十話

 次の目的地に着くと、早速領主との交渉が行われたが、それは早々に決裂し、これまでよりも早く傭兵部隊に指示が下った。待機期間が短くなった傭兵達は急いで戦闘準備を整える。その中にはヴァレリウス達ももちろんいた。この日は契約期限まで残り一日で、あわよくば戦闘に出ずに済む可能性もあったのだが、そう上手く物事は進んでくれない。


「ヴァレリウス」


 天幕の側で装備を整えていたヴァレリウスの元にリュデが歩み寄って来た。


「……調査部隊が今ここに来るなんて珍しいな。街中で動き回ってるもんだと思ってた」


「他はちゃんと仕事してるわよ。だけど私は別の仕事を任されてるのよ。……どう? 契約期限は明日だけど、ここで傭兵を続けてみない?」


 にこやかに言うリュデに、ヴァレリウスは辟易した表情を見せた。


「仕事ってそれか……。あんたも大変だな」


「あなたが続けると言ってくれれば何も大変じゃないわ」


「もう決めてることだ。明日まで戦って、それで終わりだ」


「給料を今の二倍出すと言ったら、ここに留まってくれるかしら」


「悪いが、金の問題じゃない」


「本当に? 三倍ならどう?」


 明け透けな引き留めに、ヴァレリウスは怪訝な視線を向ける。


「……何でそこまで俺を引き留めようとする? 特に目立った活躍をしてるわけじゃない」


「武器が扱える不死者の存在は、戦場では貴重で重宝するのよ。知ってるでしょう? だからあなたの力が必要なのよ。どうしてもね」


「不死者と言っても、たかが一人だけで、俺は戦士でも何でもない。それだったら戦いを経験してる者を多く雇ったほうが戦力は上がるだろう」


「そう都合よく戦闘経験者なんて見つからないわ。傭兵募集に応じるのは、大半はお金に困ってる街の住人だから。それを鍛えるのにも時間がかかるし。その一方で決して死なない不死者は、敵に捕まらない限り戦力を減らすことはないわ。傷を負わされても何度だって戦える。あなたも私の立場なら、不死者を確保しておきたいって考えない?」


「さあな。そういう仕事をしたことないからわからないね」


 素っ気なく言ったヴァレリウスは装備を整える作業に戻る。


「どうしたら傭兵として残ってくれるのかしら。あなたの要望を言ってみてくれない? できることなら応えるわ」


「要望は、契約を予定通りに終わらせることだよ。最初から決めてたことなんだ。俺と話すだけ時間の無駄だぞ。説得は諦めて帰ってくれ」


 リュデは心底困ったように頬に手を添え、首をかしげる。


「その決心は固いのね……わかったわ。残念だけど、ここは出直すわ。また後で、会いましょう」


 出直すという言葉に、ヴァレリウスは何度来ても同じだと言い返そうとしたが、すでに背中を向けて離れて行く姿に、言葉をぶつけることを諦めた。


「ヴァリー」


 リュデと入れ替わるように、今度はロアニスがやって来た。


「……戦闘準備は済んだのか?」


「うん。一応ね。……あの人、君の説得に必死みたいだね」


「見てたのか?」


「君と話そうと思って来たらいたから、それで……盗み見てたわけじゃないよ」


「別に見られたって構わないが……で、俺に何の話だ?」


「この前話した、僕達の契約終了後のことだけど」


「ああ、二人で決めたのか?」


 ロアニスは笑顔で頷く。


「僕達も、明日で傭兵はやめることにした」


「そうか。俺と同じか」


「僕は契約を望んでも断られるだろうし、たとえできても、君なしで戦うのは自信ないから。エリンナもここに一人で残る気はないみたいで、だから二人でやめるって決めた」


「やめてどこへ行くんだ? このクーデターが終わらない限り、安定した暮らしは難しいだろう」


「それで、提案なんだけど……」


 どこかためらうようにロアニスは言った。


「ヴァリーに、一緒に付いて行っても、いいかな……?」


 これにヴァレリウスは瞬きをしながら見つめ返す。


「俺と、一緒に? 何で?」


「仕事の同僚で、同じ街の住人なわけだし、何より君にはたくさんの恩がある」


「付いて行って恩返しでもしたいっていうのか? そんなの気にしなくて――」


「それだけってわけじゃないよ。こんな大変な状況なんだ。三人でいれば、何かと協力できると思うんだ。人手が必要な時とかさ。それに一人でいるより、三人でいたほうが安全でもあるでしょう?」


「まあ、そうだが……」


「行き先とかは全部ヴァリーに任せるから、どうかな。僕達も一緒に行かせてもらってもいいかな……?」


 期待のこもった眼差しがヴァレリウスを見つめてくる。それを困惑の目が見つめ返す。


「恩を感じるからって、俺にわざわざ付いて来なくてもいいんだぞ」


「わざわざじゃないよ。付いて行きたいって思ったんだ」


「だが、兄妹二人のほうが自由に動けるんじゃないか? 他人の俺がいるより――」


「迷惑だったら、そうはっきり言ってほしい。困らせるつもりはないから」


「迷惑なんて、そこまでは思ってないが……二人は、本当にそれでいいのかと思って……」


「もう二人で決めたことなんだ。ヴァリーさえよければ付いて行きたいって」


 ロアニスは答えを求める目を向ける。迷惑ではなかったが、正直ヴァレリウスは当惑していた。これまで独りで生きて来て、研究者と恋人以外に自分にここまで親しみを見せてくれる者はいなかった。彼が人付き合いを敬遠していたせいもあるが、大体は上辺だけの付き合いであり、別れを惜しむこともない。だがロアニスの表情には熱意がこもり、一緒に行くことを心から望んでいるのが伝わってくる。引っ越した街で偶然知り合っただけで、まだ長い付き合いとも言えないが、ロアニスはヴァレリウスをすでに信用しているのだろう。でなければ付いて行くなど思わないはずだ。その気持ちには少し温かなものを感じつつ、しかしヴァレリウスは渋い表情で口を開いた。


「……本当にそうしたいなら、まあ、二人の好きにすればいい。嫌になったら途中で別れればいいだけだしな」


「嫌になんてならないよ。ヴァリーは自分の良さをまったくわかってないね」


「褒めたって何にも出ないぞ」


「事実を言っただけだよ。……じゃあ、これからもしばらくよろしくね」


「契約は明日までだ。まずは今日、明日の戦いのことを考えろ。気が緩めば致命傷を食らうぞ」


「わかってる。ちゃんと集中するよ。それじゃあまた後で」


 ロアニスは笑みを浮かべて去って行った。ヴァレリウスは小さく息を吐き、自分の装備の点検をする。そうしながら、断るべきだったかとも考えるが、そうする理由が今の彼にはなかった。独りで行動するほうが身軽で楽だが、そんなことを言えばロアニスは気を悪くするかもしれない――そう思ってヴァレリウスは苦笑した。ロアニスの気持ちを思い遣っている時点で、自分も彼に親しみを覚えているのだろう。たまにはこんな友人を作ってみてもいいかと、了承してしまった自分を納得させるのだった。


 その夜、戦闘は始まった。数部隊ずつに分かれ、各方面から一斉に攻撃を仕掛けた。これまでの街より小さいおかげで、拠点となる要所を押さえるのにそれほど時間はかからず、領主側を順調に追い込んでいた。


「……これで、最後か?」


 恰幅のいい部隊長は一人残っていた兵士を切り伏せると、辺りを見回して言った。


「もう敵兵の気配はなさそうだな」


 仲間が建物の裏や道の先を確認しながら言う。動かない兵士と散乱した瓦礫が広がる中には、もう彼ら以外に動く人影は見当たらなかった。


「じゃあ、少しずつ進みながら索敵行動に――」


「隊長、誰か来る」


 仲間の一人が低い声で言い、道の角を指差した。そこには松明を持った黒い人影がおり、静かに歩いて彼らのほうへ向かって来ていた。その姿に部隊は警戒し、皆が武器を構える。が、視認できる距離まで近付いた時、その正体を知って隊長はすぐに警戒を解いた。


「……怖がらせたかしら?」


「声をかけるなりしてくれ、リュデ」


 言われたリュデはニコリと笑う。皆が安堵している中で、部隊の後方にいたヴァレリウスは怪訝に感じていた、彼女がこんな前線に現れるのは初めてのことで、そもそも調査部隊員を戦場で見かけることすらない。彼女達は戦闘の裏方的存在であり、戦いには参加していないはずだった。


「何だろう。珍しいね」


 側に立つロアニスも同じように思ったのか、小声で言った。一体なぜやって来たのか、ヴァレリウスには見当もつかなかった。


「伝令が走れなくなっちゃって、その代わりに私が伝えに来たのよ」


「伝えに来た割には、のんびり歩いて来たな」


「もう敵は一掃したみたいだから。各部隊は一度拠点まで戻るようにと。ひとまずあちらの出方を見るそうよ」


「そんな暇があるなら、一気に攻めたほうが早いだろう。戦力は削りに削ってるんだ」


「こちらも無駄な犠牲は抑えなきゃ。降伏してくれるならそれに越したことはないわ」


 これに部隊長は悔しげに頭をかきむしった。


「調子がいい間は攻めたほうがいいと思うがな……まあ仕方ない。皆、一旦引き上げるぞ」


 部隊長と同様、戦いを続けたそうな様子を見せつつ、傭兵達は武器を収めて拠点へ引き返し始めた。それに続いてヴァレリウスとロアニスも歩き出した時だった。


「ヴァレリウス、ちょっといいかしら」


 呼び止められ、足を止めるとリュデが歩み寄って来る。


「話をしたいんだけど……二人だけで」


 そう言ってリュデの目がロアニスを見やる。何を言いたいのか察したロアニスは、ぎこちない笑みを浮かべた。


「あ、じゃ、じゃあ、僕は先に行ってるから」


 気を遣って小走りで去って行く姿を見送ると、その場には二人だけが残された。リュデの持つ松明の明かりが互いの表情を照らし出す。


「……話って、契約のことじゃないだろうな」


 ヴァレリウスはわずらわしそうにリュデをジロリと見やる。


「ええ、そうよ。最後の説得で、確認をしたいと思って」


「まったく……だから、俺との話は時間の無駄だって、説得は諦めろって言っただろう。本当しつこいね」


「しつこくもなるわ。何せあなたは大事な存在なんだから」


「大げさだな。ただ剣が扱える不死者なだけだろう。戦力としちゃ大したことはない」


「いいえ。あなたはとっても重要な人よ。戦力以上にね」


 リュデはニヤリと微笑む。松明が作り出す揺れる陰影が、まるで人ではない何かが重なっているように見えて、ヴァレリウスは不吉なものを感じずにはいられなかった。


「……どういう、意味だ」


「そのままの意味よ。特別な意味なんてないわ」


 微笑み続けるリュデを見つめ、その真意を探ろうとするが、同時にヴァレリウスの中では嫌な予感が渦巻き始めた。


「こちらとしては傭兵を続けてほしいんだけど、あなたの決心、どうしても変わらないのかしら?」


「再契約はしない。ここには、いられない……」


 はっきり質問することもできた。だがもし勘違いだったら、質問自体が墓穴を掘ることになってしまう。そんな恐れからヴァレリウスは深く探ることができなかった。


「給料も増やすし、あなたが休みたい時に休んでもいい。食べたい物があればすぐに調達してくるわ。それでも考え直してくれない?」


 まるで子供の気を引くような文言だった。もはや傭兵として必要としているとは思えない。それはすなわち――ヴァレリウスは半分確信しつつ、この会話を早く終わらせることに努めた。


「気持ちは変わらない。いい加減諦めてくれ」


「そう言われても――」


「もう戻るぞ。戦って疲れてるんだ」


 ヴァレリウスは踵を返そうとした。


「本当に、ここを去ってしまうの?」


「そう何度も言ってる。話は済んだ。俺は戻る」


 リュデに背を向け、歩き出そうとした時だった。


「……お許しを……」


「え……?」


 かすかな呟きが耳に入り、ヴァレリウスは思わず振り返る。微笑んでいたはずのリュデの顔は、一転して悲痛な表情を浮かべていた。そして次には松明を放り捨て、左手に握った何かをヴァレリウス目がけて素早く突き出した。


「う……!」


 衝撃と共に鋭い痛みが胸を貫いた。視線を落とし、その痛みの原因が突き刺さったナイフだと知った。


「お、前は……」


 ヴァレリウスはリュデを押し離そうとするが、ナイフを両手で握った彼女はそれに逆らい、さらにグイグイと胸に押し込む。


「こうする他、ないのです」


 ナイフを突き立てながら、リュデは悲しく怯えたように言った。刃が奥深くを切り裂くごとにヴァレリウスは呼吸ができなくなってくる。立っていることもままならず、両手はリュデの背中を抱えるようにつかむ。痛みと呼吸の苦しさに朦朧としながら、頭にふと自分の発した言葉が浮かんだ。戦闘に出る前にロアニスへ言ったこと――気が緩めば致命傷を食らうぞ。


「……ふっ」


 気が緩んでいたのは自分だったと気付き、小さな息が漏れる。そして胸の痛みに押し流されるように、その意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る