最終話 本当の奇跡、はるか眼下に

 ちょうど全ての袋詰めが終わったその時、壁の時計が十二時のチャイムを奏でた。

「よし、完了だ」

 セイヤが嬉しそうに言った。

「それでは、みなさんでこれらの袋を階下へとお運びになりますように」

 優美さんにそう言われて、袋を一つずつみんなで肩に担いだ。サンタ老人はさすがに様になっていて、やはり本物のサンタクロースにしか見えない。


 袋を担いで廊下を歩きながら、みんなは賛美歌らしい歌を歌い始めた。そういう習慣が決まっているのかも知れない。私の知らない歌ではあったが、メロディーには聞き覚えがあった。この曲は「グリーン・スリーブス」だ。今一つ歌詞が分からないまま、私も一緒にそのメロディーを口ずさんだ。


 いざいざ宝を たずさえ急げや

 きよけき喜び あふるる今宵

 いまぞ迎えん 我らの君をば

 ともに歌わん 我らの主をば


 荷物を担いだままに急な階段を苦労して、一階切符売り場の横へと下り、みんなは改札口を抜けてプラットホームへと入って行った。なぜこんなところに、と思いながらついていくと、終列車が終わった線路の上に何かがある。いや、何かがいるというべきだろう。そこには、大型の獣が二頭佇んでいた。


「……そこまで、やるのか」

 私はつぶやいた。立派な角を持ったその獣は鹿に似ていたが、しかし奈良公園や安芸の宮島で見た奴に比べるとずっと大柄で、角の形もまるで違う。初めて見るが、これがトナカイという奴なのだろう。二頭とも、澄ました顔でおとなしくじっとしている。特に鼻が赤かったりはしないようだ。

 当然にと言うべきか、二頭のトナカイの後ろには軽自動車くらいの大きさがある橇がつながれていた。下部に取り付けられた刃の部分が、ちょうどレールの上に乗っていて、これなら雪が無くても滑走可能だろう。それにしても、想像を上回って本格的だ。


 みんなでプレゼント袋を橇の上に積み込み、優美さんがトナカイたちにパンのような餌を与える。奈良の大仏殿の周りを闊歩している鹿たちと同じように、トナカイたちも嬉しげにお辞儀をしながら、餌をむしゃむしゃと食べた。


 こうして出発準備が整い、サンタクロース老人が独りで御者台に乗り込んだ。

「それではニコラス様、お届け方よろしくお願いいたします」

 優美さんが、神妙な顔で言った。

 サンタ老人はうなずくと、手綱を手に取る。

「では出発、ホッ、ホッ」


 本気なのか、と私は思った。本気でこの橇で、線路上を走って、プレゼントを届けて回るつもりなのか。いかに終列車の後とはいえ、許可とかはちゃんと取ってあるのだろうか。

 そんな私の疑問を余所に、優美さんたちはホームに並んで、先ほどの賛美歌を再び歌い始めた。トナカイはゆっくりと歩き出し、橇はトロッコよろしくレールの上を進み始める。


 御使い歌いて 牧人集えば

 いとしき嬰児 静かに眠れ

 いまぞ迎えん 我らの君をば

 ともに歌わん 我らの主をば


 橇は次第に速度を上げながら、駅の構内を走り去って行った。トナカイたちの首に下げられた鈴が、いかにもクリスマスらしくシャンシャンと鳴っている。

 その進路に目をやった私は、あっと声を上げた。ホームの先端辺りで、レールが途切れている。いや、レールだけではなく、地面そのものが断崖のようにそこで終わっていた。


 その先、はるか眼下に広がっているのは、無数の灯りが銀河のように輝く、都会の夜景だった。

 そうだ、そうだったのだ。

 あの場所、地上の世界で過ごした40年と少しの人生のことを、私はすっかり思い出していた。遺された妻と子供たちが暮らす、もう私が決して戻ることのできない、あの世界。


 トナカイたちが牽く橇は、速度を落とすこともなく全速力で走っていく。そしてそのまま、星空へ向かってふわりと飛び出した。見事に優雅な「離陸」だった。

「……だったんだな」

 そうつぶやいた私に、優美さんとセイヤの二人が、笑顔でうなずきかけた。


 離陸した橇は、ゆっくりと旋回するように進行方向を変えながら、地上を目指して降下していき、やがて鈴の音だけを残して小さく見えなくなった。その上空では満点の星たちが、聖なるこの夜を祝福するかのように瞬き、輝いていた。


 光子も幸太郎も、今夜はママの言うことをちゃんと聞いて、いい子にしているに違いない。あの老人、本物のサンタクロースは必ず、二人のところにも立ち寄ってくれることだろう。そして、私たちが袋に詰めたプレゼントのうちの二つは、あの子たちのところに届くことになるはずだ。眼下に瞬く街の灯が、にじんで見えた。

「……さあ戻りましょう、次の仕事があるものですから」

 優美さんが、やわらかい声でそう言った。


 一行は賛美歌を歌いながら、ホームを引き返した。相変わらずのうろ覚えのメロディーで一緒に歌いながら、私も行列の後ろに続く。駅舎の窓の暖かい光が、足元を照らしていた。

 振り返ると、そこにはもう街の夜景はなかった。彼方へと続くレールが、ただ信号の青い光に輝いている。恐らく私は、地上とこの場所がつながる、奇跡のような一瞬に立ち会うことができたのだ。何らかの、恩寵によって。


 澄んだ夜空を、私は高く仰ぎ見た。星々の向こうにいるはずの誰かに、感謝と願いを伝えようと。


――神よ、我々を祝福したまえ。我々全ての人間を。

(了)


*ラストの一節は、岩波文庫版(森田草平訳)の「クリスマス・カロル」を下敷きにしました。青空文庫にもあるみたいですね。


*「みつかいうたいて」の歌詞は、日本キリスト改革派さまのサイトに掲載されていたものを参考にさせていただきました。

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クリスマス・カロルの向こう側(全3話) 天野橋立 @hashidateamano

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