第4話 間違い探し
彼女が一言、そう唱えると、突如として視界のあちらこちらにスノーノイズが走った。一瞬、朝から続く謎の体調不良が、とうとう目にも影響を及ぼしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
次の瞬間には、空、歩道、建物、植物、人間など、周囲のあらゆる色彩が消えて、セピア一色に染まった。そして、どこからともなくピシッ! と硬質な音が鳴り響いたかと思うと、まるでガラスでも割れるみたいに、世界に巨大な亀裂が入る。亀裂はみるみる広がり続け、やがてバリンと砕け始めた。
バリン、バリン、バリン。空が砕け、歩道が砕け、建物が砕け、植物が砕け、人間が砕ける。三百六十度、隙間なく、どの方向からも、世界の破砕音が聴こえる。ああ、また。バリン、バリン、バリン。耳を
どれくらい経ったのだろう。破砕音が聴こえなくなった。恐る恐る目を開くと、世界には何もなくなっていた。どこを見ても、真っ暗な闇があるだけ。自分が今、地に足を着いているのか、浮いているのかさえ分からない。方向感覚も、平衡感覚も、時間の流れも掴めなくて、気が狂いそうになる。
ふと、右手に微かな温もりを感じた。どうやら、誰かが俺の手を自身の両手で包んでいるようだった。その手を辿って振り向けば、そこには世界が砕ける直前に言葉を交わした美女が立っていた。
「起きて。お願いだから」
「……?」
確認の意味が分からない。俺はちゃんと起きている……はず。たぶん。目を開けても閉じても暗闇が映るから、自信が持てない。ただ、少なくとも今は、目の前の彼女を認識できているのだから、目を開いて起きているのだろう。
「大丈夫? ここがどこだか分かる?」
心配している風な言葉を、真顔で放ってくる美女。彼女の黒い瞳が、周囲の闇と同化して、透けているように見えた。紺桔梗だけが不気味にぼんやり浮かんでいる。それでも、不思議と彼女の美しさは損なわれていない。つくづく、浮世離れした存在である。
「ここは、どこなんだ? キミは一体……?」
「……そう。分からないのね」
「あ、ああ……」
正直に答えると、美女は何故だか少し悲しそうな顔をした。軽く俯き、瞳をギュッと閉じて、それからまた目を開けて俺を見詰めた。
「元の世界へ帰りたい?」
「え」
「あなたがこれまで生きていた世界へ、帰りたいと思う?」
「…………」
咄嗟に、返事ができなかった。帰りたいとか、帰りたくないとか、それ以前に、元の世界の様子を思い出せなかったからだ。俺、どんな生活していたんだっけ? さっきまで体験していた順風満帆な暮らしじゃないことは、確かなのだけれど。じゃあ、どんなだったのか、と訊かれても、例え話が一つも出てこない。
とは言え、こんな何もない謎の空間にいつまでもいたいか、と訊かれれば、それはハッキリと嫌だった。ただでさえ具合が悪いのに、こんな所に置いていかれたのでは、いよいよ正気を保っていられなくなる。
「俺は……とりあえず、ここにはいたくない。行く宛てが『元の世界』しかないのなら、それでも良いよ。と言うか、戻れるの?」
「ええ。あなたがどうしてここに来たのか、自覚することができたらね」
「無茶を言わないでくれ。何も思い出せないんだ。今すごく、頭が痛い」
「それなら、諦めて頂戴。ずっとこのままよ」
「キミが教えてくれれば良いんじゃないのか。何か知っているんだろう?」
「駄目。あなたが自分で気付かなければ、意味がないわ。自分で気付いて、自分で決めるの。戻りたいのかどうかを」
「何を言っているんだ……」
頭を抱えた。会話が成立しない相手と話すのは、疲れる。独りでここにいるのも苦痛だが、先の見えない押し問答を続けるのも大概だ。こっちは具合も悪いと言うのに。
理解に苦しむ俺を見て、彼女が両手をパッと放した。
「そうね……答えは教えてあげられないけれど、ヒントを出すくらいなら、構わないわよ」
「ヒント?」
「間違い探しをしましょう。全て正解したら、元の世界へ帰してあげる。きっと、それで全て分かるわ」
「間違い探し……?」
もう、馬鹿みたいに
「今から、あなたが過ごしてきた本来の人生の一部を、リバイバル上映してあげる。もちろん、主演はあなた自身よ。ただし、一ヶ所だけ、実際には起こっていない事実や出来事が混ざっているから、当ててみて」
「意味が分からない……。どうして、わざわざそんなことをしなければならないんだ」
「あら、ずっとここにいたいの? それならそれで、別に構わないけれど」
「……そうは言ってないだろ。……もし、間違いを見つけられなかったら、どうなるんだ?」
「さっきみたいに、間違いが潜んでいる一日を延々と繰り返すことになるわね。日に日に具合が悪くなっていって……最後には、二度と目覚められなくなるかもしれない。それでも、やる?」
「やりたくはないけれど、他に選択肢がないのなら、やるしかないじゃないか」
「決まりね。応援しているから、頑張って」
彼女がまた、妖艶に微笑んだ。それから右手を頭上に高く上げると、親指と中指をくっ付けて、パチン! と小気味よく弾いた。その瞬間、どこからともなく強烈な光が現れる。真っ白なそれは、みるみる広がって俺の視界を覆いつくし、意識を奪い去った。
次に目を開いた時、俺は子供の体になっていた。
間違い探し @kumehara
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