12月25日 次の銀河へ


 コンコン、コンコン。

 その小さな音で、さっちゃんは目を覚ましました。昨日と同じように、さっちゃんとすーちゃんとりーちゃん、三人でお布団にくるまって眠りまして、今は、もう朝です。

 お部屋の中はまだ暗く、クリスマスツリーの七色だけが光っています。枕元の目覚まし時計を見ますと、もうとっくに日が昇っていてもおかしくない時間なのに、真っ暗なのです。


 今日は、曇りか雪なのかしら。それに、この音は何でしょう。コンコン、コンコン。どうやらそれは窓の方から聞こえているのです。さっちゃんは眠たい目をこすりつつ、カーテンを開きました。そして、びっくり仰天! 窓の外には、宇宙が広がっているのです。


 これは夢でしょうか。さっちゃんは、まだ寝ぼけているのでしょうか。コンコン、コンコン。なおも音は聞こえます。どうやら誰かが、窓を叩いているようなのです。ガラス越しには、いつものベランダと宇宙しか見えませんが、誰か外にいるのでしょうか。

 さっちゃんが不思議に思っていますと、いつの間に起きていたのでしょう。すーちゃんが「窓のさっしのすきまから、お入りください」と、窓の外の誰かに呼びかけました。


 そうしますと、ひと息ぶんの間があって、「あらまあ」と上品な声がしました。窓の前にはいつの間にか、古びたドレスが立っています。古びてはいますが、上等な生地のドレスです。さっちゃんのお部屋をきょろきょろ見回し、落ち着かない様子です。

「ごきげんよう。あたくし、ここがパーティの会場だと思って来たのだけれど、間違っていたかしら?」

 ドレスはどうやら、昨日、さっちゃんたちがばら撒いた招待状を拾いまして、そしてここにやってきたようでした。

「いいえ、ここで合ってます。だけど大変。まだ準備が済んでいないわ」

 さっちゃんは慌てて飛び起きて、急いで身支度を整えました。すーちゃんもりーちゃんも、超特急で朝の支度をし、最初のお客さんをもてなします。クリスマスパーティを開催するためには、準備しなければならないものがたくさんあるのです。

 食べ物、飲み物。ツリーだけでなく壁や窓だって飾り付けた方が良いでしょうし、素敵な音楽もかけてあったらいいでしょう。やるべきことはたくさんあります。



 さっちゃんたちが慌てて準備をしている間にも、お客さんはどんどん集まってきます。コンコン、と窓をノックされるたび、最初はさっちゃんが、「すきまからどうぞ」「さっしのすきまから、入ってください」と声を掛けていました。

 けれどもさっちゃんたちは、あんまり忙しすぎますから、途中からはその役割を、お客さんにお任せしました。パーティ会場に先に着いたお客さんたちが、「すきまから入れますよ」と、外の人に声をかけるのです。それで、たちまちさっちゃんのお部屋は、すきまのお客さんだらけになりました。


「いやはや。招待状に、パーティの開始時間を書かなかったのは、失敗だった」

 りーちゃんが、目の回るような忙しさに本当に目を回しながら、言いました。だけれど、今さら言ったって仕方がないのです。お客さんはもう、たくさんたくさん、本当にたくさん、集まってきています。


 一番最初に到着したドレスは、宝石の欠けた金のピアスと仲良くなったようでした。クリスマスツリーの前で、りーちゃんの用意したミカン茶に舌鼓を打ちながら、楽しげに談笑しています。

 セトモノ市から来たらしき、団体さま御一行もありました。すーちゃん特製のアイシングクッキーを振る舞いましたら、この模様が綺麗だとか、あの色合いが素敵だとか、わいわいと大盛り上がりです。


 トショ渓谷から流れてきたらしき文字たちも、さっしのすきまから入り込んできました。それはツリーの周りを鳥のように飛び回り、ときどきお客さんにぶつかっては、その文字の持つ色や手触りや味や意味なんかを、その人に与えるのです。

 特に張り切っていたのは、音楽にまつわる意味を持つ、文字列たちでした。讃美歌。コンサート。合唱。はなうた。こもりうた。そんな文字たちは、今こそ出番だと言わんばかりに、人々の耳に美しい音色を響かせました。

 人々がうっとり聞き入りますと、『美しい』とか『ここちよい』といった言葉たちが、そっとその耳の横を通り抜けるのでした。


 サマヨイ小道から来たらしい、心細げな文房具たちも、やがて自分たちの居場所を見付けます。ボタン商店街の人たちと世間話をしながら、商売のこつなんかを、ああでもないこうでもないと話し合っています。

 ホシウも飛んできます。スナアラシが、お客さんたちの足元をちょこちょこっと走り回ります。すきまの世界の、本当にたくさんのものたちが、クリスマスのパーティにやって来たのです。


 不思議なことに、すきまのお客様たちを迎え入れるたびに、さっちゃんのお部屋は、それにふさわしい広さに広がっているようでした。ちっとも、窮屈ではありません。お部屋も台所も広がって、みんなでダンスもできますし、全員がお腹いっぱい食べられるくらいの、大きなシフォンケーキだって焼けるのです。


 窓の外は宇宙。お部屋も台所もどこまでも広がって、天井だってもう見えません。見上げると、巨大なクリスマスツリーが、空に届かんばかりに伸びています。その枝葉のすきまからも、宇宙が見えます。

 天井も壁も、もはやどこにもありません。あるのは、窓だけ。どんなにお部屋が広がっても、窓だけは変わらずそこにあり、そのさっしに空いたわずかなすきまを、すきま世界に繋げているのでした。



 しばらくパーティの準備に走り回ったあとで、ある程度の支度が済みますと、ようやくさっちゃんたちにも、パーティを楽しむ余裕が出てきました。大勢のお客さんの中に、さっちゃんは、見知った顔を見付けました。外惑星サービスエリアでラーメン屋を営む店主が、クリスマスツリーの根元で、ピンクゴールドのシャンパンを飲んでいます。

「こんにちは、いらっしゃい」

 さっちゃんが挨拶をしますと、ラーメン屋の主人はグラスを空けてから、「やあ、良か集まりですねえ」と言いました。

 さっちゃんは、サービスエリアで食べたラーメンが、本当に美味しかったことを彼に伝えまして、それから、さよならを言いました。ラーメン屋の主人は、「はい、さよなら」と言って、会釈をしました。


 次に見付けた顔は、サボン温泉で受付をしていた、うさぎのタオル人形です。タオル人形は「まあまあ!」と言って、さっちゃんの方へぴょんぴょんふわふわと駆けてきます。

「このたびは、お招きいただきありがとうございます。とっても楽しいパーティですね」

 そして、パーティに招いてもらったお礼だといって、サボン温泉の割引チケットを、さっちゃんにくれました。これは、さっちゃんが持っていても仕方ありませんので、すーちゃんにあげました。

 さっちゃんはもう、すきまの世界には行けないのです。うさぎのタオル人形にも、さよならを言いました。


 大壁の前でお世話になった、ひそひそ話の人々も来てくれていました。さっちゃんはお部屋じゅうからご馳走というご馳走をかき集めまして、彼らにふるまいました。彼らがつるはしを貸してくれなければ、すーちゃんを発掘することは出来なかったのです。本当に、感謝してもしきれないのです。

 すーちゃんにもりーちゃんにも、それを説明しますと、二人ともそれぞれのポケットから、とびきり上等のお酒を出しまして、彼らに持たせました。

「また発掘したいものがあれば、つるはしくらい、いつでも貸してあげるよ」

 ひそひそ話の人々は、上機嫌でそう言いました。そして、さっちゃんがさよならを言う前に、

「さよなら、さっちゃん。もうあんなところへ、来ちゃいけないよ」

 と、言いました。



 そのあともさっちゃんは、たくさんのお客さんとお話をしました。みんな、色んなすきま、色んな終点から来ています。

 すきま五番地は、いつだって終点のひとつ手前のバス停ですから、きっと交通の便がとてもいいのです。それで、こんなにたくさんのお客さんが集まったのかもしれません。


 たくさんのお客さんに、さっちゃんはたくさん、さよならをしました。

 古いドレスに、宝石の取れてしまったアクセサリー。色褪せたフィルム、すっかり黄ばんでしまったタオル、割れてしまったティーカップ。

 物置きにしまったまま、忘れ去ってしまったもの。いつの間にか、なくしてしまったもの。なくしたまま、探さなかったもの。


 パーティには来られなかったものたちにも、どうか届けと願いながら、心の中でさよならを言いました。

 いちごの柄のガーゼタオルや、片耳がすり減ったうさぎの消しゴム。煙水晶の大壁に埋まっていた化石たち。それを掘り出そうとする人たち。

 真っ白で美しかったアンにも、それから、おばあちゃんにも。


 さようなら。さっちゃんは丁寧に、別れの言葉を告げました。



 たくさんのさよならを口にして、さすがに少し疲れたさっちゃんは、クリスマスツリーにもたれかかって休憩をします。すーちゃんが、コーンに乗ったアイスクリンを持ってきてくれました。

 甘くて冷たいアイスクリンに疲れを癒してもらいながら、さっちゃんはパーティ会場をぐるりと見渡します。たくさんの人が来てくれましたが、さっちゃんが今日、本当に会いたかった人には、まだ会えていません。舟屋の主人は、こういう賑やかな場を好きそうにありませんから、招待状を受け取っていても、もしかしたら、来ないかもしれません。


 半ば諦めていたさっちゃんでしたが、群衆の中から「さっちゃん!」と呼ぶ声が上がりました。その声はりーちゃんのもので、人混みをかき分けてこちらへ来るりーちゃんは、舟屋の主人の手を、しっかりと握って引っ張っているのです。

「まったく、往生際の悪い。パーティへ出るような服を持っていないから、とか何とか言って、もじもじ恥ずかしがってるんだもの」

 どうやらりーちゃんが、無理やり引っ張ってきてくれたようです。その強引さに苦笑しながらも、さっちゃんは嬉しくてたまらず、舟屋の主人の手を取り強く握りました。

「たくさん、お世話になりました。本当に、本当にありがとうございました」

 舟屋の主人は、黒いローブの下で、困ったように首をかしげました。そして、

 ――あなたは、勇敢だった。これからも、勇敢であるだろう。

 と、そのような意味を、さっちゃんに伝えました。


 舟屋の主人にも、さよならを言いまして、これでさっちゃんの目的はほとんど果たされました。お礼を言って、さよならを言う。それが済みましたら、あとはパーティを楽しむだけです。

 食べ物も飲み物も、お菓子だってたっぷりあります。クリスマスツリーの飾りはぴかぴか光り、オーナメントの天使たちは讃美歌を歌います。さっちゃんも、彼らに合わせて歌を歌います。すーちゃんもりーちゃんも、歌いました。すきまのお客さんたちも、歌いました。


 歌いながら、天井の消えた空を見上げます。さやかの空に星がきらめいています。パーティは続き、夜は更け、そしてまた新しい朝へ向かって、時は無情に過ぎていくのです。


 ほら、もうすぐ、日付が変わります。



「さっちゃん、そろそろ、さよならですね」

 喧騒の中で、すーちゃんが言いました。「うん」と返事をして、さっちゃんは、向こうの方でセトモノのおじいさんとお喋りをしているりーちゃんを見ました。

「りーちゃんは、呼んでも来ないと思いますよ。あの子、さよならが苦手だから」

「うん、分かってる」

 りーちゃんも、気が付いているでしょう。さよならの時が近いこと。終わりが近付いていること。彼女はそれに耐えられないので、さよならに気付かないふりをしているのです。


 日付をまたぎ、今日と明日とのすきまが過ぎ去ってしまえば、さっちゃんと彼女たちとの間にあるわずかなすきまは、越えられない隔たりとなります。

 さっちゃんは、すーちゃんの手を握りました。あの暗い海底でずっとつないでいた、小さいけれど頼もしい手です。


「すーちゃん、ありがとう。すーちゃんに会えてよかった」

「私も、さっちゃんに会えてよかったです。またいつか、会いましょう」

「会えるの?」

 さっちゃんが尋ねますと、すーちゃんはにやっと笑いました。

「物質世界とすきま世界は、すぐお隣同士にありますからね。運が良ければ、もしかしたら」

「じゃあ、また……」

 また会おうね。そう言いたかったのですが、途中で声が詰まってしまって、さっちゃんは言葉の代わりにすーちゃんを抱きしめました。すーちゃんも、さっちゃんを抱きしめました。

 抱きしめ合ったまま、二人は二人にだけ聞こえる声で、さよならを伝えます。


 ちょうど、日付が変わりました。





 気が付いたときには、さっちゃんはもとのように、部屋の中に立ち尽くしていました。


 部屋は嘘のように静まり返って、たった今までこの部屋に大勢の人がいて、クリスマスパーティをしていたなんて、信じられないような静けさです。ご馳走も、クリスマスツリーも、すきまの世界の人々も、みんな消えてしまいました。

 あるのは、いつもの見慣れたお部屋だけ。段ボールもそのままです。ただ、クリスマスツリーが入っていた段ボールだけは、どこにもなくなっています。


 さっちゃんは、何だかどっと疲れてしまって、ベッドの上に倒れ込みました。

 窓の外に宇宙などなく、お部屋の壁も天井も当たり前にそこにあります。すきまの世界のものたちは、光も音も匂いも味も、何も残さずにいってしまったのです。


 しばらく、さっちゃんはベッドの上に倒れたまま、じっとしていました。それからやにわに立ち上がって、ローテーブルの上に置きっぱなしにしていた、ハンドバッグを手に取りました。


 飾り気のないそのハンドバッグの上に、確かにあります。赤にピンクに黄色に白、青やオレンジ、紫。ハンドバッグの片隅に寄り添い合う、たくさんの色彩たち。色とりどりのスイートピーの花束が、丁寧に刺繍されています。

 これで充分だ。と、さっちゃんは思いました。

 間違いなく、存在したのです。過ぎ去ってしまった時間のように。思い出せなくなった記憶のように。たとえもう二度と触れられないのだとしても、終わってしまったものたちは、確かにあったのです。


 ハンドバッグをだきしめるさっちゃんの耳に、かすかな囁きが届きます。それは、冷たいすきま風に乗って。



 ――私は来ますよ。いつだって、窓のさっしのすきまから。




 きっとまた会えるでしょう。次の銀河へ漕ぎ出した先で、きっと、また。




<おわり>

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すきま五番地のイブ【アドベントカレンダー2024】 深見萩緒 @miscanthus_nogi

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