2章 現場:浴室

第5話 すぐに冷める風呂の湯に困っている藤ノ森家を訪問

 集合住宅で暮らす藤ノ森家の風呂で異変が起こったのは、五日前のことだ。

 沸かした湯がすぐに冷める。

 最初にそれに気付いたのは高校生の息子だった。


 その日、夜遅くまで動画視聴をしていた息子が風呂に入ったのは、日付が変わった深夜だった。これは珍しいことではなく、藤ノ森家では大方いつもこの息子が最後に風呂に入る。


 湯沸かし機能がついているので、冷めきった湯を沸かすのだが、そうするとボイラーの音で寝ていた両親のどちらか、あるは両方が起き出してくる。


「今から風呂に入るのか」と咎める親に対し、「宿題をしてたんだよ、テスト勉強をしてたんだ」と息子が言い返すのがパターンだった。


 五日前のこの夜は、ボイラー音で起きた母親が「何時だと思ってるの」と叱る。すると息子のほうは、昨晩は起きなかったくせに、と不機嫌になり、母親を無視して脱衣場に入り鍵をかけた。


 湯は少し熱いくらいが息子の好みだ。浴槽でゆっくり温まり、それから髪や体を洗う。そして再び浴槽に入り——。


「冷たっ」


 湯が冷めたレベルではない。水風呂だ。真冬でもこれほど急激に湯が冷めることはない。ましてや今は九月である。不思議で仕方なかったが、改めて湯を沸かす気にもなれず、息子はシャワーで湯を温まり、浴室を出た。


「かあさん、風呂が変だったよ」


 翌朝である。冷めた湯について報告したが、母親は「遅くまで起きているから罰が当たったのだ」と言って、まともに取り合わなかった。


 しかしその日の夜だ。


「えっ⁉」


 今度は母親が入浴中に異変が起きた。


 長湯をしていたわけでない。目を閉じて体を休めていた数秒の間に、見る間に湯が冷えていき、慌てて追い焚き機能を使う。それでも温もる気がしなくて早々に風呂を出た。


「やっぱり壊れてるみたいね」


 その夜。母親からそう聞かされた息子は、端からシャワーだけ使ったのだが、なんとシャワーの湯まで浴びている最中に冷水に変わっていく。ボイラーが壊れた。九月とはいえ、この調子では寒くてたまらない。一家は大家に連絡し、翌日、修理工がやって来たのだが。


「故障はどこにもありませんね」


 そう言われてしまう。でも実際に湯は冷めたし、このまま何もしないで帰られても困る。

 結局、部品をいくつか交換して修理工は帰って行った。でも。


「だめ、壊れてるよ」


 珍しく早い時刻に一番風呂に入った息子がタオルを巻いた格好で、家族に文句を言いに出てきた。熱湯だと思っても足を入れている間に、湯が冷めていったそうだ。


 シャワーにしてみても、数秒で冷水に変わる。しかもその冷水の温度が、日を追うごとに下がり、この日はまるで氷水のようだ、と。


 仕方なく一家は近所の温浴施設に出向き入浴を済ませた。

 そして翌日、再び大家に連絡し、別の修理工に依頼して来てもらったのだが。


 それでも故障箇所は見つからない。冷水に変わる原因がわからずにいる。


 困るやら腹が立つやら。一家は大家に、空き部屋があるなら、そちらに移りたいと相談した。すると大家が言い出したのだ。


「原因不明なら、神原相談所に連絡してみましょう」


 ◇


 ヒコが呼び鈴を鳴らすと、四十代半ばくらいの女性がドアを開けた。美織はやや後方に立ち、その様子を見ていたのだが、女性はヒコを見上げ、ぎょっとたじろいでいる。この反応はありがちだ。幼馴染の美織には見慣れた光景である。


 ハーフのヒコは田舎町では浮きまくる容姿をしている。目元は洋の雰囲気が特に強いし鼻も高い。黙っていれば王子様、とは美織の同級生たちがよく言った言葉だ。


 だから初めて見た人は少なからず動揺を見せる。日本語で話しているのにハローハロー、ノーセンキューと返されている姿を美織は何度も目にしていた。ましてヒコは背が高い。幼少期は美織と変わらなかったのに、いつの間にか追い越され、現在180cm以上ある。


 そんな謎の長身ハーフの出現に、女性は開けたドアを閉めそうになっていた。そこへヒコがハキハキと言う。


「神原相談所ですっ」


 園児のような元気いっぱいの言い方に美織は笑えたが、女性はますます顔を引きつらせている。その後、名刺でも出すのかと黙って見守っていた美織だが、ヒコはニコニコしたまま何も取り出さず、こう続けた。


「お祓いに来ました。藤ノ森さんであってますよねー?」


 ◇


 霊障専門の神原相談所は有名だと美織の両親は豪語していたが、依頼人の女性を見るに、知名度は低そうだ。やっぱりそうだよな、と美織は思う。胡散臭げにヒコを見やる目つきに、美織は不快さではなく共感を覚えた。


「お風呂が、お困りの現場なんですよね?」

「はあ、ええまあ」

「お湯が冷めちゃうって」

「そうです。シャワーもダメでして」

「それは困っちゃいますね!」

「え、ええ」


 ちら、と女性は美織を見やる。この男、大丈夫なのか、って視線だ。でも美織としても微笑みを返すしかやりようがない。


 ヒコからは「俺が立派に働くの、オリリン見ててね!」と自信満々に言われただけで、詳しい依頼内容もそうだが、除霊の仕方だって、まったく教えてもらっていない。


 だから何を口出ししていいかもわからないし、そもそも自分は上がらずに車で待っとけばよかった、と後悔している。


 それにしても案内された風呂は、いたって一般的なものだ。目を引く設備があるわけでも、場違いな物体が存在するわけでもない。古びた感じはするものの、掃除もきちんとしてあり清潔である。除霊の必要があるから依頼があったのだろうが、美織には何の違和感もなかった。


 ヒコは「ちょっと調べますねー」と言って浴室に入っていく。そしてスマホを取り出し、周囲を撮影し始めた。


 一方、玄関から一直線に風呂場まで案内してくれた女性なのだが、ずっとスマホ画面を気にしていて何かを確認している。いつでも通報してやるぞ、というアピールなのかもしれない。どうやら相談所に連絡したのはこの女性ではなく、集合住宅の大家らしいのだ。


 だから女性からすると、大家が勝手に呼んだ怪しげな除霊師が上がり込んできている状況なのだろう。しかもこの除霊師がへらへらした若い長身ハーフの男で、さらには一言も言葉を発しない女が背後霊のように一緒にいる。これで不安にならないほうがおかしい。


「お時間、大丈夫ですか?」


 美織はなるべく場を和ませようと女性に話しかけた。すると女性は少しほっとしたのか、ヒコに向けていた監視するような視線を少し緩ませる。


「実はこの後、仕事に出なくちゃいけなくて」

「お忙しいところすみません」

「いいえ、こちらが呼んで来て頂いたので……。でも、あれは何をしてるんですか?」


 何をしてるんでしょう、とは美織も思った。


 ヒコはさっきからずっとスマホで動画を撮っている。無言で隅々まで。今は壁際のパッキンを這いつくばるようにして撮影していた。住人からすると気持ちの良い光景ではないだろう。


「彼は、その……ヒコッ」


 美織は自分も浴室に入り、ヒコに耳打ちした。


「あんた、さっきから何やってんの」

「仕事ぉ」

「そうじゃなくて。スマホで撮影して何してるのか具体的に話して。依頼人にっ!」


 美織がスマホをとりあげる仕草をすると、ヒコは撮影をやめ、「ああ、そっかー」と笑顔で依頼人を振り返る。


「あのですねー、俺って除霊師じゃなくて、除霊師の助手なんです。だから何の力もないんです、あははー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月18日 18:30
2024年12月19日 18:30
2024年12月20日 18:30

その霊障、解決します!(全35話) 竹神チエ @chokorabonbon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画