第6話

「梨乃、起きて」


 目が覚めて、手紙を手にしている母をみてすぐにやってしまったと思った。今日は疲れて缶を胸に抱いたまま眠ってしまったのだ。


「これ……誰とやり取りしてるの?」


 手紙を持つ母の手が震えてる。


「それは」


 別に秘密にする必要はない。むしろ母は喜んでくれるのではないだろうか、けれどこんな話をすればきっと私はおかしくなったと思われる。そう考えたらその先の言葉が出てこなかった。


「……お父さんなの?」

「えっ?」


 私は目を見開いてしまった。手紙にはいつも父からのメッセージが書かれているだけで、そこには名前も住所も書かれていない。


「どうして分かるの?」

「母さんは今でもよく笑っているか?ってこの手紙に書いてるから。お父さんはね、私の笑顔が好きだっていつも言ってくれてたの」


 母の目には、いつの間にか水の膜が張っていた。「梨乃、お父さんはどこからこの手紙を出してるの?」と私の手を握りしめてくる。


 強いひかりを目に宿したままに涙を拭う母に押され、私は一から十まで全てを話すことに決めた。母は和紙に水を浸していくみたいに、すっとこの不可思議な出来事を全て受け入れてくれた。翌日には二人であのポストのある海へと潜り、それから母と父の文通が始まった。


『私です。分かりますか?』


 母が最初に書いた手紙は、このたった一言だった。これじゃあ誰からか分からないよ、と諭す私に「私達はこれで十分なの」と母は頬を緩めた。


『ああ、分かるよ。元気だったか?』


 二日後、海鳥たちの歌声を合図にポストを見に行くと、返事が届いた。母が言った通りだった。


『元気です。いろんなことがあったけど、お弁当屋さんを始めることにしました』

『その事は莉乃から聞いた。本当に迷惑をかけたな。いろいろとすまなかった』

『許しません』

『許してくれないのか?』

『約束破ったでしょう? いつか莉乃が大人になって私達の元を巣立ったら、一緒に年老いて、同じ日に、同じ瞬間に死のうって、莉乃がまだお腹にいる時に約束したじゃない』

『確かにそうだった。約束、守れなかったな。本当にごめんな』

『もういいですよ。許します』

『許してくれるのか?』

『この約束は一度破られたけど、まだ有効です。いつか、私がそっちにいったらこの約束を果たして貰いますから』

『そうか。母さんが優しくて良かった。じゃあ俺は気長にこっちで待ってるよ。お前には、まだやることが沢山あるだろうから』

『はい、待っていて下さい』

『一つだけ、言いそびれたことがある』

『何でしょう?』

『あの日、お前が作ってくれたお弁当今までで一番旨かったよ。あと、愛してる』

『そっちにいったら、また作ります。私も愛してる』


 二人のやり取りは、私が高校を卒業した今になってもずっと続いている。父から届いた手紙を母と二人でみて時に笑い、時に泣き、私達はこの不思議で愛に溢れた日々のかけらを一つずつ大切に胸に仕舞いながら生き続けていた。木製の扉を開けると、ちりん、と鈴の音が鳴る。波を打つ音が鼓膜に触れ、潮の香りが鼻腔をくすぐる。看板を店の前に立てかけて大きく息を吸い込んだ時、歌が聴こえた。


「お母さん、お父さんからの手紙が届いたよ」


 海鳥たちの歌声が、今日も空から降り注いだ。




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空から降り注ぐ海鳥たちの歌 深海かや @kaya_hukami

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