父がその動きを読み
切るように後方から指示を飛ばす。
「次で仕留める!」
父がエーテルの光をまとった剣を構え、一気に獣の背後に回り込む。その動きは熟練の
騎士としての威厳を感じさせた。
「これで終わりだ!」
剣が光の軌跡を描きながら振り下ろされ、獣の首を的確に捉える。
巨体が地面に崩れ落ち、森に静寂が戻った。
狩人たちは武器を下ろしながら息を整え、騎士たちも慎重に獣の動きが止まったのを確
認する。スクワイアエンジンが駆動音を止め、静かにその場で立ち尽くしていた。
「坊っちゃん……無事?」
アネットがこちらに戻ってきて、気遣うように声をかけてきた。その顔には疲労が濃く
刻まれているが、ほっとした表情も浮かんでいる。気が抜けたのだろう、外套も外れて
こちらを見やる眼差しは、優しい眼差しだった。嫌われているとかではなかったのか。
「……ああ、大丈夫。なんとかね」
俺はようやく立ち上がり、辺りを見回した。傷だらけの狩人たち、青白い輝きを失った
騎士たちの武器、そして静かに立つスクワイアエンジン。
(これが、この世界で生きるということなのか……)
胸の奥から湧き上がる感情に気づく。それは恐怖でも、安堵でもない。ただ、何かしな
ければならないという思いだ。
(俺も、戦わなきゃいけないんだ。このままじゃだめだ。家族や領地を守るためには、
もっと強くならないと……)
静かに拳を握りしめる俺に気づいたアネットが、優しく微笑んで頷いた。
「初めて獣を見た時、私は怖くて泣き出したのを覚えている。同じくらいの年だった」
そういいながら、そっと顔についた泥を指先で拭ってくれる。
「坊っちゃんは……強い。だから、これから強く、なれる」
こちらの考えを見透かされたのだろうか、不器用ながら掛けられた言葉は旨に響いた。
その言葉に勇気をもらいながら、俺はエドモンドの背中を見上げた。皆に命令しながら
その場を取り仕切るそのその広い背中は、まさに領主であり、騎士のあるべき姿だった
。
子どもは間もなく見つかった。擦り傷などを除けば怪我もなく、五体満足であった。
こうして俺の初めての奈落の獣との遭遇は、終わった。手足が折れるぐらいの負傷者は
出たものの、死者も出ず皆がホッとした顔で帰路についたのだった。
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