たぶんこのまま、ボクらはずっと。

西奈 りゆ

1.ボクら

 「シンディ」とは彼女が勝手に名乗った名前で、もちろん「ミラー」も本名ではない。そもそも彼女は生粋の日本人で、外国人でもなければ、クウォーターですらない。

 何でそんな名前を思いついたのか。夏が秋になった頃に訊いてみたら、本名は「進藤」だから「シンディ」、「ミラー」は鏡を見ているのが好きだからだというから、半分呆れたけれど、半分彼女の奔放さがやっぱり眩しかった。


 頑なにコンタクトを嫌がるシンディは今日も、趣味の悪い瓶底眼鏡をかけて、着古した古着屋の服を着て、カメラ片手に町を行くのだろう。


 切り取った風景を手土産に、彼女はボクらのアトリエにやってくる。撮影はするくせにデジタルデータの扱いをいつまでも覚えない彼女の負担を軽くする代わりに、ボクはいつも彼女にあることをお願いしている。

 それは世間からは閉ざされた、けれど小さな幸運と幸福の時間だった。


 

 自分がはみ出し者であるという自覚はボクにもあったけれど、シンディほどではないと思う。地味でどちらかと言わずとも陰キャだと思われていて、そんなボクがパンクファッションショップの前で、それも女物の商品に見入っていたという噂は娯楽のない田舎の高校の中であっという間に広がり、ボクの出席日数は繰り返し車に踏まれたビニールのように目も当てられないものになっていった。

 

 この町では数少ない国道横の小道から入って、私有地の森を進んだところに、ボクらのアトリエはある。コテージ、と言ったらいいのだろうか。丸太が積み重なった重厚な木造家屋で、傍には大きな窯が構えてある。


 ここは陶芸家でもあるシンディの叔父さんが所有している物件だ。本人には、作品が並ぶ時期には立ち入らないこと、家屋に傷をつけないことを条件に、使用用途も説明して許可を取っているそうだから(実際、シンディは正式に合鍵を持っている)、ボクら二人ともやましい使い方をしているわけではない。

 自分と同じく親族から変わり者扱いされるシンディを、その叔父さんはとかく可愛がっているようだ。


 瓶底眼鏡に隠れて気づかれにくいけれど、シンディの目は大きくて、まつげも長い。たまにコンタクトをつけていると、別人にも見える。とはいえそれ以外は、卵顔のシンディは特に特徴のない平凡な顔立ちをしていて、さらにいつも一昔前のシャツかトレーナーにジーンズといったような野暮ったい格好をしているから気づかないだけで、真剣にやればけっこうメイク映えする顔立ちなのではないかと思っている。


 ちなみにシンディは、片目だけ奥二重なのを気にしていて、学生のうちにプチ整形をして、両目とも綺麗な二重にすると言っている。けれどボクは、シンディがバイト代とほとんど同額じゃないかという金額を、カメラと推し以外に注ぎ込んでいる場面しか見たことがない。


「動くな」


 本気のときのシンディは、口調にけっこうドスが効いている。いつものことなのに、4歳上で長身のシンディにすごまれる格好になって、ボクはいつになってもこの瞬間に慣れない。


「あー、また取れちゃった。これ、そろそろ付かなくなるよ。換えるか」


 まばたきした瞬間滑り落ちたつけまつげを拾い上げて、シンディはやれやれとため息をついた。


「しゃーねえじゃん、それ目、痛ぇんだもん」


「バッカじゃねぇの? そんな労苦を惜しんで美が手に入ると思ったら、大間違いだっての」


 そう言われては、ぐうの音もでない。脱毛クリームを塗りたくったうえで容赦なく歯ブラシでごしごしこすられた鼻の下と、あご部分が、いまだにびりびりと破れるように痛い。そのうえ、普段眼鏡すらかけたこともないまぶた部分に指が迫ってくる圧迫感と、目の下を指で押される、恐怖に似た不快感。ないとは思うけれど、つい、手違いで爪が目に・・・・・・なんて嫌な場面を想像してしまう。


 けっきょく、孔雀のようなつけまがボクの目元を彩ったのはそこから二十分もあとのことで、シンディは終わってもいないのに「もう撮ってよくない?」とまで言い出した。言いたいことは分かるけれど、鏡を見た後のボクも、メイクに集中しているときのシンディ以上に強情だ。


「なんつーかさ。なんか違う。もうちょい、悪っぽく、目つき悪い感じにしたい。なんか微妙に、フェミニンっぽい」


「はあ!? また一からやり直せっての?」


「いや、まあ。そうかもしれないけど」


「そういうことはさっさと言ってよ。あー、また一からか」


 途中経過を鏡で見たいと再三言ったのに、「いいから、動くな。あたしは集中してんだ。失敗すんぞ」と脅しをかけてきたのはシンディのほうだ。ボクのオーダーの仕方が中途半端だったのかもしれないけれど、ボクだけの責任ではないだろう。


「下地から作り直すから、さっさと落としてきてよね」


 ボクが渡したボーカリストの写真を何枚もスライドさせながら、シンディが背中で声をかけてくる。頷いて、ボクは浴室横のガスのスイッチを入れた。








 

 



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