第13章 凱旋

第二十五話 兵庫港

―兵庫の港―


 元弘三年(1333年)の五月、鎌倉幕府がついに滅び、後醍醐天皇が復権を果たすという歴史的な瞬間が訪れた。

 その知らせは瞬く間に全国に広まり、鎌倉幕府の支配に苦しんできた人々にとっては、新たな時代の到来を予感させるものであった。

 

 楠木正成は、その知らせを千早城で受け取った。


 幕府に対する戦いが終わりを迎え、正成の胸には深い安堵が広がった。

 千早城での長い籠城戦や、護良親王との連携による反幕府の戦いが、ついに一つの終結を迎えたのだ。

 正成は、ただ戦場の将ではなく、新しい時代を切り開く一員としての役割を果たしたことに誇りを感じていた。


「ついに、我々の戦いが実を結んだのだ……」

 正成はそう呟き、家臣たちを見渡した。


 彼の顔には安堵と同時に新たな時代への期待が浮かんでいた。

 しかし、彼にはまだやるべきことが残っていた。

 後醍醐天皇が、京に向けての凱旋にあたり、正成は天皇を迎えるため、兵庫へ向かうことを命じられたのである。


 同年六月、正成は兵を率いて兵庫へと向かい、帝の一行を出迎えた。


 帝は隠岐島からの長い流刑生活を終え、再び都へ帰還することとなった。

 正成は、その道中の警護を任され、天皇の凱旋がいせんを支える重要な役割を果たすことになった。


 帝を迎えた兵庫の港は、彼の復権を祝う人々で賑わっていた。

 正成はその場に立ち、静かに天皇の船が到着するのを待っていた。

 海風が穏やかに吹き、空には白い雲が浮かんでいた。

 その景色は、まさに新しい時代の始まりを象徴しているかのようだった。


 初夏の澄み渡った空の下、楠木正成は兵庫の港で後醍醐天皇の凱旋を出迎える準備を整えていた。


 後醍醐天皇の帰還は戦いの果てに訪れた歴史的な瞬間であり、その場に立つ正成は、まさに人生で最高の時を迎えていた。

 帝の一行が都へ戻る光景は、ただの凱旋ではなく新しい時代の到来を象徴するものであった。


 港はまるで祭のような活気に包まれていた。


 後醍醐天皇の復権を祝い、民衆は思い思いに集まり、旗を振り、歓声があがる。

 陽射しは明るく、海風が頬を撫でる中で、正成はその騒ぎを静かに見つめていた。

 周囲の歓喜と賑やかさに包まれる中、彼の心には深い感慨があふれていた。

 帝の船がゆっくりと港に近づく。


 正成は、その瞬間を迎えるためにこれまで戦い抜いてきたことを思い出す。

 戦場では数えきれないほどの命が散り、激しい戦いの果てに、今日という日を迎えることができた。


 正成は、自分がその中心にいることを実感し、その責任の重さとともに、今までの苦労が報われるような喜びを感じていた。


「この日が来た……」

 彼は心の中で呟いた。


 やがて、船が着岸し、後醍醐天皇がゆっくりと降り立つ。

 その瞬間、歓声は一層大きくなり、正成は深く頭を下げて帝を迎えた。

 後醍醐天皇は優しく微笑み、正成に向かって語りかける。


「楠木正成、そなたの忠誠と奮戦には、我が心から感謝している。今日この日を迎えることができたのは、そなたの力によるものだ」

 後醍醐天皇の言葉は、正成にとり何よりも価値ある賛辞だった。


 彼は頭を下げ、

「これからも帝のお力となり、新しい時代を共に築いてまいります」

 と静かに誓った。


 その言葉には決意が込められ、彼の目にはこれからの未来に対する強い意志が宿っていた。

 帝の行列は、賑やかさを増しながら都へと続く。

 正成はその先頭に立ち、凛とした姿で馬に乗り、道を進んでいく。

 彼の後ろには帝の御輿が続き、沿道には集まった数千の民衆が、その凱旋を囲み、後醍醐天皇の復権を祝って声を張り上げていた。

 

 旗が舞い、花びらが空に舞い上がり、路上ではきらびやかな衣装を纏った踊り子や太鼓や楽器を奏でる者が華麗に舞う、まさにお祭りムードが漂っていた。

 正成は、歓声を耳にしながら歩みを進めていた。

 彼の心は充実感と歓びで満ちていたが、その胸中には複雑な思いも交差していた。


 彼は幾度も死線を越え、命を賭けて戦ってきた。

 そのすべてが、この瞬間に結実したのだと感じる一方で、これからの戦いもまた避けられないことを理解していた。


 後醍醐天皇の復権は、終わりではなく新たな始まりにすぎないのだ。

 彼が視線を前方に向けた時、道の両側には帝を崇める人々が、涙を流しながら手を振っているのが見えた。

 正成は、これまで民のために戦ってきた自分の使命を思い出し、胸を張ってその道を進んだ。

 自分の役割が、ただ戦うことだけでなく、新しい未来を切り開く宿命であることを強く感じていた。



―北斗七星伝承―



 その夜、凱旋行列が都に近づいた頃、日が沈み空は美しい茜色に染まっていた。

 正成はふと立ち止まり、背後を振り返った。

 そこには、御輿に乗る後醍醐天皇の姿があった。

 長きにわたる戦いを終え、新たな時代を迎えようとする象徴そのものだった。


――正成は静かに帝の御輿を見つめながら、一人呟いた。

「日本の夜明けだ。闇夜の大空に煌々と光を放ち、夜明けとともに消える北斗七星、そう、伝承の七人の勇士、この目で確かに見届けたぞ。観心寺、殿


 彼の言葉が風に乗って消えたその瞬間、決して表にその姿を見せない隠れた存在たちが正成の周りを取り囲んでいた。

 雷蔵、あやめ、鈴音、夜叉丸、隼、疾風、天幻丸、この七人の忍たちが、密かに彼を守っている。

 彼らの姿は決して見えることはないが、その気配は確かにある。


 忍たちは、日本の歴史をその手で動かす存在でありながら、表社会には決して姿を見せることのない宿命を背負う。

 まさに闇夜の大空に煌々とした光を放つ存在、「北斗七星」であった。


 雷蔵の鋭い眼光が闇を貫き、あやめ、鈴音の息遣いが微かに聞こえる。

 隼、疾風の身軽な動きが風に紛れ、天幻丸、夜叉丸の沈着な判断が常に彼の背後を守る。

 彼らは歴史の影に隠れながらも、正成の一挙手一投足を見守る。


 正成は再び前を向き、手綱を引き締め、馬を進めた。

 これから始まる新しい時代、その道を切り拓くのは彼自身の手であり、そのために生き抜くことを決意していた。

 忍たちの守護のもと、彼の歩みは揺るぎないものであった。

 後醍醐天皇とともに、新たな日本の未来が正成の手に握られた。


―七百年後の今日、この歴史的な場面は、皇居外苑に立つ楠木正成公の銅像により、今も生き続けている。後醍醐天皇に拝礼するその姿は、当時の緊張と尊厳を彷彿とさせ、誰もが歴史の息吹を感じ取ることができる。日本国民にとっては、楠木正成が親しまれ、敬愛されてきた証でもあり、歴史の重みと共に、今なお日本の精神を見守り続けている―


  *


 そして所は、皇居外苑の一角……。


 日没に近づく頃、銅像の前には、時間を忘れ楽しげに話し込む人影があった。

 某国立大学の中世日本史の研究の一環として、銅像前を訪れていた教授と学生たち三人の姿であった。


 教授が、ふと我に返ったように学生たちに伝えた。

「ああ、もうこんな時間だ」

「彼のことになると、つい熱くなり、時間を忘れて話し込んでしまったようだ」


 学生の一人が、好奇心旺盛な様子で教授に話しかけた。

「本日は、楽しかったです。素晴らしい講義を聞かせていただきました。卒業までに良い論文が書けそうです。早速、私たちも北斗七星の塚が祀られている観心寺に行ってみたいと思います」


「そうするのも良いだろう。節分に行けば、自衛隊が太鼓を叩き、北斗七星の結界を称える『星祭り』の光景も見られる。国家を守るため北斗七星を降らせた弘法大師の通力が今なおそこに息づいていることが肌で感じられる。それでは遅くならないうちに今日は、帰ろうか」

 教授の言葉で三人は、各々帰宅することになり、静かに皇居外苑を去り、三人の姿は、そこから消えた。


 その後も銅像の周りには、彼を守る忍たちの見えざる姿が、確かに存在していた。


【了】




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SINOBIMASTER―太平記・北斗七星伝承の巻― 橘 玄武 @genbu123

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