終 ただの凡庸な人間

 何度訪れても慣れるものじゃない。

 墓参りというものは。

 白河は物言わぬ墓石の前で神妙な顔つきで目を閉じ、手を合わせている。持ってきた花を生けて、灯した線香の煙が空へとのぼっていく。林原もまた、手を合わせていた。大切な人を失った同じ遺族として、深い哀悼を捧げているのが分かった。


 白河の瞼がゆっくりと持ち上がる。合わせていた手を離して、琥珀色の瞳で墓石を見詰めた。そこに刻まれていたのは、五番目の被害者の加原亮一郎の姓だった。


「これで五人目、か」


 次に行こうと言い、白河はすぐにその場を後にしようとする。岩垣と林原もそれに続いたが、不意に白河の足が止まった。どうしたのかと思いその視線の先を見遣れば、花束を抱えた加原夫婦がいた。白河はばつが悪そうな顔を一瞬浮かべたが、すぐにその色を消して歩き出した。加原夫婦とすれ違う瞬間、


「待ってください」


 声をかけてきたのは加原亮一郎の母親だった。白河は無言のまま足を止め、振り返った。ほっとしたような表情を加原夫人は浮かべると、夫と共に恭しく頭を下げた。


「亮一郎の為に来て下さったんですね」

「いえ」


 白河が否定したのが予想外だったのだろう。顔を上げてた加原夫婦に白河は言う。


「ぼくが来たのはぼくの自己満足のためです。亮一郎さんのために来る権利があるのは、貴方たちのような亮一郎さんを愛した人達だけだ」


 白河らしい答えといえた。

 そんな白河の答えに加原夫人は表情を柔らかに綻ばせた。


「それでも添えて下さったお花も線香も、私たちには慰めになります」


 この言葉は、白河にとって意外だったらしい。目をまん丸くしていた。美丈夫がそんな表情を作ったのが意外だったのだろう。加原夫妻は少し可笑しそうに笑っていた。白河はそれが癪だったようだ。

 少し子供じみた口調で「そうかい」と言い捨てて歩き出した。もう加原夫妻が引き留めることはなかったが、霊園を出るまえで二人が見送ってくれているのは見なくても分かった。岩垣は白河へと言う。


「お前、本当に面倒くせぇやつだな」

「キミには関係ないことだろう」


 ぴしゃりと白河は言う。多分機嫌は悪くない。おそらく気恥ずかしいのだ。

 それから林原と岩垣、白河の三人は最後の被害者である水橋祐子の眠る霊園へと向かった。空気が澄んだ、よく晴れた日の正午前。外気は凜と冷たくて身が引き締まる思いにさせてくれた。途中で花屋に寄って花を買った。できる限り、きれいな花を。


 水橋祐子の墓は真新しく、霊園自体も最近できたものだということが分かった。昔の怪談話で出てくるようなおどろおどろしい雰囲気はなく、草花で彩られた霊園内は庭園のようにさえ見えた。水橋祐子の墓はそんな霊園の右端にあった。


 先客はおらず、枯れ始めていた花と新しく買った生花を入れ替えて、できる限り墓を綺麗にする。それから白河はいつも持っているジッポで線香に火をつけた。ぽう、と赤く燃えた先から白い煙と線香の香りが立ち上っていく。それを供えて、白河は静かに手を合わせて目を伏せた。祈りを捧げるその姿は神聖ささえ漂っていて、神が特別に造った人間のように美しい。男で、しかも幼馴染みの岩垣でさえこの男の美しさは何度見ても慣れないし、この頭の中で何を考えているかもさっぱり分からない。


 殺人鬼、北村愛は繰り返し白河を悪魔だと言っていた。サイコパスだと言っていた。けれど岩垣はこうして祈りを捧げる白河を見ていると、それは違うと思う。サイコパスはきっと、こんな何の利にもならないことをしない。白河が死者の安寧を祈ろうが、白河に財が入ってくることもないし、死者が生き返ることもない。


 それでもこうして事件の度に白河は墓参りをする。犠牲になった人々に祈りを捧げる。その祈りはもしかしたら、懺悔なのかもしれない。口では「依頼と依頼人以外はどうなったっていい」と公言しているが、そうだとしたらこうして水橋祐子の墓にも訪れなかった。

 ぱちり、と白河の瞳が開く。岩垣は慌てて目を逸らして、短く黙祷した。


「これで最後、ですか」


 林原が言う。その視線は青空へと向けられている。天に昇る煙を追って。

 白河が「そうだね」と言って歩き出す。右手で煙草を咥えて、右手で火をつける。霊園の出口で立ち止まると、煙をくゆらせた。煙草の煙が、先程あげてきた線香の煙と同じように青空へと向かってのぼっていく。

 白河はその煙を琥珀色の瞳に映していた。


「人は死んだらどこにいくんだろうねぇ」


 くだらないと普段なら白河自身が言いそうな問いを、白河が誰にとも無く問う。

 林原がそれに対して「どこでしょうねぇ」と答えにならない答えを返した。岩垣は頭の後ろをがしがしと掻くと、そんな二人に向かって言った。


「いいやつは天国、悪いやつは地獄だろ。そう相場は決まってるモンだ」

「善男。相変わらずキミは子どもじみた脳味噌だな」


 だが、と白河は続ける。


「それならぼくは間違いなく地獄行きだな」


 その声は妙に明るかった。そうあるべきだと望んでいるかのようだった。

 けれど林原がそれを否定した。


「白河所長は天国に行きますよ」

 

 思わず岩垣と白河、二人が林原を見遣った。

 けれど林原はそんな二人の視線をものともせず、淡々と答えた。


「所長はオレにとっては正義のヒーローですから」


 現代のシャーロック・ホームズと言ってもいいですけど、と林原が少しだけ茶化すように言うと、白河は目をぱちくりとさせた後、声を上げて笑った。


「馬鹿を言うんじゃあないよ」


 白河が笑う。幼馴染みの岩垣なら分かる。次に白河が言う台詞を。


「天国か地獄かは置いといて、ぼくは正義のヒーローでもシャーロック・ホームズのような名探偵でも何でも無い。ただの、探偵事務所の所長なんだ」


 ただの凡庸な人間さ、と。


 白河は言う。

 そう在りたいと願うように言うのだ。

 その美しい、琥珀色の瞳をきらりと輝かせて、青い空を見上げるのだ。

 

 白河が吸って吐いた煙が、晩秋の冷たさに溶けて消えていく。

 青空に浮かんだ白い雲、太陽の光で縁取られたそれの上にはまるで、天国が広がっているようだった。

 

 煙草の煙と線香の煙は、その光の世界へと向かって、高く高くのぼっていった。






《了》



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解剖心書──異能非探偵は「心」を暴く── 朝桐 @U_asagiri

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