十一話

 ズキズキした痛みがヴァレリウスの意識を呼び戻した。仰向けの姿勢でうっすらと目を開けると、ほの暗い天井の梁が見えて、自分は屋内にいるのだと知った。しかしここはどこなのか。いつここに運ばれたのか――意識を失う前の記憶はしっかり残っていた。リュデと二人きりで契約の話をしていた最中、彼女が突然ナイフで刺して来たのだ。ヴァレリウスは刺された胸に手を這わせてみる。血で汚れていると思ったが、触れた服はサラサラと手触りがいい。顎を引いて見てみると、着ている服は見覚えのないシャツだった。意識のない間に着替えさせられたらしい。そのシャツをめくって胸を確認すると、そこには真っ白な包帯が幾重にも巻かれ、傷の手当てがされていた。血は滲んでいなかったが、傷口はまだ痛みが残っている。


 シャツを戻してヴァレリウスは部屋の中を見回す。木の壁に囲まれた部屋には彼が寝かされているベッドの他に小机や棚などがあったが、生活感を感じるような物は何も置かれていない。床には砂埃が積もり、漂う空気も埃っぽい。窓を見ると、そこには内側から板が張り付けられ、外の景色も空気も遮断していた。壁にかけられたランプの明かりがなければ、ここは単なる空き家か廃墟にしか見えないだろう――いや、実際その可能性が高い。戦場のただ中で刺され、倒れた彼をすぐに屋内へ運び込むとすれば、街の住人が逃げた後の民家や建物が手っ取り早い。床に積もった砂埃からしても、この部屋は傭兵達が襲った街中にあるのだろう。つまりヴァレリウスはまだ、刺された時と同じ街にいると思われた。


 あれからどれぐらいの時間が経っているのかわからないが、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。ヴァレリウスは痛みのあるだるい身体を起こそうと身動きする。と、足に妙な重さを感じて視線をやる。


「……何だ、これ」


 思わず声が出てしまう。左足首に鉄の輪がはめられていたのだ。膝を曲げて動かすと、ジャラと金属音を鳴らして鎖が揺れた。その鎖の先を目で追ってみると、ベッドの脚にがっちりとつながっていた。それを見てヴァレリウスは大きな溜息を吐く。刺された上に監禁とは、まったくひどい仕打ちだ――枕に頭を戻し、この状況からどう抜け出すかを考え始めた時だった。


 足下の奥に見える扉の向こうに気配を感じ、ヴァレリウスは動きを止めて見つめる。そしてすぐに扉が開いて女性が入って来た。


「……あ、お目覚めでしたか」


 起きている彼に気付いたリュデは笑いかける。だがヴァレリウスは当然笑えるような気分ではない。


「なぜ俺を刺した」


 怒りのこもった声が聞く。が、リュデは表情を変えずに平然と歩み寄って来る。


「何か召し上がりませんか? 果物をいくつか持って来たのですが……」


 そう言ってリュデは手に持ったかごの中の果物をヴァレリウスに見せる。


「好きな物を仰っていただければ、私が切って――」


「質問に答えない気か?」


 睨み据える目に、リュデはちらと視線をやってから言う。


「……私のしたことは、謝罪いたします」


「俺が欲しいのは謝罪じゃない。刺した理由だ」


「理由は……あなたを失うわけには、いかなかったからです」


「だから、ここに監禁か?」


 ヴァレリウスは左足を動かして鎖を示す。


「ご不快なお気持ちにさせたのは承知の上……今しばらくのご辛抱を願います」


 リュデの神妙な態度に、ヴァレリウスは腹をくくるしかなかった。


「……言葉使いが丁寧になったのは、俺への謝罪の気持ちからじゃないんだろう? こっちからははっきり聞けない。だからそっちがはっきり言ってくれ。お前達は、俺をどうしたいんだ?」


 間を置き、リュデは力強い視線を向けて言った。


「クーデター成功の暁には、王宮へ戻り、この国を導いていただきたい」


「そうか……やっぱり……」


 くすぶっていた疑いが完全な確信に変わり、ヴァレリウスは一度深呼吸をする。そして傷の痛みをこらえながら上半身を動かす。


「まだ寝ておられたほうが……」


 リュデが止めようとするのを無視し、ヴァレリウスは身体を起こしてから口を開いた。


「……いつから、俺の正体に気付いてた」


「二百年前の、傭兵としてご一緒した直後に……」


 聞いたヴァレリウスは鼻を鳴らした。


「そんな前に……やっぱり、戦いなんかに出しゃばるもんじゃないな。ろくなことがない。……じゃあ、俺に声をかけて傭兵にさせたのも、すべて計画的に?」


「大半はそうです。ですが、すべてではありません。契約を拒絶された場合には強硬手段も考えていましたが、ご一緒にいたあの兄妹が上手く役に立ってくれました。あれは思わぬ偶然でした」


 ひどい状況下で兄と妹を別れされるのは酷だと思ったヴァレリウスは、自分が傭兵になる条件としてエリンナも雇うことを約束させた――自ら言ったこととは言え、結果これは知らないうちにリュデの思惑に沿う形となってしまったのだ。


「そうして、何も気付いてないふりで俺に接し、お前達から離れないよう再契約を迫ったってわけか」


「できるだけ穏便に、納得された形でご一緒にいていただきたかったのです。これまでの多くの非礼、どうかお許しください」


 謝るリュデをヴァレリウスはねめつける。


「鎖につながれた状態で謝られても、何も響いてこないよ。本当にそういう気持ちがあるなら、さっさとこれ外してくれないか?」


「それはご容赦ください。こちらとしても大変心苦しいのですが、あなたという存在を失うわけにはいかないのです。ご理解ください」


 理解などできるかと心で愚痴りながら、ヴァレリウスは諦めの息を吐く。


「……二百年もの間、お前は俺を捜してたのか? よく嫌にならなかったな」


 これにリュデは薄く笑む。


「この国のためです。嫌になどなりません」


「あの傭兵の時から俺を?」


「いえ、あの時はただ生きて行くために戦っていました。紛争が終わり、次の仕事を探していた時に、人捜しをしているという一団の情報を耳にしたのです。金払いがいいという噂もあって、私はそこへ向かい、詳しく聞きました。そして見せられた似顔絵に驚きました。最近まで共に戦っていた傭兵の顔そのものだったので」


「似顔絵なんてものがあるのか。こりゃ厄介だな……」


「あなたの肖像画は現在でも大事に残されているそうです。それを模写し、似顔絵として私達に渡されています」


「すぐに知らせたんだろう? だが二百年、見つけることはできなかった」


「はい。広範囲に捜しても見つからず……どちらにおられたのですか?」


「こっちもそれなりに警戒してるんだ。街に妙な人影を見るようになったら俺はさっさと出て行くことにしてる。一所に留まることはしないんだ」


「では捜し回っていた時には、もうお姿はなかったのかもしれませんね……けれど、諦めずに続けた私達はとうとうあなたを見つけました。旅芸人の一座を装い、各地を巡る中で」


 これにヴァレリウスは不満顔を作る。


「旅芸人に化けるなんて、ずるくないか? これまでのやつらはそんな小細工しなかったのに」


「それを知っていたからこそ、私達は策としてそう装ったのです。あなたの警戒心の強さは伝わっていました。正面から話を求めても次の瞬間にあなたは姿を消してしまう。だから目的を隠し、傭兵として契約し、私達の側にいていただくことにしたのです」


「そして、クーデターが上手く行ったら、俺を担ぎ上げるつもりか?」


「担ぎ上げるだなど……。あなたは正統なのです。その言葉は当てはまりません」


「本人が嫌がってるんだ。担ぎ上げるの他にふさわしい言葉はないと思うが」


 リュデの眉間に小さなしわが寄る。


「……お聞きしたいのですが、なぜそれほど玉座を避けるのですか? 王位をお継ぎになられていれば、傭兵になることも、庶民の暮らしを強いられることもなかったというのに」


「まるで俺が街暮らしで不幸になったみたいな言い方だが、決め付けは困る。確かに苦労することは多いが、だからって抜け出したいとは思ってない。国王なんぞになるよりはましだからな」


「なぜそこまでのお気持ちに――」


「面倒だからだよ。何もかも」


 大声でヴァレリウスがそう言うと、リュデは険しい表情を浮かべて見つめた。


「……そんなはずはありません」


「本人が言ってるのに信じられないか?」


「恐れながら、私は個人的にあなたのことを調べたことがあるのです。あなたを捜す際に聞かされていた情報が本当なのか疑わしく思えたので。千年前、不死者としてお生まれになった国王で、若くして王位を継ぐはずがそれを固辞し、王宮から消えた後、市井に混じってお暮らしになっている――果たしてそのような国王がいたのかと、古い歴史を知らなかった私は思ったのです。ですが数少ない文献を読み漁り、本当にいたのだと知りました。そして現在までにつながる現国王は、正当な王の血を有さないまま、玉座に居座り続けているのだと」


「………」


「ある文献にあなたについて少しだけ書かれていました。そのご性格は誠実で責任感が強く、父王の名代として執り行った公務では、素晴らしい手腕をお見せになったとありました」


「どんな公務か知らないが、書いたやつは相当気を遣ってくれたんだろうね」


「私はそこから妄想するのです。あなたがもし国王であったならば、きっと民をより良いほうへ導いてくださっただろうと」


「想像だけで人を信じるべきじゃない。お前は俺をどこまで知ってるって言える?」


「仰る通り、私は残された文献上でしかあなたのことは知りません。けれど思うのです。少なくとも怠惰な現国王よりは優秀なお方であると。……ご本人を前に、判ずるような言葉は失礼でしたね」


「いや、気にするな。根拠はなくても優秀と言ってくれるのは嬉しいよ。だがそれはあくまでお前の妄想で理想でしかない。俺がもし国王になったとして、善政を敷けるかは誰にも、俺にだってわからない」


「神でない以上、先の出来事は誰にもわからない……それはその通りだと思います。しかし私達の目的はそれだけではありません。先ほども言いましたが、現国王につながる現在までの王家には、あなたとつながる血が流れていないのです。つまりあなたが王位を固辞された後、この国は王家を騙った者達が支配しているのです。そんな状況を許すわけにはいきません」


 ヴァレリウスは困惑気味に鼻の頭をかく。


「確かに王位継承権を持ってない者が国王に就いたが、国のために働いてくれるならそれでも――」


「ここは王国であり、王家が治める国なのです。国法にも書かれています。正統な血筋を持つ者のみ国王となる資格を有すると。それを現王家は破り、民を騙し、資格もないまま何百年と王宮に居座り、その結果があの怠惰な国王なのです」


「正統な王家にだって、時には不出来な人間は生まれるさ」


 リュデはフッと笑みをこぼす。


「やはりあなたはお優しいお方ですね。人間というものがおできでいらっしゃる……けれど私達はそこまでには至りません。知ってしまった以上、許すことはできないのです」


「なるほど。俺を国王に据えれば、評判の悪い国王を追い払える上に、正統な王家にも戻せるってことか」


「そうなります。私達はあなたに王冠をかぶっていただきたいのです。そして乱れた王政を民のために正して――」


「断るよ。国王なんてごめんだ」


 一瞬瞠目し、見つめたリュデは、すぐに眉をひそめて聞いた。


「……数百年も玉座を避け続ける本当の理由は何なのですか?」


 ヴァレリウスは横目で彼女を見やった。


「言っただろう。面倒だって」


「私にはそれが理由とは思えないのですが……」


「思えなくても、それが理由なんだ。受け入れろ」


 素っ気なく言ったヴァレリウスをリュデはしばらく見ていたが、それ以上返す言葉が見つからなかったのか、両目を瞑り、小さく息を吐いた。


「……そうですか。真意を聞けず、残念です。国王になられるご決心をしていただけないのでは、今しばらく不自由を強いることになってしまいますが……」


「ベッドで眠れるし、鎖につながれる程度の不自由なら我慢できるよ。……まさか、飲まず食わずにはしないよな?」


「食事や身の回りのお世話はさせていただきますので、そのご心配はなさらずに」


「それは助かる。傷の痛みはそのうち消えるが、飢えの苦しみはずっと続くからね」


「空腹であれば、すぐにお食事をお持ちします」


「ああ、頼むよ」


「他にご要望はありますか?」


「そうだな……あれを外してくれないか?」


 ヴァレリウスはベッドの横にある木板の打ち付けられた窓を見た。


「俺を逃がしたくない気持ちはわかるが、外の景色ぐらい見えないと、さすがに気が滅入りそうでね」


「はあ……その板は初めから打ち付けられていたもので、私達がやったものではないのですが、外からの目を遮断できるのでそのままにしておいたのです。でも確かに、空気も淀みますし、気分はよくありませんね……」


 そう言うとリュデは窓に近付き、腰から抜いたナイフを構えると、板の隙間に差し込んで刺さった釘を次々に抜き始めた。一枚、また一枚と板が落ちていき、徐々に汚れた窓ガラスが見えてくる。


「……これで、いいでしょうか」


 板が取り払われると、外からはガラス越しに陽光が差し込んでくる。どうやら今は昼間の時間帯らしい。


「そう言えば、俺はどのぐらい意識を失ってたんだ?」


「二日間眠っておられました。そして三日目の今日、お目覚めに」


「三日もベッドの上か。どうりで腹が減るわけだ」


「すぐにお持ちしますので、しばしお待ちください」


 小さく会釈すると、リュデは足早に部屋を出て行った。残されたヴァレリウスは早速窓の外の景色を眺める。こびりついた砂埃で鮮明ではなかったが、外壁の剥がれた隣の建物が見えた。やはりこの家は戦闘のあった街中にあるようだ。独りになった今のうちに逃げ出したいところだが、ベッドから窓までの距離はそこそこあり、つながれた鎖の長さからして窓に近付くのは無理そうだった。リュデもそれを承知で板を外したのかもしれない。通りすがる誰かに助けを求めることはできそうにない。


「あの二人、怒ってるかもな……」


 契約終了後、三人で行動する約束をしていた。それなのにヴァレリウスが現れないとなると、兄妹はきっと裏切られたと思っているかもしれない。その弁明ができないのは彼としては残念でならなかった。この状況を伝えられるものなら伝えたいが、そんなことをリュデが許すはずもないだろう。今のところ脱出方法のないヴァレリウスは、しばらくベッドの上で大人しくしている他なさそうだった。

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