2.あたしたち
忍び込んでいた彼と鉢合わせたときの話。冗談で外国の名前を名乗ったら、あからさまに馬鹿にすることもなく、かといってノリ良く調子を合わせてくれるのでもなく、とことんリアクションに困る顔をされたけど、まあ当然だよね。
あたしは、海外に生まれたかった。ここよりも自由な、どこかの海の向こう側に。
昔の少女小説のようにありもしない自分の名前を名乗ってみてもけっきょくあたしはあたしでしかなくて、シンディなんて名乗ってもそれは全然変わらないんだけど、あたしはその現実もけっこう楽しんでる。彼は、それを何も否定しないから。
厚底眼鏡を通して見た彼、
叔父譲りのオンボロ椅子に座って、想多はPCの動作確認をしている。これも叔父が残していったもので、カスタマーサポート切れ間近の、中古のオンボロPCだ。
あたしは、メイクと撮影担当。想多は、モデル兼加工担当。お互いに、妥協はしない。あたしたちは、心で化ける。あたしたちは、信じた瞬間、無敵になれる。
※
「まばたき禁止って言ったでしょー」
「マジごめん・・・・・・」
既に二度目のメイクで、アイプチではテイク・スリーだ。まぶたに浮かび始めた綺麗な線は、溶けるように消えてしまった。
二重を作るスティックは、目に近い部分を強く押し込むようにいじるので、怖かったり、痛かったりするのは分かる。けれど、そこで臆病になってもらっては困る。美は、度胸だ。度胸と根性が、美しさを増した、自分の化身を作り出す。
四度目の正直で、ぱっちりした二重が出来上がった。左右を見比べたあたしは満足して、上出来、とつぶやいた。
「終わり?」
「終わり。次、アイシャドウ」
了解の合図に、想多は目を閉じる。少し考えた後、あたしはブラウンのアイシャドウを手に取った。想多からの、今日のオーダー。テーマは「病みかわ」(病んでる感じで可愛く)で、ウィッグは緑と金のハーフロングタイプだ。どうも、最近好きになったボーカリストを参考にしたいらしい。
毎回難しいことを言うけれど、上手く仕上がったときの喜びを共有できる瞬間をあたしは愛しているので、今日も頭をひねって、せっせと手を動かす。
「いい感じ。悪くない。うん、可愛い可愛い」
色を重ねながら言うと、わずかに想多の口角が上がりかけて、けれどそれは途中で止まってしまう。
「もともとが可愛くないから、言われると悪い気がする」
いつだったか、「喜べばいいのに」と不平を言ったときの、想多の返事はそれだった。間違った贈り物を受け取ってしまった、正直な子どものようだった。
だからいつもこのとき、想多は微笑をかみ殺す。そのとき咲かなかった笑みは、けれどメイクを終えたときには、抑えきれずにこぼれる笑みに変わる。最終的に、「可愛い」とはそういうことだと、あたしは思う。その段階まで立ち会えるあたしは、そしてその瞬間をレンズ越しに切り取れるあたしは、けっこう役得だと思う。写真の構図ひとつを決めるのに、それから何十分かかっても。
「よーし、今度こそつけま、一発で決めるよ」
ビューラーでまつげを上げて肩を鳴らすと、ゆっくり目を開けて想多は頷いた。
「鏡、見ていい?」
「あー、さっきそれでダメだったもんね。どーぞ」
ハンドミラーを渡すと、しばらくして想多は、ほっと息を吐いた。
「ウィッグ被らないと分かんないけど、たぶんいいと思う。ありがと」
「どういたしまして。あと一押しだからね。気合い入れて」
こくんと頷いた想多は、けれどやっぱり身構えていて、その様もまた、ちょっと小動物っぽくて可愛いと思う。十七歳になったばかりの想多の骨格は華奢なほうで、顔立ちと合わせてもメイク映えするほうだと思う。
「ぎゃああ、可愛い!! 萌える、死ぬ!!」
ウィッグにイヤリング、紺のダッフルコートに白のファーをかけた想多はSNSで名乗っている「三崎つき」そのもので、あたしは手を叩いて喜んだ。
ようやく、想多の口元にほんのりと微笑みが浮かぶ。あ、今の撮りたかったな。
撮られ慣れてきたとはいえ、カメラを向けると想多の表情はこわばってしまう。本当に可愛く、美しくなれたのか。もし、上手く写らなかったら。そんな不安が、彼の心に波紋を立てる。
大丈夫。ここには、あたしがいるよ。強いられて入った大学に最後まで通えず、かといって自分じゃ専門学校に入れないなんていう、中途半端なあたしだけどさ。
たぶんこのまま、ボクらはずっと。 西奈 りゆ @mizukase_riyu
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