第5話

 雨の日も、晴れの日も、私は母からの手紙を受け取り続けた。前回書いた手紙が96回目で、それから97.98.99と進み、次に届く母からの手紙に『お母さん、大嫌い』と書けば私は母親に100回大嫌いだと言った女になれる。別に誇れることでもないけれど、ここまで続けてきたのだから何かのお祝いはしたい。


 だが、いくら待っても母からの返事は来なかった。いつもなら二週間以内には届いた手紙が、一ヶ月待ってもこない。最初の数週間は母も忙しいのかもしれない、手紙をやりとりすることに飽きたのかもしれない、と都合のいい風に考えていた。だが、さすがに一カ月も期間が空くというのは今までに無いことだった。


「いくらお母さんが携帯嫌いでもさ、さすがに連絡した方がいいよ。どう考えてもおかしいって」


 颯太が真剣な表情で私に諭してきたことも相まって、さすがに心配になった私は久しぶりに母に電話をかけると、電話口の向こうにいたのは父だった。


 お母さんからの返事がないけど、と伝えると父は途端に口淀み、瞬間的に胸騒ぎに駆られた私は問い詰めた。最初は躊躇っていた父だったが、ぽつりぽつりと話してくれた。母は三週間程前に食事の用意をしていた時に突然倒れ、今は入院しているのだという。幸い、命に別状はないが、先のこと考えると手術をするべきです、という医師の決断に従いそれを翌週に控えているとのことだった。


 どうしてもっと早くに教えてくれなかったの、どこの病院か教えてと訴えかけると、「母さんが美桜にだけは絶対に言うなと言うんだ。新しい土地で頑張ってる美桜に余計な心配をかけなくないって」と父は苦しげに言った。それでも病院にいく、と強く訴えた私に「美桜っ! 頼む」と初めて聞くような声色で、その固い意志の強さを、母の想いを汲み取ろうとする父の優しさを、私は電話越しにでも強く感じ引き下がるしかなかった。


「じゃあ……せめて手紙を届けて。実家に送るから、それをお母さんの病院に」


 父はそれならと渋々了承してくれた。電話を切ったあとすぐに手紙を書いた。


『お父さんから聞いたけど入院してないんだって? 本当に、本当に、心配していません。早く元気にならないでね。美桜』


 翌朝、駅前にあるポストに母への手紙を投函しようとした。けれど、投函口にいれる寸前、私の身体はぴたりと動きを止めた。本当にいいのだろうか。お母さんを心配する手紙なのに、あんな文章でいいのだろうか。ふつふつと、気泡のように浮かび上がった迷いや疑問が音もなく弾けたその瞬間、以前母が言っていた言葉を思い出した。


──本当にこの日この瞬間しかないって思った時しか本心は書かないの。


 気付いた時には踵を返していた。家に帰り、手にしていた手紙をゴミ箱に投げ入れた。すぐに新しい手紙を書き始める。本当に伝えたいこと。私がお母さんを想う気持ち。それを文章にする。


『お母さん、お父さんから病気のことは聞きました。


私に心配をかけないようにと病気の事は黙ってて欲しいと頼んだことも聞きました。私はね、お母さんがそう思ってくれたのと同じくらいにお母さんのことを想ってるの。だから、もう二度とこんな事しないで。今回は二人の気持ちを立てて手術が終わるまで病院にはいきません。


きっと大丈夫だと信じてるから。誰よりも明るくて、芯の強いお母さんのことだから、何事もなかったみたいに帰ってくるって信じてるから。


手術頑張ってね。遠くから毎日祈っています。


お母さん、大好きだよ。』


 書き終えた手紙をすぐにポストに投函した。その二週間後、母からの返事が届いた。


『美桜へ。まずは謝らせてね。病気のこと、手術のこと黙っていて本当にごめんなさい。


私はあなたのことを思ったつもりだったんだけど、逆に良くない気持ちにさせちゃったね。二日前、無事に手術を終えました。きっと、美桜やお父さんが祈ってくれたおかげだと思うの。あなたからの手紙が届いたのはちょうど手術の前日で、読みながら泣いてしまいました。それと同時に、沢山の力を貰った気がします。


退院まではまだもう少しかかるみたいだけど、必ず元気になります。美桜、ほんとにありがとね。』


 読みながら気付いた時には私は泣いていて、口の端まで伝った涙を舌先で拭うと、春の陽だまりのような柔らかい味がした。これまでは気持ちとは反対の、真逆の言葉で手紙を送り合っていた私達が、今は心から滲み出た本当の想いだけを手紙に綴っている。


『お母さん、大嫌い』


 次で100回目になるその言葉を手紙に綴るのは、まだ当分先になりそうだった。まあそれもいいかと思う。窓の向こうに広がる晴れ渡る空をみながら、私は母から届いた手紙をそっと胸に抱いた。

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100回目の大嫌い 深海かや @kaya_hukami

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