12月24日 すきま五番地のイブ


 なんだか、不思議な気持ちがします。一晩過ぎて、朝は当たり前にやって来ました。そして当たり前ではないことに、見慣れた自分の部屋にすーちゃんがいて、りーちゃんもいるのです。


 冬の透明な朝の光に、さっちゃんは目を細めました。すきま世界の光は、物質世界の光よりもずっと澄んでいて、ずっと無垢でした。一方で物質世界の光は、すきま世界の光にはない鋭さと逞しさを持っています。

 光に目をちくちくさせながら、さっちゃんは、まだうつらうつらしているすーちゃんとりーちゃんの肩に、自分が使っていた毛布をかけました。そして二人に「おはよう」と声をかけ、自分は先に顔を洗い、朝ごはんの支度にとりかかります。


 さっちゃんの作る目玉焼きは、すきま世界の目玉焼きのように、月の光を湛えてはいません。さっちゃんの沸かした白湯は、天の川白湯のように不思議な静けさを抱いてはいません。

 けれどすーちゃんとりーちゃんは、さっちゃんの作った朝ごはんを食べて、本当に頬っぺたが落っこちそうな反応を見せました。「おいしい」「おいしい!」と、口々に言われることは、もちろんとても嬉しいのです。



 それから、一緒にお片付けをしよう。と言い出したのは、りーちゃんでした。

 その提案は親切心からというよりも、どちらかというと好奇心からだったように思います。さっちゃんはそれを見抜いていましたし、すーちゃんも「段ボールの中身、見たいだけでしょう」と言いました。しかし動機はなんにせよ、りーちゃんの申し出は大歓迎だったのです。


 段ボールはほとんど中身を空けてしまって、要るものと要らないものの仕分けも済んでいましたが、まだあとひとつ、中を見てすらいない箱があります。片付けというのは時間がかかりますから、人手はあるにこしたことはないのです。

「じゃあ、お願いしようかな」

 さっちゃんが言いますと、りーちゃんはさっそく遠慮なく、段ボールをどんどん開けていきます。


 ひとつは、お皿やコップなど割れ物が入った箱。さっちゃんはあまり食器を多く持たない主義ですから、ほとんどを売ってしまうことにしたのです。

 その前に、綺麗に洗ってしまおうと思っていましたので、りーちゃんが取り出した食器類をシンクに並べ、さっちゃんはそれらを次々泡だらけにしていきました。

「気持ち良さそうにしてますね」

 すーちゃんが言いました。さっちゃんには、食器たちの気持ちは分かりませんが、すーちゃんが言うならそうなのでしょう。

 段ボールに無造作に詰め込まれているのではなく、食器らしく食器用洗剤で洗われることは、彼らにとって幸福なことなのかもしれません。



 食器洗いが終わりましたら、りーちゃんは次に、ふたつの段ボールを開けました。本や音楽CDやレコードなんかが、たくさん入っています。さっちゃんは、やっぱりそれも、ほとんど売ってしまうつもりでいます。

 ずいぶん古いものもあり、それらはもしかしたら、価値がつかないかもしれません。その時はもちろん、責任もって、さっちゃんが処分するつもりです。

 トショ渓谷の地層が、また少し厚くなることでしょう。けれどそれは、決して悲しいことではないのです。少なくとも、放っておかれて忘れ去られて、あの侘しいサマヨイ小道で彷徨うよりは。


 とにかく、決着をつけるのが肝要なのでした。要るのか、要らないのか。捨てるのか、まだ使うのか。宙ぶらりんのものは、いつかすきまに落っこちて、すきまの世界をさまよって、行く行くは暗く冷たい放棄の海へ放り出されることでしょう。


「だけどね、さっちゃん。すきまに落っこちたものだって、私たちが使っているかもしれないんだから、そう悲観することないんだよ」

 りーちゃんが、にやっと笑って言いました。

「どこにやったっけ。もう捨てたっけ。まだしまってあるっけ。そんなふうに消えてしまったものを、私は結構、拝借しているんだ」

「それでいつまでたっても捨てられなくて、家もポケットも、物でいっぱいにしているくせに」

 すかさずすーちゃんが、辛辣な一撃を喰らわせます。りーちゃんはムッと唇をとがらせて、それからすーちゃんに向かって舌を出しました。まったくこの二人のやりとりといったら、仲が良くって仲の悪い、子供そのものなのです。



 本やCDも仕分けまして、次の段ボールには写真が入っています。これが一番難しいのです。なにせ、思い出があまりにも濃すぎて、さっちゃんにはどうしようもありません。

「わあ、見て」

 りーちゃんが見ている写真には、まださっちゃんくらいの歳のころの、おばあちゃんが写っています。おばあちゃんとさっちゃんは、顔かたちはそれほど似ていないのですが、すーちゃんもりーちゃんも、似てる似てると喜びます。


「そんなに似てる?」

「似てますよ。そっくりです」

「似てるよね。魂のかたちがね」

 魂のかたち。さっちゃんが呟きます。

「それって、血が繋がっていれば似るものなの?」

 さっちゃんが尋ねますと、二人は同じタイミングで首を横に振りました。

「二重らせんで似るものは、二重らせんがつかさどるものだけです。血とか肉とか」

「魂のかたちは目に見えないから、目に見えないものによって繋がれるんだよ」

 それってつまり、何? さっちゃんが尋ねますと、二人はやっぱり同じタイミングで、首をかしげます。

「それは、分かりません。姿かたちが違っても、似ている人は似ています」

「人間同士だけじゃなくって、異なる生物種とも、似ることがあるよね。生きものじゃないものとも、似ていることがあるよね。不思議だね」

 なんだか分かりませんが、とにかくさっちゃんとおばあちゃんとは、よく似ているのです。それが嬉しくて、さっちゃんは右手をぎゅっと握りました。おばあちゃんが握ってくれた、その手の感触を思い出すように。


 と、そこでさっちゃんは思い出します。シワだらけでがさがさしていて温かい、おばあちゃんの手の感触……だけではありません。あの優しい手が、さっちゃんに握らせてくれたもの。

 さっちゃんはハンドバッグの中を探り、金の粒をみっつ、取り出します。そしてそれを、りーちゃんに渡しました。

「これ、気動車の運賃。まだ返してなかったよね」

「おや、別に貸したままでも良かったのに。よく、すきま世界のお金を手に入れられたね。海の底にも、お金を稼げるようなところがあったの?」

 りーちゃんの疑問に、さっちゃんは、ちょっと恥ずかしそうに。

「おこづかい、もらったの」

 秘密ごとをそっと打ち明ける子供のように、そう答えたのでした。



 割れ物の段ボール。本やCDの段ボール。写真の段ボール。要るもの、要らないもの。売るもの、捨てるもの。

 全て午前中に片付くかと思いきや、強敵がありました。まだ開けてすらいない段ボールが、ひとつあるのです。中に何が入っているのか、全く知りません。持ち上げてみれば、それほど重くはないようですが、中からがしゃがしゃ音がします。

「開けてみて、さっちゃん」

 すーちゃんに促されて、さっちゃんは、最後の段ボールを開けました。


 そうしましたら、中にあったのは、たくさんの煌めき。そしてみずみずしい、深い緑色。

「あ、クリスマスツリー!」

「ツリーのオーナメント!」

 すーちゃんとりーちゃんが、同時に言いました。そう、その通り。段ボールの中に入っていたのは、クリスマスツリーとオーナメントだったのです。

 ツリーは、さっちゃんのお部屋の天井まで届かんばかりの大きさです。葉っぱも、作り物ではなく、本物のようです。不思議に思いますが、そもそも段ボールの中から三メートルもあるたも網が出てきたことだってあるのですから、今さらと言えば今さらです。


 段ボールの中からそびえ立ったクリスマスツリーは、お部屋いっぱいに葉を広げ、まだ昼間なのにもかかわらず、お部屋はたちまち夜みたいに薄暗くなりました。ツリーの足元を覆う、色とりどりのオーナメントたちは、枝先に飾られる時を今か今かと待っています。

 ここまでお膳立てされて、やるべきことが分からないさっちゃんではありません。

「お昼食べたら、クリスマスツリー、飾ろっか」

 そしてもちろん、すーちゃんもりーちゃんも、異論などあるわけがないのです。



 お昼ご飯を食べている間、オーナメントたちは早く飾り付けてほしそうにそわそわしていました。

 トナカイは鼻をふんふん鳴らし、ベルはかちゃかちゃ騒ぎ立て、リボンはひらひらたなびきます。天使は羽をぱたぱたさせて、ジンジャークッキーはとことこ歩き、オーナメントボールはひとりでに飛び上がって、ころころ転がりました。その騒がしいことといったら!

 さっちゃんたちは、急いで袋ラーメンを食べ終えました。そして、クリスマスツリーの飾り付けに取り掛かったのです。


 三人ともが食べ終わるころにはもう、オーナメントたちは好き勝手に走り回っていましたから、まずは彼らを捕まえるところから始まります。

 さっちゃんはお部屋のあっちこっち走り回って、モール毛糸で出来たサンタクロースと、金メッキのトナカイを捕まえました。すーちゃんは、カーテンに引っ掛かっている、プラスティックのベルとオーナメントボールを回収し、りーちゃんは家具の裏に入ってかくれんぼをしていた、錫の天使とフェルトのジンジャークッキーを連れ戻しました。


 オーナメントたちは、きゃあきゃあ言いながら逃げ回りましたが、ツリーに飾られると分かりますと、一転しておとなしくなりました。そして、どのようなポーズを取れば最も美しく凛々しく神々しく見えるのか、互いにひそひそ話し合い、それぞれ納得のポージングを決めるのでした。

 せっかくさっちゃんたちが飾り付けても、高さか位置かが気に入らないのか、別の枝に移動してしまうものもありました。

 特に天使たちはうるさくて、仲良し同士でくっついて飾られたがったり、金色のりんごが見える枝が良いだとか、雪を模した真っ白な綿の上でないといやだとか、注文ばかりでした。


 オーナメントたちに翻弄されながらも、クリスマスツリーの飾り付けは、とても楽しいものでした。昼いっぱいを飾り付けに費やして、それから日が沈んでしまうまで、さっちゃんたちはクリスマスパーティの招待状を書きました。

 それは、手帳のページを切り取って作った、とても豪華とはいえないクリスマスカードです。罫線の入った薄い紙に、『さっちゃんのお部屋でクリスマスパーティをしますから、ぜひお越しください』と、シンプルなメッセージだけを書き入れます。

 すーちゃんやりーちゃんと協力して、何枚も書きました。そしてそれを持って、さっちゃんは、最後の旅へと出かけます。



『ご乗車ありがとうございます。このバスは、行先番号一二二四。すきま五番地経由、すきま周回バスです。整理券をお取りください』


 プー。どこか間の抜けたような音の、高い電子音が鳴り響きます。さっちゃんはたくさんの招待状を抱えて、クローゼットの扉から、すきまのバスに乗り込みました。

 バスカードを機械に通して、乗車処理をします。カードは、輝く銀河で埋め尽くされています。これが最後の乗車です。

 周回バスの行き先は、全てのすきま。あらゆるすきまのそのすきまです。

 バスが走り出しますと、さっちゃんはバスの窓を開けました。そして、たくさん作った招待状を、ばら撒きました。


 ばらばら、ひらひら。

 フルギモリに、ホタルガワに、フイルム団地にサボン温泉に。あらゆるすきまの中に、招待状はふりそそぎます。フルギモリで埃をかぶっていた、古びたドレスがそれを拾いました。パーティなんて久しぶり。行ってみようかと思案します。

 トリドリ公園、サービスエリア、モノオキ沖にも、ボタン商店街にも。招待状は闇に紛れて、すきまのすきまに落ちていきます。商店街は大騒ぎ。だってクリスマスパーティなんて、楽しいに決まっているのです。行こうよ。行こうよ。どのお店も臨時休業です。

 ブラウン砂丘もサマヨイ小道も、セトモノ市もトショ渓谷も。招待状はすきまを通じて、すきまのすきままで行きわたります。どんなすきまにだって、パーティのお知らせは届くのです。それはきっと、あの深く暗い海の底の、煙水晶の大壁までも。


「メリークリスマース!」

 招待状を撒きながら、すーちゃんがご機嫌に叫びました。「クリスマスは、まだ明日だよ」と、りーちゃんが野暮なことを言います。

 だけどそんなりーちゃんだって、次の瞬間には、「メリークリスマス!」と言って、招待状と一緒に琥珀のどんぐりをばら撒いているのでした。



 そんなふうにして三人は、たくさん書いた招待状を、残らず全部ばら撒きました。周回バスが路線を一周したころには、三人ともすっかり手ぶらになって、身軽そのものです。


『次は、すきま五番地。終点です。お忘れ物のないよう、ご注意ください』

 とうとう、最後のアナウンスが流れます。バスはゆっくりと速度を落とし、そしてとうとう停車しました。プー。ブザー音と共に、バスの前側、運転手さんの横にある扉が開きます。

 バスを降りる前に、さっちゃんは運転手さんに、一枚残しておいた招待状を手渡しました。このひと冬の旅の中で、バスの運転手さんにも、本当にお世話になったのです。運転手さんは困ったような照れくさいような仕草をしつつも、招待状を受け取ってくれました。


 すーちゃんがバスを降り、りーちゃんも降りてから、さっちゃんは最後尾で名残惜しげに足踏みをします。

『お降りの際は、足元にお気をつけください』

 いつもはないアナウンスに背を押され、さっちゃんはようやく、降車処理の機械にバスカードを通しました。

 バスカードは機械に吸い込まれていき、そしていつもならば機械上部から吐き出されるはずが、吸い込まれたまま出てきません。バスカードをとうとう金額いっぱい、あるいは期限いっぱい、使い切ったのです。


『またのご利用を、お待ちしております』

 バスのアナウンスが、さっちゃんにさよならを言いました。さっちゃんはバスのステップを降りて、閉まるドアに手を振ります。それはもうバスの扉ではなく、見慣れたクローゼットの扉でした。



 お部屋の真ん中に、クリスマスツリーがぴかぴか光っています。光っているのは電飾ではなく、オーナメントたちそのものです。それぞれの場所に、最も美しく凛々しく神々しく飾られたオーナメントたちが、しゃんと気取ってぶら下がっています。

 そして、おのおの気に入りの色に、好き勝手光っているのです。おかげでお部屋の中は、まったくすっかり虹色です。


 薄暗いお部屋の中に、ぴか、ぴか。一定のリズムをもって、オーナメントたちは光を発します。そのリズムは秒針よりも少し速く、さっちゃんの鼓動よりは少し遅いのでした。


「明日が楽しみですね」

 すーちゃんの優しい言葉が、さっちゃんの寂しさを慰めます。

「うん、楽しみだね」

 さっちゃんは答えます。七色の拍動がお部屋を彩り、すきま五番地のイブが更けていきます。


 ちょうど、日付が変わりました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る