第3話 父親に神原相談所まで軽トラで送ってもらう
「お父さんって相談所の場所、知ってんの?」
軽トラの助手席。美織は運転する父親に話しかけた。
行き先はクリーンセンター……ではなくて、ヒコが働く神原相談所だ。
「神原さんなら知ってるよ。有名だから」
「それお母さんも言ってたけど、私、全然知らないよ、神原相談所なんてさ。ヒコにおじさんがいるのだって昨日知ったし。霊能者とか言ってるけど大丈夫なの?」
「除霊師な」
「似たようなもんじゃん」
「まあなあ」
のんびり返してくる父親。その横顔は口角が上がり機嫌が良さそうだ。
「お父さん、私が出て行くのがそんなにうれしいんだ」
普段優しい父親だ。拗ねて見せたのだが、
「出て行くって言っても同じ市内じゃないか。買い物のついでにいつでも寄れる」
前はそうは行かなかったろー、と続けば、美織も口を引き結ぶしかない。
職を得て引っ越したものの住んでいたのは県内だ。
それでも北部のほうに出ていたので、去年は盆と年末に帰っただけ。今年はちっとも帰らなかった。さらには積極的に連絡しようともせずにいたので、車で15分ほどの距離に越すからって寂しいもへったくれもない。
「それでヒコくんにはちゃんと連絡した?」
前を見たまま、父親が聞く。
美織は握っていたスマホの画面を見つめた。
「まだ。昨日は断ってるし」
「でも今から行くって伝えないと」
美織は嘆息する。
母親に今すぐ行けと急かされて、あたふたと身支度を整え出てきた。
その間に、母親の号令で軽トラの荷台から学習机が下ろされ、代わりに美織がアパートから持ってきた荷物が載せられて現在に至るのだが。
「かけたほうが良いかなあ」
「そりゃそうだろ。早くしろ。あと10分もしないうちに到着するから」
せっかちな話だ。また嘆息が出る。仕事の手伝いを断ったくせに、今度はそっちで暮らすから今から行く、だ。幼馴染のヒコ相手でも恥ずかしくなる。
美織は三度目のため息のあと、えいやっ、と連絡先をタップしてスマホを耳に当てる。相手はすぐに出た。
「ヒコ?」
『オリリン、気ぃ変わったあ?』
「変わった。仕事手伝うよ。でもさあ、住み込み何て言わなかったじゃん」
『そうだっけ?』
ったく、と美織。
ヒコはへらへらした調子で言う。
『オリリン、俺と一緒に住も。楽しいよ。今ね、部屋の掃除してたところ。二階のね、景色が良く見える部屋にしたー』
「景色は別に……って。ヒコ、あんた部屋の掃除してたの?」
『うん。この部屋は俺、使ってなかったから、埃がね。あとおじちゃんの荷物もあったから物置に移動させてー。俺、昨日から片付けてたんだー』
「あのさ、昨日私、仕事は手伝わないって断ったよね?」
『あー、それねー』
ヒコのゆったりした返事に、美織はちょっとイラっとくる。
「どうして昨日から掃除してたの。あんたうちのお母さんと結託してたんでしょ」
責め立ててみるが、ヒコは『おばちゃん?』とぽやりとした返事。
『違うよ。おじちゃんがさ、昨日オリリンと話したすぐあとくらいに電話してきて、「美織ちゃんが来るから部屋掃除しとけ」って。それと朝の9時に来るって時間も言ってたんだけど、今、車からかけてる?』
「どうしてそんなことまで」
美織が愕然としていると、
「霊視だな」
会話を聞いていたらしい父親が前を向いたまま言う。
「雅也さんはそういうことが出来る。スゴイ人だからな」
なぜか我が事のようにドヤっている。
『オリリーン?』
「……あんたのおじさん怖いわ。そこら中に信者いるじゃん」
美織は弱々しく言って通話を切った。
◇
神原相談所と言うくらいだから看板があり事務所のようなものを構えているのかと思っていた美織だが、軽トラが停まったのは二階建ての古風な日本家屋だった。市内に位置するが、中心区からは離れており、周囲は民家より田畑のほうが多い静かな場所だ。
「オリリン、オリリンのおじちゃん、いらっしゃーい!!」
外で待っていたヒコが跳びつかんばかりに駆け寄ってくる。ヒコは生まれつき地毛が明るい茶色をしているのもあって、美織は彼を見るたび、犬を連想する。舌を出し、わんわん吠えながら飛び掛かって来る大型のレトリバーとか。
「オリリン、見て見て。相談所、古いけど純和風って感じの家で雰囲気あるでしょ?」
「うんまあねえ」
黒色のいかつい屋根瓦に外壁は黒塗りの板張りだ。そこまで大きな家ではなく、二階に二部屋あるかないか。玄関はすりガラスの引き戸で、こじんまりとした庭は、松やサツキなど和の植栽で埋まっている。
「ヒコくん、美織をよろしく」
運転席から下りてきた父親が、ヒコと握手している。
「うん、任せて。俺ね、家事全般できる男だからね、美織さんの手は煩わせませんよ!」
「美織、良い人を見つけたなあ」
「お義父さん……!」
熱い抱擁をし始めた二人に美織は冷めた目を向けた。
「何それ、ふざけてんの。っていうか、相手がヒコとはいえさ。両親そろって娘が男と二人暮らしするのに賛成っておかしくない?」
「お父さんは、その娘がヒコくんに迷惑をかけないかが心配だ」
「大丈夫だよ、お義父さん。俺、美織さんと暮らせるだけで幸せだもん」
「ヒコくん、ありがとう」
抱擁。
「ねーっ、お父さん、荷物下ろすの手伝ってよ。あっ、ヒコ。自転車だけどさあ、どこに置いたらいい?」
美織が軽トラの荷台から声をかけるが、父と幼馴染は抱擁し続け、「美織を頼む」「任せてお義父さん」と言い合うばかりで、ちっとも役に立たなかった。
◇
父親が去り、荷物を置くとさっそく二階に移動した二人。
「この部屋がオリリンの部屋だよ。花柄のカーテンがあったからかけておいた」
ヒコが自慢げに見せてきたが、美織はすぐさま顔をしかめる。
「花柄なんてヒコの趣味じゃん。無地のにしてよ」
「うーん、そう? かわいいのにー」
「だから、あんたの趣味じゃん」
「俺の趣味はねー、もっとカワイイ小花柄だよー。これは派手で立派だし、オリリンに似合うかと思って」
「あんたの中で私ってどんなイメージなわけ? やだよ、こんな成金マダムみたいなの。花柄って言っても一個が顔くらいでかいじゃん」
牡丹、あるいは八重のバラか。赤や濃いピンク色の花が、でん、でん、でん、とカーテン全体にプリントしてある。雌しべにラメが付いていてキラキラしているから値は張りそうだが、カーテンの柄というより着物の柄みたいだった。
「じゃあ外すぅ」
ヒコはカーテンレールに手を伸ばしたが。
「代わりのカーテンある?」
「なーい」
「じゃあ、とりあえずこのままでいいよ」
「オッケー。今度一緒に新しいの買いに行こーね」
「一人で行く」
「一緒に行こーよーぅ」
「ああっもう! わかったから抱きつくな」
後ろからべったりのしかかるように抱きついてきたヒコの腹を、美織は肘で押し返す。ヒコはあっさり回していた腕を放したが、「オリリン、ハグいやぁ?」と悲しげだ。頭に耳が生えていたら、ぺたりと折れていたことだろう。
「嫌」
「ちぇー」
「あのさ。触ってこられると咄嗟に殴るかもしれないからやめて」
「わかったー」
挙手して了解するヒコ。でもその表情はしょぼくれて一回り体が縮んでしまったようだ。
ヒコを異性として意識したくはない美織。でも元カレとのこともあり、接触に敏感になっていたから、喧嘩になる前に、はっきりさせておきたかった。
「まあまあいい部屋だね」
美織は話題を変えようと窓を見やる。
「日当たりが良さそう」
窓が大きいので景色がよく見えた。稲が眩しい田んぼと、その奥に走る県道。さらに向こう側は山の連なりが広がる。田舎育ちの美織にとっては、いつもの光景ではあるけれど気分が悪くなるものではない。
美織はひとまず満足し、家具の配置はどうしようか、と中に目を向ける。片付けた、と言うだけあって、木製のベッドが入り口に対して垂直に配置してあるだけで何もない。片側は押し入れで、襖を外した状態になっており空になっている。
床は一見フローリングに見えたが、濃いブラウン色のクッションフロアのシートが敷いてあるようで、踏み心地が床のそれとは違った。
「この下って畳?」
美織が踏みしめながら聞く。
「うん本当はね、畳。でもわかんないでしょ。俺の部屋はね、畳に布団。そっちがよかった?」
「いやー、ベッドで良いんだけど」
美織は見回しながら歩く。と、フロアシートが隅で少し膨らむように浮いていたので何の気なしにめくってみた。
「あっ」と叫んだのはヒコだ。
美織は絶句して、めくったフロアシートをすぐさま元に戻す。
目にしたものに酷暑が吹っ飛ぶほど全身が冷えた。
「あんた、知ってたね?」
「う、うん。まあね」
視線を逸らすヒコに美織は詰め寄る。
「あの文字がびっしり書いてある畳、何なのよ!!」
墨で書いた達筆な文字。一瞬目にしただけで焼きついてしまった。
美織はヒコのシャツの襟を掴んで絞り上げた。
「もしかして全面そうなんじゃないでしょうね」
「え、えっとね。あれはね、お経みたいなものだよ。だから平気。でも気味が悪いからね、こうしてフローリングっぽくして隠してあるんだよ」
ナイスアイディーアっ、と発音良く言う顔に美織は怒鳴る。
「部屋替えて!!」
「でも聞いて。文字があるってことはお祓いが済んでるから安全で意味で——」
「やだやだやだっ、お祓いってあの文字でしょっ、あんなのびっしり書いてある上で寝られるわけないじゃんっ!! ベッドがある? バカなの、上は上でしょうが!!」
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