第2話 夕飯にそうめんを食べていたら母親から三択を迫られる

 その日の夕飯。美織はそうめんを食べていた。

 星空家のそうめんはぶっかけ方式だったので、どんぶりに麺とつゆが一緒に入っている。

 そこに天かすとおろししょうが、刻んだオクラが混ざる。

 おかずは焼き餃子だ。


「そういやあんた、ヒコくんから電話あった?」

「ゴフッ」


 母親の言葉に一瞬、この人まで霊視を始めたかと、噴いた美織だが、思い当たる節がある。


「お母さんさあ、ヒコに仕事辞めたって話したでしょ。勝手に言わないで。プライバシー」

「何を偉そうに。プライバシーがどうしたっての」

「まさか他にも言いふらしてないよね」


 にらみつける美織だが、向かいに座る母親は倍の威力でにらみ返してくる。


「あんたね、独り立ちしたと思った娘が急に帰って来て一日中家にいるようになったら、ご近所さんだってどうしたのって思うじゃない。で、こっちだて聞かれたら、プライバシーです、なんて答えられるとでも? お母さんにだって近所付き合いってもんがあるんです」


「だからってさあ」


 この調子では聞かれた人全員にベラベラ話しているのでは?

 あんまりじゃないか。美織の心は涙である。

 うまくはぐらかすとか、してくれても良かったじゃない。

 すると美織の母親は胸を張って言い返す。


「だからうまく言ってあげてたわよ。ブラック企業に勤めてて過労死寸前になってたから、帰って来なさいって私が言って辞めさせたんですよ、今は療養中です、って。良いお母さんでしょうが」


「べつにブラック企業じゃないし。会社の環境は良かったよ」

「じゃあなんで辞めたの」

「……それはまあ、いろいろあって。こっちが迷惑かけたって言うか」

「若い娘がそんな言い方したら上司と不倫でもしたのかと思われるわ」


「全然違うし。どういう発想してんの?」

「じゃあブラックでもいいでしょうよ」


 母親は威嚇するようにズッと勢いよくそうめんをすする。

 対して美織はもたもたと麺を口に運んでいく。


「で。ヒコくんにはなんて返事したの? 一緒に住みます、よろしくお願いします、って?」

「ハ?」

「住み込みで働いてほしいって話でしょ。行くのよね、まさか断って——」

「住み込みって何!!」


 驚きで声をあげる美織に、母親は「住み込みは住み込みでしょうがっ」と間髪入れず怒鳴り返してきた。


「いやいや、住み込みなんて聞いてないし。仕事手伝ってとは言われたけど」

「まー、ヒコくんたら相変わらず、ぽけっとしてるのね」


 フフッと笑っている。この母親は娘よりヒコ推しなのだ。


「というか、お母さん、仕事内容聞いた?」


 美織は他に誰もいないのに声をひそめる。


「霊媒師のおじさんの手伝いだよ?」

「除霊師よ」

「!」

「除霊師の雅也さんでしょ、イケメンの」

「……お母さん知ってたの?」

「知ってたって?」

「ヒコのおじさんが霊媒師……じゃなくて除霊師だって」

「当然。寿々子すずこさんの弟だもん」


 寿々子というのはヒコの母の名前だ。


「私、ヒコにおじさんがいるなんて知らなかったよ」


 もりもりそうめんを食べていく母親だが、美織の箸は止まる。


「知らないのは子どもだけ」

「お父さんも知ってるの?」

「うん」

「でもヒコだって、おじいちゃんの葬式で初めて会ったって言ってたよ」

「だから知らないのは子どもだけだって。雅也さん、忙しい人だから」


 ごくっとめんつゆを飲んでいる母親に、美織はもう一度聞く。


「霊媒師の手伝いだよ? しかも住み込み? 絶対ヤバいじゃん」

「雅也さんはね、本物だからヤバくないの。あと住み込みって言っても、一緒に暮らすのは、あんたとヒコくんの二人よ?」

「ハ?」

「飲み込みの悪い子ね」


 ハッと苛立っているようだが、美織は「いやいやいや」と椅子の背もたれに寄りかかり唖然と母親を見やる。


「あんた、残すの?」


 母親が見ているのは餃子だ。取り分は六つだったがまだ半分残っている。


「食べるけど今は食欲が失せてきた。なんで? 霊媒師だよ」


「しつこい子ね。あの人は本物なんだって。だから依頼が殺到しててあまり家にいないの。で、ヒコくんが相談所に住み込んで除霊の手伝いをしてるから、あんたもどうですか、って。いい話じゃない、行って来なさいよ。あんたオカルト好きでしょ」


「やだよ。あと相談所って何?」

「神原相談所よ。霊障解決専門の」

「知らない。どこにあんの?」


 ったく、と呆れた目を向けてくる。

 私がおかしいの? 美織は自分に自信がなくなってきた。


「相談所って初耳なんだけど、お母さん知ってるの?」

「有名よ」

「ネットで検索したら出る?」

「出るんじゃない?」

「今まで一度も聞いたことないけど?」

「あんたが知らないだけでしょ」


 納得がいかない。

 ぜんぜん腑に落ちない。


「私、行かないよ。ヒコの話は断ったもん」

「何で?」

「何でって胡散臭すぎ」


 しばし母親とにらみ合う。

 ハア、とため息をついた母親は、箸を置くと指を三本立てた。


「だったら三択から選ばせてあげる。どうするか考えなさい」

「三択?」


「その1。神原相談所に行って住み込みで働く」

「え、何が始まってんの」

「その2。お見合いして結婚する」

「冗談でしょ」

「その3。家族と縁を切る。今日中に出て行って。残った荷物は全部捨てますからね」


 ぽかんとする美織をほうって、食べ終わった母親は席を立つ。


「作ってあげたんだから、洗い物はやってよね」

「いやいやいや。ちょっと待って」

「まったく、ぐずぐずした子ね」


 母親はよっこいせ、と再び椅子に腰かけたが、足は横を向いている。


「ねえ最後のやつはなに? 出て行くって?」

「今日中に出て行って。明日からは他人」

「……え?」


「一日中、スマホ見てゴロゴロしている娘は追い出すって話よ」

「薄情な」

「二週間も好きにさせて見守ってあげてたでしょうが。そうしたらゴロゴロゴロゴロ」


「求人サイト見てたんだって!」

「嘘言いなさい、後ろから見たら漫画だったでしょ!!」

「た、たまには漫画も読むよ。息抜きに」

「で。どうすんの?」


 すごまれ、美織は視線を外したけれど。


「わかった、出て行くよ。でも部屋探すのだって時間かかるし、仕事もすぐには決めら——」

「今日中にお願いします。荷物もいるものは全部持って行ってくださいね。いらない物は明日お父さんとクリーンセンターに行って捨ててきますから」


「……その狂った選択、お父さんも知ってんの?」

「もちろん」

「嘘だあ」


 と思ったのだが。


 帰ってきた父親がまだ玄関で靴を脱いでいる際にたずねてみると「ああ、なんか、そうらしいね?」と半笑いで返された。

 ダメだ。美織は諦めた。この父は、母の決断を覆す気がない。


「信じらんない。今日中に出て行けとか正気じゃないから」


 どうせ脅してきてるだけだと、美織はその夜、プンプンしながらも寝た。


 で、翌朝。

 軽トラのエンジン音で目が覚める。

 窓から庭を見下ろすと、両親が荷台に美織の自転車を積んでいるところだった。


「お母さんっ、やめてよ!!」


 急いで飛び出して見れば、荷台には自転車の他に、美織が昔使っていた学習机やランドセル。紐で縛った漫画本や小説、絵本。さらには透明な袋から透けて見えるのは洋服類である。使う予定はなく実家に置いて行ったものたちばかりだが、いきなり捨てられるのはショックだった。


「朝っぱらから、よくこんなに積んだよね」

「おたく、どちらさんですか? お父さん、不審者だわ。警察に電話しましょう」

「お母さんっ!」


「美織」と父親が何か悟ったような清々しい顔で言った。

「お母さんはこういう人だ、忘れたのかい?」

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