第4話 僧都殿の霊

今では昔のことですが、冷泉れいぜい小路こうじひがし洞院とういん通りの交わる南東の角は僧都そうず殿どのという非常に不吉な場所で、人がおだやかに暮らせるような場所ではありませんでした。


冷泉小路の北には左大弁さだいべんを務めた源扶義すけのりという人の屋敷がありましたが、そこにかつて住んでいたのは、その妻の父である讃岐守源是輔これすけです。



さて、是輔これすけの屋敷から見ると、向かいの僧都そうず殿どのの北西の角に高いえのきの木があるのが見えますが、夕暮れ時になると僧都そうず殿どの寝殿よどのから赤い着物が飛び出してきて、その榎の木の上まで登るということが続いたのです。


それで、人々は恐れて近寄ることもなくなったのですが、是輔これすけの屋敷の警備の男が着物が飛んでいくのを見て「俺があの着物を射落としてやろう」と言いました。


それを聞いた者たちは「お前にできるものか」と囃し立てました。


「必ず射てやる」


言い争いとなると男はそう断言して、夕暮れ時に僧都殿に行き、南に面した濡れ縁にひらりと上ってその時を待つことにしました。


すると東側の竹の生えた辺りから、例の赤い着物が現れて、聞いていた通りに庭へふわりと飛び上がりました。


これを見た男は、雁股かりまたの矢を弓につがえて、強く引いておもいっきり放ちました。


矢は当然突き抜けていくものと思われましたが、着物は矢が刺さったまま、やはり榎の木へと登っていったのでした。


男が矢の当たった辺りを見に行くと、土の上には血のこぼれたあとが残っていました。



男が是輔これすけの屋敷に戻ってこのことを話すと、男と言い争った者たちはとても恐れました。


そしてその男は、その夜に寝ながら死んでいたそうです。


後でこのことを聞いた人たちは皆「利益にもならないことをして死ぬとは」と呆れました。


命より大切なものはないのに、わけもなく勇猛さを示そうとして死ぬだなんて全く無駄なことだと、人々は語り伝えて来たのでした。




冷泉院東洞院僧都殿霊語 第四


今昔、冷泉れいぜい院よりは南、東の洞院とういんより東の角は、僧都そうず殿どのと云ふきわめたるあしき所也。れば、打解うちとけて人住む事無かりけり。


しかるに、其の冷泉れいぜい院よりは只北は、左大弁さだいべん宰相さいしょう源の扶義すけのりと云ける人の家也。其の左大弁さだいべんの宰相のしゅうとは、讃岐のかみ源の是輔これすけと云ける人也。


其れに、其の家にて見ければ、向の僧都殿の戌亥いぬいの角には、大きに高きえのきの木有けり。れはどきに成れば、寝殿よどのの前より赤き単衣ひとえぎぬとびて、戌亥いぬいの榎の木の方様かたざまとびゆきて、木の末になむのぼりける。


れば、人、此れを見ておじあたりへも寄らざりけるに、彼の讃岐守の家に宿直とのいしけるつわもの也ける男の、此のひとえの飛行くを見て、「おのれはしも、単衣ひとえぎぬをば射落してむかし」と云ければ、此れを聞く者共、「更に射じ」といさかいをして、彼の男を励まし云ければ、男、「必ず射む」と諍ひて、夕暮方に彼の僧都殿に行て、南面なる簀子すのこやはのぼりて待居たりける程に、東の方に竹の少し生たりける中より、此の赤単あかひとえ、例の様にはへ飛て渡けるを、男、雁胯かりまたを弓につがえて、強く引て射たりければ、「単衣ひとえぎぬの中を射貫くと」おぼしけるに、単衣ひとえぎぬたてながら、同様に榎の木の末に登りにけり。其のの当りぬと見る所の土を見ければ、血多くこぼれたりけり。


男は本の讃岐の守の家に返て、諍つる者共に会て、此の由を語ければ、諍ふ者共、極く恐けり。其のつわものは、其の夜、寝死になむ死にける。れば、此の諍ふ者共より始めて此れを聞く人、皆、「えき無きわざして死ぬる者かな」となむ云ひそしりける。


実に人は命に増す物は無きに、由無く「猛き心を見えむ」とて死ぬる、極て益無き事也となむ語り伝へたるとや。




*源扶義すけのりは、藤原道長の妻倫子の異母兄。

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今昔物語〜本朝つけたり霊鬼 大高長太 @Ootaka_Chota

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