十二話
ヴァレリウスが監禁されてから二日が経っていた。意識のなかった日も含めれば五日になる。彼の世話を任されているのはリュデ一人だけのようで、彼女は毎日やって来ると、食事から着替えから、すべてを甲斐甲斐しく面倒をみた。胸の傷もほぼ治り、痛みと包帯はすでに取れていた。
「……ところで、俺はいつまでここにいないといけないんだ?」
食べ終えた夕食の食器を渡しながらヴァレリウスは聞いた。
「先日、この先の街で新たに安全な建物を確保しましたので、近々ご移動をお願いすると思います」
空の食器を受け取りながらリュデが答えた。
「安全ねえ……戦いはまだ続くんだろう?」
「もちろんです。現国王が玉座に居座る限りは……それでは、失礼いたします」
会釈したリュデは、かすかな笑みを見せて部屋を出て行った。その姿が消えるとヴァレリウスは窓の外へ目を移す。すでに真っ暗になった景色には、特に見るべきものはなかった。
「……寝るか」
ベッドに横になり、ヴァレリウスは目を閉じる。毎日やることもなく、ベッドの上にいるだけの時間で、疲れも眠気もない状態だが、食事を終えてしまえばあとは寝ることしかなく、彼は目を閉じ続ける。そうしているうちにわずかな眠気がおとずれ、浅いながらも眠りに落ちることを彼は身をもって知っていた。そうして数時間、部屋を照らしていたランプが油切れで消えたことに気付かないまま、意識が無意識の奥深くへ引かれようとしていた時だった。
「……?」
妙な気配を感じ取ったヴァレリウスは、眠りに引き込まれる寸前で目を開けた。感じたのは部屋の扉のほうではなく、窓だった。暗闇に染まった部屋の中に、窓からうっすらと月明かりが差し込んでいる。あのガラスの向こうでゴソゴソと何かが動いている――そう感じて警戒しつつベッドから下りようとした時だった。
汚れたガラス越しに、下からぬっと人の手が出て来たと思うと、握った石でガラスをコツコツと叩き始めた。最初は弱く、そして次第に強めて行き、その力にやがてガラスは破れ、パキンと小さな音を立てて割れてしまった。その音にヴァレリウスはヒヤッとして部屋の扉のほうを見やる。だが誰かが気付いて入って来る様子はなかった。
するとその割れた穴から手が入り込み、窓の鍵を解錠した。一旦引っ込めた手は外から窓を静かに開け放つ。冷たく、新鮮な空気と共に、月の逆光を受けた黒い人影がのそりと窓枠を越えて入って来た。
「……ヴァリー!」
抑えた声でも、その感情がよく伝わる、明るく聞き慣れた呼び声だった。
「ロアニス、なのか……?」
「うん。僕だよ」
歩み寄って来たロアニスの顔が見える。そこには久しぶりに見る満面の笑みがあった。それを見てヴァレリウスはベッドから下りた。
「どうしてここが? こんなことがばれたら大変なことになるぞ」
「鍵が開けられない以上、こうするしかなかったんだよ。でも僕より大変なのはヴァリーのほうだろう? 足を鎖につながれるなんて……」
そう言ってロアニスはヴァレリウスの足下を痛々しそうに見下ろす。
「理由は知らないけど、こんなことは許されないよ。だから助けに来たんだ」
この言葉に、ヴァレリウスはじっと見返す。
「……何?」
「いや、お前ってこんなに勇敢な男だったのかと思ってさ。戦場に立って変わったか?」
「ふふっ、どうだろうな……とにかく今は早く逃げないと。話はそれからだ」
「逃げるって言われてもな。ベッドを引きずって逃げるのは不可能だと思うぞ」
ヴァレリウスは左足とベッドの脚をつなぐ鎖を示して言った。
「わかってるよ。ちゃんと用意してきた」
するとロアニスは背後の腰に手を回すと、手斧を引き抜いて出した。
「傭兵の野営地から拝借してきた」
手斧を両手で握り、ロアニスは構え始める。
「ちょ、ちょっと待て。まさかそれで鎖を? 派手な音でばれるぞ」
「でも外す鍵がないんだ。これしか方法はない」
「脚を、ベッドの脚を切ればいい。そっちのほうがまだ――」
「脚を切るのだってどうせ音が出るんだ。それに鎖の先端は脚に打ち付けられてる。切ったとしても鎖を持って逃げることになる。それじゃあすぐに追い付かれちゃうよ」
真っ当な反論にヴァレリウスは大人しく従うしかなかった。
「一発で済ませるから、切れたらすぐに逃げよう。少し身体を避けてて……」
「ああ……俺の足は切ってくれるなよ」
「わかってるって……行くよ」
ロアニスが手斧を振り上げる。ヴァレリウスは左足だけを離し、身体をできるだけ傾けて手斧の一撃から遠ざかる。そして――
ガキンと一瞬の火花を散らし、暗闇の部屋に派手な金属音が広がる。静寂の支配する空間に鼓膜を揺らすほどの大音量が響いた。床にめり込んだ手斧を見れば、その刃は硬い鎖をしっかりと両断してくれていた。
「よし、切れた! ヴァリー、逃げるよ」
ロアニスは手斧を放って急いで窓へ戻る。ヴァレリウスもその後に続き、窓枠に手をかける。と、その時だった。
「今の音は一体――」
扉を叩くこともなく入って来た男性が、開いた窓から逃げようとするヴァレリウスを見て身を固まらせた。だがそれも一瞬で、次の瞬間には焦る表情で駆け寄って来る。
「なっ、何をなさっているのですか!」
「ヴァリー! 早く!」
外に出たロアニスが手を差し伸べる。ヴァレリウスはそれをつかみ、転がるように窓枠を越えた。そして二人は振り返りもせず走り出す。
「お待ちください! どうか――」
男性は窓から身を乗り出しながら叫んでいたが、すぐに追って来ることはなかった。深夜ということもあり、暗い中を一人で捜すより、仲間への報告を優先したようだった。そんなことには構わず、二人は瓦礫の散らばる道を駆け抜け、人気のないほうへ進み、密かに街から脱出した。ヴァレリウスはそこで初めて振り返った。真っ黒な影になった街並みの奥に、傭兵達の野営と思われる小さな灯りが点々と見えた。
「彼らはもうすぐ次の街へ移動する。だからヴァリーを簡単には追って来れないと思うよ」
安心させるようにロアニスは言った。だがヴァレリウスの硬い表情が変わることはない。
「それはどうだろうな。やつらはしつこいと思うが……」
「大丈夫だよ。追い付かれる前に遠くへ逃げちゃえばいい。追い付けないとわかれば、彼らもきっと諦めるよ。ヴァリー一人に人手を割く時間も余裕もなさそうだし」
「そうなるぐらいに、戦いでてこずるのを願いたいね。……そう言えば、エリンナはどうした? お前と一緒じゃないのか?」
「心配いらないよ。今も一緒だから。少し行った先で待たせてるんだ。ひとまず今日はそこで休もう」
そう言うとロアニスは街から離れたほうへ歩き出した。その先には林に囲まれた小川が流れており、二人はそれに沿って進んだ。
「……兄さん!」
声にヴァレリウスが視線を上げると、そこには焚き火の温かな明かりがあり、その奥には手を振って二人を呼ぶ笑顔のエリンナの姿があった。
「よかった! 無事に戻って来てくれて。独りじゃ心細くて……」
兄を出迎えながら安堵の笑みがこぼれる。
「だから大丈夫だって言っただろう? こうしてちゃんとヴァリーを助けられた」
「うん。本当、よかった。上手く行って……ヴァリーさん、怪我とか、ひどい目に遭わされてませんか?」
「まあ、胸を一突きされはしたが、もう治ったよ」
「やっぱりそういう目に……助け出せてよかったです」
「それなんだが、二人はどうして俺が監禁されてることを知ってたんだ? こんなこと、リュデが周りに話すとも思えないし」
「ああ、それは説明するよ。座って話そうか」
ロアニスに促され、三人は焚き火を囲んで雑草の生える地べたに座った。
「最初に不審に思ったのは五日前かな。天幕にヴァリーが戻ってなかったから、いろんな人に聞いて回ったんだけど、誰も見てないって言われて。だから前日に君と話してたリュデさんに聞きに行ったんだ。そうしたら体調を崩して別の場所で休んでるって言われてさ。不死者も病気にはなるって知ってたけど、前日はそんな様子まったくなかったし、部隊の中で風邪が流行ってるわけでもなかったし、何か疑問に感じたんだ。でも不死者の君なら明日には元気になってるだろうって、その日は戦闘に向かったんだ」
「その時の俺は、胸を刺されて意識をなくして眠ってた」
「そうだったのか……戦闘から戻って、僕達はそこで契約終了になった。給料を受け取って、あとはヴァリーが戻って来るのを待つだけだったんだけど、何時間待っても姿は一向になくて……待ちくたびれたから、もう一度リュデさんに聞きに行ったら、彼ならもうここを出て行ったって言うんだ。その時は驚いたよ。でも本当かって信じられもしなかった。だってヴァリーは僕達と一緒に行くって約束してたんだ。それを無視して一人で行くなんて、ヴァリーらしく思えなかった」
「俺が二人を騙した、とは考えなかったのか?」
「少しは考えたけど、君は優しい人間だから、そんな卑怯なやり方はしないと思った。一人で行きたいなら、その気持ちを僕達に言ってから行くはずだと思って」
これにヴァレリウスは、わずかな安堵感を覚えた。
「そうか。俺はてっきり、二人が怒ってるんじゃないかって思ってたよ」
「こんな怪しい話を聞かされたんだ。怒るより前に疑ったし、心配になったよ。じゃあヴァリーはどこにいるんだってね」
「どうやって居場所を突き止めたんだ?」
「聞いても無駄みたいだったから、リュデさんの後をつけたんだ」
ヴァレリウスは目を丸くし、そして苦笑する。
「……あいつ、できそうな雰囲気して、脇が甘いところもあるんだな」
「契約が終わった身で、いつまでも傭兵達の中をうろつくわけにもいかなかったから、少し離れたところから彼女を観察してたんだ。そうしたら日に何度か入って行く家があって、傭兵が出入りする様子もないし、怪しいと思って夜に行ってみたら……」
「大当りだったんだな」
ロアニスは笑って頷く。
「うん。こっそり窓から中をのぞいて驚いた。ベッドで君が寝てて、その足に鎖が付けられてたんだからね。やっぱり嘘だったんだとわかって安心したと同時に、ヴァリーを早く助けなきゃと思って、窓を開けようとしたけど、鍵がかかって開かなかった。次にいるかもしれない見張りにばれないよう軽く窓を叩いたり、小声で呼びかけたりもしたけど、君に届いてる様子はなかった」
「多分、まだ意識が戻ってなかったんだろう」
「そのうち、部屋に誰かが入って来たから、その日は引き返すことにして、エリンナにこのことを伝えたんだ」
「私も兄と同じ気持ちでした。鎖につながれるなんて異常な状況……すぐに助けるべきだって。放っておいたらずっとそのままかもしれませんから」
「だが、相手はクーデターを起こすようなやつらだ。見つかれば危害を加えられる可能性だってあるのに……」
兄妹は互いをちらと見て微笑む。
「そういう怖さももちろんあったけど、それよりヴァリーを助けなきゃって気持ちのほうが強かった。僕達の恩人が苦しんでる姿を見て、怖いから助けないなんてこと、絶対にできないよ」
ロアニスの真摯で優しい笑顔を見て、ヴァレリウスの胸をじんわりと温もりのある風が撫でた。
「兄妹揃って、義理堅いんだな。そのおかげで俺は助けられたわけか」
「エリンナと相談して助け出す方法を考えて、それで今日決行したんだ。一か八かだったけど、どうにか上手く行ってよかったよ」
「こっちもハラハラした。まさかお前が助けに来るなんて思いもしてなかったからな。ちゃんと礼を言わないとな……ありがとう、ロアニス。それとエリンナも」
二人はくすぐったそうに身じろぎしながら笑う。
「三人で行くって約束したんです。ヴァリーさんにはそれを果たしてもらわないと。ね?」
「エリンナ、そういう言い方はやめろって。約束がなくたって僕は助けてたよ」
「でも約束のことも気にはなってたでしょう?」
「まあ、少しも頭になかったって言えば嘘だけど……」
何か言いたそうにロアニスはちらちらとヴァレリウスを見る。
「……心配するな。約束通り、三人で行く。助けられておいて今さら断るなんて不義理な真似はしないよ」
これにロアニスは胸を撫で下ろす。
「よかった。そう聞けて一安心だ。……こっちの話はしたし、次、ヴァリーの話を聞いてもいい? 一体何があってあそこにいたのか」
聞かれたヴァレリウスは顔を伏せ、表情を硬くした。その様子に二人は気遣うように言う。
「言えないこと、ですか? それとも言いたくない……?」
「それなら話さなくてもいいよ。僕達は君を助けられただけで十分だから……」
「いや……」
事情を話せば自分の正体まで話すことになり、ヴァレリウスは迷った。それだけは決して明かさずに生きて来て、これからもそうするつもりではあったが、危険を冒して助けてくれた二人に何も話さないというのは、やはり冷たく、すげない態度でしかない。彼らがいなければ、今も鎖につながれた状態だっただろうことを考えれば、ヴァレリウスの感謝の念は強く深いものだ。そしてそんな二人は信用できる存在だと今なら言えた。それならば彼らにだけ、この兄妹にだけは話してもいいだろうか――迷う心が答えを決めて、ヴァレリウスは視線を上げると聞いた。
「……俺の話を、他言しないって、約束してほしい」
「え……?」
二人の怪訝な目が見つめる。
「大した話じゃない。だが、誰にも知られたくないんだ」
兄妹はしばらく戸惑う視線を交わしたが、ヴァレリウスを見るとロアニスはおもむろに言った。
「……わかったよ。約束する。話を聞くのは僕達だけだ」
真剣な眼差しのロアニスを確認してから、ヴァレリウスは一息吐いて口を開いた。
「どこから話したもんか……そうだな。まずはリュデ達の目的を話すか」
「それは、クーデターだろう? 今の国王様を玉座から引きずり下ろすって……」
「ああ。そして、王家を正統な血筋に戻すことだ」
「正統? って、どういうこと? 王家はずっと変わらずに続いてきたはずじゃ……」
「現在の王家はな。だが千年前、それが変わった瞬間があったんだ。建国当時からの王家から、現在の王家に……その二つに血のつながりはない」
エリンナは考えながら聞く。
「どういうことですか? つながってるはずの王家の血が、つながってないってことは……」
「現在の王家は、自分達を王家と騙り、民を騙してる――それが、リュデ達の言い分だ」
判断のできない表情で二人はヴァレリウスを見つめる。
「……それって、本当の話なのか?」
「ああ、本当だ。だが必要だったから王家に成り変わっただけだ。あの時はそうするしかなかったんだろう」
「あの時って、まるで見て知ってるみたいな言い方だな」
「知ってるんだ。実際にね。何せ俺はその問題の原因になった国王だったから」
「国王……ええ? 国王?」
瞠目した二人は仰け反らんばかりに驚いて息を呑む。その目には仰天と疑心がない交ぜになった色が浮かんでいた。
「君が、国王って……その、冗談、じゃないんだよね……?」
「これも本当の話だ。俺が国王なんて到底信じられないと思うが」
「い、いや、そういうわけじゃ……こんな近くに国王様がいるなんて、あまりにあり得ないことだったから……」
「国王ったって千年前の話だ。今じゃ何の権力も持たない一庶民で、お前達と変わらないよ」
二人は呆然とした表情でヴァレリウスを見つめる。
「これの、どこが大した話じゃないんだよ。ものすごいことじゃないか」
「別にすごくない。言ったように俺はもう国王じゃないんだ」
「でもかつては国王だったんですよね? それがどうしてこんな状況に……?」
聞かれたヴァレリウスは溜息混じりに言う。
「知っての通り、俺は不死者だ。それが原因で国王を退いたんだ」
「不死者だと、何か問題があるんですか?」
「ある、と考える者もいてね……死なず、老化も止まる俺にこの国を任せれば、永遠に国王を続けることもできるわけで、それはいずれ専横を極めるのではと危惧する臣下が多くいたんだ。だが不死者の国王は俺が初めてのことで、法令にも不死者の王は認めないなんて書かれちゃいなかった。だから王位継承の儀は粛々と行われ、俺は新たな国王となったんだが……」
脳裏に当時の光景がよみがえり、ヴァレリウスは表情をしかめた。
「臣下の不安は消えず、それどころか広がりを見せて、不死者の王を認めるか否かで二分し始めたんだ。王宮内の空気はどんどん不穏に変わっていった。俺に対して、あからさまに態度を変える者もいれば、変わらず接する者もいて、あの頃は本当に困ったよ。こっちは真面目に国王をしてるだけだってのに」
「不死者っていうだけで、あれこれ警戒や心配をされて、偏見を持たれたのか……」
「偏見だけならまだよかったんだろう。やがて否定派の中で、手遅れにならないうちに俺を降ろそうっていう強硬な意見が出てきて、それを知った容認派は阻止しようと動き出し、各領地で小さな揉め事が起き始めた。だが俺には仲裁なんてできるわけもない。俺は国王として公務をこなすしかなかったんだ。だがある日、容認派だった貴族が否定派の集団に襲われたっていう事件が起きた。それをきっかけに二分した臣下達の間は一触即発の雰囲気になった。突けばたちまち火がつきそうな状況に、俺はもう嫌気が差して、決断したんだ。国王から退き、王位を放棄するってね」
これにエリンナは気の毒そうに見つめる。
「何だか、複雑な気持ちですね。ヴァリーさんのせいじゃないのに、ヴァリーさんのことで皆が揉めて、国王をやめることになるなんて……」
「まあね。だが俺は玉座に執着してたわけじゃないし、俺が降りたことで皆がまた一つに戻って揉め事が収まってくれればって、それだけ望んでたから、あんまり残念でもなかったよ」
「それで、王宮内は静かになったのか?」
ヴァレリウスは肩をすくめる。
「いや、まったくならなかった。俺はまだ婚姻してなくて子供もいなかったから、王位継承権を持つ者が集められ、そこから話し合われて決まるはずだった。当時は継承順位がなく、国王により近い者を選ぶのが慣習だったんだが、俺に兄弟はいないし、亡くなった両親も同じだった。父方の親族は多くが亡くなってて、その子や孫はいたが、王家とは縁遠い。母方の親族となると、もはや王家の血筋とは言えない。そんなだったから話し合いは揉めに揉めて、国王はいつまでも決まらなかった」
「そうなると、やっぱりヴァリーが国王をやるしかなさそうだけど……」
呟いたロアニスをヴァレリウスは指差す。
「その通り。話し合いで誰かがそう言って、一度は俺に決まりかけた。だが俺は王位を放棄してるし、固辞し続けたんだ。その話を嗅ぎつけたのが、かつての否定派の臣下だった。一度は退けたのに、また俺が玉座に戻ろうとしてると知って猛反発し始めたんだ。不死者の国王は認められないってね」
「ヴァリーはまた板挟みだね」
「そう。だから俺は王宮から逃げた」
「逃げた? 出て行ったってこと?」
「ああ。俺がいると皆は揉め始める。つまり俺は火種なんだよ。だから消えたほうがいいって思ったんだ」
「悪いことしてないヴァリーさんが、何でそんな目に遭わなきゃ……」
「別に辛いことでもないよ。王宮内は窮屈だったからね。逃げた当時は清々してた。おかげで今は精神的に、昔より大分たくましくなれたし」
「その後、王宮はどうなったの? 皆ヴァリーのこと捜したんだろう?」
「街をかなり騒がせたが、俺は意地で逃げ切ったよ。俺のいない王宮で何があったかは知らないが、一ヶ月後に王位を巡って内乱が起きた。噂じゃ王位継承権を持つ者が暗殺されたとかで、それを発端にしたかつての否定派と容認派による戦いだったらしい。その結果、否定派が勝利を収め、彼らが選んだ人物が新国王になった」
「継承権を持たない人、だったんですか?」
「ああ。有力貴族で、王家とは遠縁と言ったらしいが、俺は聞いたこともない。多分周りを納得させるために言った出任せだろう」
「だとしたら、リュデさんの言った通り、王家だと騙ってることになるんじゃ……」
「だろうな。だが俺はそれでもいいと思ってる」
「どうして? 本当なら君が治める国なのに――」
「この国は俺のものじゃない。住んでる人間全員のものだ。たまたま王家に生まれて治める役目を担っただけで、平和に統治してくれるなら誰だっていいと思うんだ」
ロアニスは瞬きをしながら聞く。
「それって王政を否定してるのか? 当事者がそんなこと言うなんて、ちょっと驚きだよ」
「王宮にいた頃の俺なら、きっとこんな考えはしなかっただろうね。だが民に混じって長いこと過ごしてると、暮らす者にとって大事なのは国王でもその血筋でもない。自分達の生活をいかに豊かにし、安全を保ってくれるかなんだ。伝統も大事だが、そのために民が迷惑を被るなんてあっちゃいけない。この国を正しく導いてくれる者なら、血筋にこだわる必要もないんじゃないかって思えたんだよ」
「だけど、今の国王様は王家を騙った上に、正しく導けてないみたいだけど」
「そうらしい。だが不満をぶつけられる国王はこれまでに何人もいたし、逆に民に慕われる国王だって何人もいた。偽の王家だからって一概に悪いとは言い切れない」
小さくなってきた焚き火に小枝をくべながらエリンナは言う。
「ヴァリーさんは心の広い人なんですね。私が同じ立場だったら、嘘をついて国王になったってだけで許せないですけど」
「俺が嘘を見過ごす代わりに、面倒事を引き受けてくれたと勝手に思ってる。やりたいって言ってるやつがいるならやらせればいいさ」
「その結果が今の現状だよ? 国王様は仕事を怠けて、クーデターを起こされてる……ヴァリーはもう王宮に戻る気はないの?」
これにヴァレリウスは溜息に似た息を吐く。
「ロアニスも、リュデと同じ考えみたいだな」
「え……?」
ヴァレリウスは不安そうな彼の目を見つめ返す。
「俺が監禁されてたのは、まさにそれが理由だ。働かない国王を引きずり下ろしたら、正統な王家の人間である俺に国を導いてほしいってね」
「リュデさんは、ヴァリーが千年前の国王だって、知ってるの?」
「ああ。よく知ってたようだ。旅芸人のふりをしてた以前から……俺が傭兵に誘われたのも、あいつらのもくろみのうちだった。自分達の側に俺を置き、クーデター後、すぐに玉座に据えるつもりでいたんだろう。だが俺が傭兵をやめて再契約もしないと言ったら豹変して監禁だ。俺の意思なんてどうでもいいらしい。あいつらは何が何でも俺を国王に戻したいんだろう」
するとエリンナが首をかしげながら聞いた。
「ヴァリーさんが国王だって知ってたなら、どうして正面からお願いしたり、初めから捕らえたりしなかったんでしょう? 何も言わず、わざわざ傭兵に誘って側に置くなんて手間をかけて……」
「それは、俺を油断させるためだと思う」
「油断?」
「ああ。実は、俺を国王と知って再び担ぎ上げようとするやからは前に何度もいたんだ。それは決まって暗愚と呼ばれるような国王が生まれた時代に現れてね。周期としては、大体五十年から百年ぐらいの間か。王宮や民の中に閉塞感が流れると、人間は無意識に希望を求める。それが何かは人それぞれだが、その中に必ずあるのが、千年前に消えた不死者の国王――つまり俺の存在だ」
「僕はヴァリーの存在、まったく知らなかったけど、皆は知ってるものなの?」
「いや、それが普通だ。歴史学者でもなきゃ誰も知らないだろうな。だがどこで知ったのか、俺を捜し回って国王に戻そうとするやからがいつの時代にもいるんだ。時の国王を非難しながら、王家を正統な血に戻せって。それに同調した者達が各地に散らばって俺を捜し続けるんだ。あれは本当、神経がすり減って辛いよ」
「捜すって、皆は一体どうやって君を捜すんだ? 顔も姿も知らないはずだろう?」
「富や権力を持つ者ってのは、自分をいろんな形で残したがるやつが多い。銅像を立てたり、建物や土地に名を付けたり。王家の場合は絵で残してきた。記念日や成人した時なんかに、宮廷絵師が肖像画を描くんだ。国王だった俺ももちろん描いてもらってる」
「それを元に? でも千年も前の絵だろう? 綺麗に残ってるものなのか?」
「保管の仕方次第だと思うが、油絵なら数百年持つこともある。仮にボロボロになったとしても、そうなる前に複製すれば残し続けられるだろう。リュデは俺の肖像画を模写し、似顔絵を仲間に配ったと言ってた。だから今もどこかに俺の絵があるんだろうさ。そうやって今まで何度も捜され、国王に戻ってくれと頼まれてきたが、俺は断って逃げ続けて来た。おそらくそんなこともリュデ達は知ってたんだろう。正攻法じゃ近付けないと。それで考えたのが目的を隠した傭兵勧誘っていうこざかしいやり方だ。今までにない接触方法で、まさか下心があるとは気付けず、警戒を緩めた俺も抜かったよ……」
「こうなったのは、僕達の責任でもある。ごめん、ヴァリー……」
うつむき、ロアニスは申し訳なさそうに謝った。
「謝るな。責任があるのは見抜けなかった俺だけだ。お前達に非はないよ。こっちこそ、こんな面倒事に巻き込んで悪いと思ってる」
これにエリンナは首を横に振った。
「面倒事なんかじゃないわ。ヴァリーさんが困ってるなら、私達はそれを助けたいって思ってますから。そうでしょう? 兄さん」
「ああ。僕達が力になるよ。君のために……まあ、傭兵集団相手に、どこまでできるかわからないけどね」
苦笑いを浮かべたロアニスに、ヴァレリウスは穏やかな眼差しを向ける。
「別にあいつらに戦いを挑むわけじゃない。ただ身を隠せればそれでいいんだ。……改めて礼を言うよ。ありがとう、二人とも」
二つのよく似た笑顔がヴァレリウスを見つめる。
「落ち着いた状況が戻るまでは、三人で力を合わせて行こう。ヴァリーがまた捕まらないように……でも、本当にもう国王には戻らないのか? 僕はちょっとだけ君の国王姿も見てみたい気もするけど……」
「国王姿なら、枝で作った王冠でも持ってくればいつでも見せてやるさ。だが王宮に戻るのも、玉座に座るのもごめんだ。俺は二度と国王にはならないよ」
「私達からすればもったいない気もするけど……それがヴァリーさんの意思なら尊重しないと」
「わかったよ。君が庶民でいたいなら、そういられるように手伝っていくよ」
「変に気負わないでいいぞ。この先しばらく大変かもしれないが、だからこそ気楽にやって行こう。心に余裕を持たないと不安に押し潰されるからな」
「じゃあ、余裕を持つために、まずは腹ごしらえでもしましょうか。さっき兄さん達が戻る前に、食べられそうなキノコを採っておいたんだけど――」
焚き火を囲み、三人は深夜の食事の準備を始めた。それぞれの胸にある不安はひとまず隠し、再び得られた三人の時間を喜び、静かに過ごす。わずかな睡眠を取り、三人がその場を離れたのは、輝く朝日が目に眩しく映る頃だった。
死にたい男は愛を探す 柏木椎菜 @shiina_kswg
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