投函されない一通の手紙

朝倉亜空

第1話

 平井真理子は一通の手紙をしたためた。自分の正直な気持ちをそのまま便箋に書き綴った。

 それは、ひそかに思いを寄せているクラスメイトの江口祐樹への告白文だった。

 ぎこちない文章ながらも、文面に宿る、相手への情愛はちゃんと伝わるように書かれてあった。

 真理子たちは高校三年生。そして、今は冬休みが終わったばかりの三学期。まもなく卒業であり、そうなると、もう、会えなくなる。その、苦しさとも悲しさともつかない感情から、気が付けば、真理子はこの一通の手紙を書きあげていたのだ。

 真理子はそれを真新しい封筒に入れ、学校帰りに近所のコンビニで買っていたホットの缶コーヒーのプルタブを開けた。

「祐樹君、カンパーイ」

 小声で一言そう言うと、コクッとひとつ口をつけた。祐樹君もちょうど今、飲んでるかな……。

 コーヒー缶には応募シールが張り付けてある。冬のキャンペーンということで、シール五枚を一口にハガキに貼って応募すると、メジャーリーグのスーパースター、大岩正太郎のサインボールが当たるのだ。

 コーヒーを飲み切り、真理子は缶からシールをはがし、ハガキに張り付けた。ちょうど五枚目のシールだった。

 ハガキの送り先としてメーカーの住所とメーカー名を書き、ウラには送り主として江口祐樹の住所と名前を書いた。祐樹が大岩選手の大ファンで、このサインボールキャンペーンに何度も応募していることを伝え聞いていたので、真理子もこっそり手伝って、なりすましの応募をしているのだった。もう、七、八口は出しているし、もう、美味しく感じない。惰性の産物として、かなり体形がぽっちゃりしてきた。ええい、構うもんか。

 ハガキの住所は書いた。さて、手紙を入れた封筒はどうするか。わかっている。どうせ出さない。

 願い通りになれば言うことはないが、そんなうまくいくもんじゃない。

 今現在、「あ、おはよう」と「じゃ、またあしたね」は言わせてもらえるポジションにいるのだ。この手紙を送ってしまえば、普通に考えて、その立ち位置もなくなるだろう。それ以前に、顔を合わせることもできなくなってしまう。

 ただ、勢いで書いてしまった手紙ラブ・レターなのだ。だから、出さない。

 なのに、手が勝手に住所と名前を書いた。ウラには自分の住所、名前まで。どうしてか。いや、どうかしてる。何を期待しているの、あなた……?

 翌朝、学校へ向かった真理子はキャンペーンハガキを持って家を出るのを忘れたことを思い出した。通学途中にあるポストに投函するつもりだったのだ。こういうものは少しでも早く送付したほうが当選しやすくなる筈だとの真理子の思い込みがあった。なので、真理子は母に、机の上のハガキを投函してほしいとラインを送った。

 昼休みに母から、送ったよとのラインが来た。

「お母さん、ただいま。ハガキ、ありがとうね」

 帰宅後、真理子は母に言った。

「真理子、ハガキは良いけど、一緒に置いてあった手紙の封筒に切手がなかったわよ。母さん、切手代出しといたから、今度から気を付けるのよ」

 母のせりふに真理子は腰が抜けそうになった。

「ええっ! あれ出しちゃったのーっ。何でーっ。ダメじゃない! 頼んでないのにぃー」

 母さんのせいで、もう、学校へ行けない! と、叫ぶように言いながら、真理子は小走りで自室にこもってしまった。 

 バカバカ、母さんのバカ。もう、学校へ行けない。祐樹君の笑った顔も見れない。声も聴けない。そのうち、誰かに知られて、いい笑いものだ。……辞めよう……。もう、学校、辞めよう……。真理子は泣き出し、部屋から出なくなった。 


 真理子が不登校になって、十日以上が過ぎた。絶対に退学すると、家族会議で大モメし、心配した担任教師が家庭訪問に来るのも追い返し、真理子の思いつめ方は半端なかった。そんなある日、ポストに一通の手紙が入っていた。母から受け取ったそれは真理子が書いた江口祐樹への物だった。封筒の表面には「あて所に尋ねあたりません」と赤いハンコが押してあった。真理子はあの時、誤って、ドリンクメーカーの住所を記していたのだった。ああ! よかったーぁ!

「真理子、圭子ちゃんがきてくれたわよ。上がってもらうわね」

 母が言った。

「真理子大丈夫? 心配してるよ。なんかあったの?」

 部屋に入ってきた圭子が言った。圭子は真理子の親友である。

「ううん。もう大丈夫! 明日から学校、行くから! 長い間、心配かけてごめんね」

 真理子は朗らかに言った。

「よかった。安心したわ。じゃあ、ちょっと私の話を聞いて! 真理子もびっくりするから!」

「えー、なによそれー。聞かせて聞かせてー」

「江口君ってさ、気になる子がいたみたい。だけど、その子はろくに会話をしてくれず、話すのは「おはよう」「さよなら」くらいなんだって。どうも僕は避けられてるみたいだしって、彼が言うのね。だったら、私が付き合ったげるよって言ったら、すんなりゴールインできちゃった。ああ幸せ」

 圭子はニヤけ顔で言った。

 真理子の不登校はこの後も長く引きずり続いた……。







   



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