第4話 逃げ帰りたくなる家に住むことになった

 一階にある居間で美織は座卓を挟んでヒコと向かい合って座っていた。ヒコが「どうぞ粗茶なりでございます」と丁重な態度で麦茶を出してくれたが、まだ口をつけていない。


「この家、他にもああいった不気味な物があるんじゃないでしょうね」

「ど、どうかな」


 ヒコの目は面白いほど泳いでいる。

 美織は舌打ちし、グラスを手に取った。


 寸胴で下半分にボーダー柄が入っているこのグラスも昭和からありそうなレトロデザインだが、からからと音と立ててまわっている扇風機も古めかしく、昭和から働いていそうだ。音の盛大さのわりに働きっぷりは寂しく、暑くてたまらない。グラスは結露で雫を垂らしていて、座卓はびしょびしょだ。


 美織はグラスを置くと、Tシャツで手を拭いた。ヒコが「あっ、お台拭きをお持ちしまする」と膝立ちで移動し、台所に消える。台所は居間の隣にあり、格子のすりガラスがはまる引き戸で区切られていた。


「……お父さんは知ってたんだね」


 美織は周囲を見回す。この居間にも何かあるかもしれない。


 父親は軽トラの荷台から荷物を下ろすのは手伝ってくれたが、思い返せば不自然なほど相談所の中に入ろうとしてなかった。美織の部屋は二階だとヒコが伝えても、玄関先に次々と荷物を置いていくだけ。靴すら脱ごうとしなかった。


 それほど量がなかったとはいえ残暑厳しい日に力仕事をしたのだ。休憩にお茶の一杯でも飲んでいけばよかったのだし、これから娘が幼馴染と一緒に暮らす家でもある。お宅拝見したってヒコは何も嫌がらなかったろう。


 ってのに全く興味を示さず、荷物と美織を置いたら逃げるように帰って行った。がんばれよ、の言葉を残して……。


「ヒコ」


 美織は腕組みして台拭きを手に戻って来たヒコを見やる。

 ヒコは「ヘイ」と返事して正座すると肩を丸めて小さくなった。


「他にも不気味要素があるなら、今のうちに言って」

「オリリン、出て行かない?」

「……あの部屋はイヤ。論外。他がマシならまだ我慢できる。というか、あの部屋、何があってあんなお経だらけの畳になってんの?」


「うーんとね、そーのね」


 ヒコはモジモジして粘ったが、美織が「ヒコッ」と怒鳴るとびくっとしたあと、眉と目尻を下げ、ショボショボと打ち明けた。


「この家ね、元々は依頼のあったお家だったんだって。それをね、おじちゃんがただ同然で買ったわけ」


「……依頼ってことは何か心霊現象があったの?」

「それはよく知らない」

「本当に聞いてないわけ?」


 こくっと、うなずくヒコ。美織は疑いの眼差しを向ける。


「ヒコ。私、嘘つきは嫌いだよ」

「う、嘘なんかついてないよ。詳しく聞いてないだけ。暮らしてる人が『困ったなあ、良くないなあ』って事があったんだって。でももう大丈夫。おじちゃんが祓ったから」


「でもその人たちは住むのやめたんでしょ?」

「おじちゃんに安く売ってくれただけで住むのをやめたとは違うよ」

「違わないと思うよ」

「でもさ、もしかしたら住み続けようとしたけど、引っ越す必要ができて仕方なくかもよ」


「ふーん」

「でもね、そのー、他にもね、この家、畳み以外にも、いろいろあるんだよね」

「やっぱり」


 カメが甲羅に引っ込むみたいに首を縮めたヒコは、膝立ちになると、座卓を周って美織のそばまで来る。


「オリリン、出て行かないでね」


 ヒコが二の腕を掴んでくるので、美織は勢いよく振り払った。


「白状しろ。他に何があるんだい!」

「え、えとね。おじちゃん、依頼受けるでしょ?」


「霊能者だもんね」

「除霊師ね。んで、その除霊して欲しいこととかの他にも、困ったこととかの相談も受けるわけでね」


「神原相談所だもんね」

「うん。それで相談を受けたあと、いろいろ持ち帰っちゃうわけ」

「持ち帰る?」


「……呪物みたいなものとか、いわくありげな物とかをたくさん。あとおじちゃんのことが気に入って憑いて来たり、来なかったりする場合も……?」


 ヒコは人懐っこい表情でにこりとしたが、美織は背中のあたりがぞくっとした。


「何か憑いてるの、この家?」

「……うん」

「何がいるの?」

「いるのはね、えーっと、大きいのが一匹、かわいいのが一匹?」


 こてりと首を傾げている。


「ヒコ。匹ってなに? オバケって匹で数えるんだっけ?」

「知らない。人より匹って感じなのがいるだけだよ」

「……あんた、よくここに住めるね」


 子どもの頃のヒコは、美織より怖がりだった。


 美織が図書室で学校の怪談系の怖い話や世界の未確認生物図鑑などを借りて読んでいると、「こわくないの?」と引きつった顔をよくしていた。美織が怖い話を聞かせると耳を塞いで悲鳴を上げていたのも覚えている。


「俺も最初は怖かったよ。でも、しばらくおじちゃんと一緒に暮らしてたら、そのうち慣れちゃったんだ」

「そういうもん?」


「うん。だからオリリンも俺と住んでたらそのうち慣れるよ」

「絶対、慣れないと思うよ」

「大丈夫。俺が平気になってるんだ。オリリンなら一晩寝たらへっちゃらさ」


 イエーイ、とサムズアップするが、美織は「んなアホな」と鼻で笑う。


「それより、そろそろ行かなくちゃならんのです」


 ヒコは話題を避けるようにして急に立ちあがる。


「何かあるの?」

「うん、依頼」


 美織に手を差し伸べてくる。


「行こ。オリリン、初仕事だよ。今日はね、出向く依頼なんだけど、聞いた感じだとすぐ終わりそうだから、帰りにカーテン買いに行こうよ」


 ◇


 相談所の車庫には軽自動車が一台停まっていた。水色の車体で、確かフランス語で動物の名前がついていた可愛い系の車種だ。ヒコが運転する助手席に乗り込み、美織は嫌々ながら依頼の家に向かうことにした。


 行き先も霊障が起こっている現場だが、お経だらけの畳に、何か憑いているらしい家で一人取り残されても困るからだ。それならまだヒコがいるだけ、外に出ていたほうが良い。


「それで何が起こってて依頼があったわけ?」

「お風呂がね、すぐ冷めちゃうんだって」

「……それ除霊師呼ぶ仕事なの?」

「まあ行けばわかるんじゃない?」


 ヒコの運転は乱暴ではないのだが、道路の状態が悪いらしくガタガタと揺れる。車体が跳ねるたびにチャリチャリと小銭が鳴る音が聞こえ、気になった美織は音の出どころを探して下を向く。


「お金、落ちてない?」

「うーん、大丈夫。いつも聞こえるやつだから」

「ハ?」


 足元かな、と潜るように下を見ていた美織は上体をねじり問い返す。


「もしかしてこの車も何かあるんじゃないでしょうね」

「大丈夫。運転してて問題ないもん」


 旧型で結構な年月使っているのか、車内の橙色のシートは擦り切れ、ヒコが握るハンドルも皮が剥けるみたいに所々が破れている。


「事故車?」

「よく知らないんだ。でもチャリチャリ音がするのと、突然ね、カーナビがつく。これ軽だけど結構良いカーナビが付いてるんだよ。すごいよねー」


「へー……で、カーナビは勝手につくだけ?」

「山奥のトンネルに誘導しようとするんだけど無視したらいいだけ。それにいつもじゃないよ。普通に使える日のほうが多いから大丈夫」


「……ヒコ、私、降りる」

「オリリン危ないよ。このドア、ロック甘いからちゃんと座って」

「やだ。次の信号で停まったら飛び下りるからね」

「まさかー。えっ、ちょっとオリリンっ、ダメだって!!」

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