第二十七話 合体

 絶望を形にしたような薄暗い畳敷きの密室。

 俺とユラは、俺が「座敷牢」と呼んでいる部屋の中で、互いに体操服姿のまま手を繋いで立っていた。


「玲君――」


 ユラは心配げな声を上げた。

 蚊が鳴いているような微弱な声量だった。それでも、俺の鼓膜はシッカリ震えていた。俺も、自分の名前を呼ばれていることを直感していた。それなのに、


「…………」


 俺は応えることができなかった。


 俺の心も、意識も、未だ憤怒地獄の円形闘技場に囚われていた。今の俺の脳内は、魔王が告げた「明日の予定」で埋め尽くされていた。


(((明日、午前十時。それが『最後』の勝負だ)))


 最後。これでおしまい。魔王の言葉を想起する度、闘技場に置き去りにしてきた心に亀裂が奔った。


 まるで、刃の潰れたナイフで胸を抉られているようだ。


 俺の目から涙が溢れた。それを堪える気力は、今の俺には無かった。

 俺は右手をユラの左手に預けながら、両膝を着いて項垂れた。そこに追い打ちを掛けるかのように、脳内で「先の決闘の敗因」が閃いた。


 聖剣エクスカリバーの魔法、「屈折する光」。


 今の俺には「対抗策」が全く閃かなかった。

 そもそも、俺がエクスカリバーの光を斬ることができたのは、それが「直進する」と分かっていたからだ。

 しかし、魔王は光を曲げることができた。いや、自由自在に操ることができた。


 流石は魔王様。「光の支配者」という異名は伊達じゃない。


 遠距離攻撃であったなら、多少のタイムラグが有るかもしれない。それでも、屈折する光に対応できる自信は無い。それが「近距離」となれば、人間の俺には対処のしようが――分からなかった。


 後、一回。それで、どうにかなるのか?


 明日の試合のことを想うと、溢れる涙が止まらなかった。


「ううぅ」


 口から嗚咽が漏れた。それは、俺の隣に立つユラの耳にもシッカリ届いていた。


「玲君、シッカリして」


 ユラは厳しい口調で俺を叱咤した。しかし、俺は反応できなかった。無視してしまった。

 それでも、ユラは俺を見捨てなかった。


「立って、負けちゃ駄目だよ」


 ユラは、俺と繋いだ手をグイグイ引っ張った。すると、不思議なことが起こった。

 ユラから手を引かれる度、俺の気力が徐々に回復し始めていた。それに伴って、闘技場に囚われていた心も「こちら側」に引っ張られた。それら諸々の要素が噛み合って、俺は――


「ユラ――」


 漸く反応できた。俺はユラに声を掛けながら顔を上げた。すると、涙でぼやけた俺の視界に天上の美貌が映った。

 悪魔ユラ。俺に「魔王との対決」を依頼した張本人。その事実を思うと、文句の一つも言いたくなる。しかし、俺の口から出た言葉は、全く真逆のものだった。


「ごめん、ありがとう」


 俺はユラに謝意を伝えた。それと同時に、脚に力を込めて――再び立ち上がった。


 未だ、後一回戦える。落ち込んでいる場合じゃ、ないよな。


 ユラのお陰で、俺は再び立ち上がることができた。その恩に報いるべく、「さあ、ここから俺達の反撃開始」と言いたかった。行きたかった。ところが、


「…………」


 言えなかった。何も言えなかった。

 残念ながら、今の俺の脳内には「明日の勝ち筋」など微塵も閃いていなかった。


 ユラには何か策が有るんだろうか?


 俺はユラの閃きに期待した。すると、見詰める先の可憐な口が僅かに開いた。


「玲君」

「うん」

「…………」

「?」


 ユラは、俺の名前を読んだ後、何故か口を噤んだ。その際、ユラは悲しげな、思い詰めているかのような表情を浮かべていた。それを見て、俺は嫌な予感がした。

 その直後、見詰める先の可憐な口が開いた。


「玲君」

「はい」

「私と――」


 続け様に出てきた言葉は、既知にして未知のものだった。それも、「額面通りに受け取り様も無く、有らぬ妄想を繰り広げてしまうのでは?」と危惧するほどの、意味深長な言葉だった。


「『合体』しよう」

「えっ?」

「だから、合体」

「えっと――えっ?」


 合体。その言葉を聞いて、俺は首を傾げた。言葉の意味について考えると、真っ先に、「性行為」という単語が閃いた。


 まさか、そんなことは無い。無いよね?


 俺に経験は無い。実際の行為を見たことも無い。異性の全裸を見たことも無い。それでも、俺の脳内には「それ」と思しき行為が閃いていた。それを意識するほど、俺の心臓がのた打ち回った。


 とても痛い、苦しい。


 俺は「心筋梗塞」を疑うほどの痛みを覚えていた。それに耐えながら、痛みの元凶である獣欲を必死に抑えていた。

 その最中、真っ赤になった俺の耳にユラの声が飛び込んできた。


「玲君が――」

「!」


 ユラの声は、とても冷淡だった。それを聞いた瞬間、俺は自分の耳が凍ったように錯覚した。その感覚が、跳ねまわっていた俺の心臓を万力で締め付けるように抑え込んだ。


 何て冷たい声だ。まるで、悪魔――って、悪魔なのか。


 俺はユラに冷酷な印象を覚えていた。しかし、直後に彼女が告げた内容は、俺が覚えた印象以上に冷酷、いや、「悪魔的」、或いは「冒涜的」なものだった。


「玲君が私を取り込めば、玲君は『悪魔の力』を手に入れることができる」

「!!!」


 悪魔の力。その言葉を聞いた瞬間、俺は真っ先に「魔力生成機能」を想像した。

 その力が手に入ったならば、俺は好きなだけ魔法を使うことができる。涎が出るほど魅力的な提案だ。それを望む人間は、存外に多いだろう。

 しかし、その中に「俺」は含まれていなかった。


「それは――できない」

「!?」


 俺はユラの提案を拒否した。すると、ユラは驚いて息を飲み、直後に目を思い切り開いて俺を見詰めた。


「何――で?」


 ユラの眼力を浴びて、俺は「圧殺される」と直感した。しかし、それでも、


「駄目、無理、できない」


 俺は全力で拒否した。そうせざるを得ない理由が、俺の脳内に閃いていた。


 ユラは「合体」って言ったけど、それって「魂の融合」なのでは?


 俺の目の前にいる「ユラ」という悪魔は、彼女の前世、「天城由良」という人間と融合して顕現したものだ。

 その行為によって、現世における「天城由良」という存在は、戸籍などの記録毎、人々の記憶から消滅した。

 その事実から推測すると、俺と合体した場合、ユラは、この世界から消える。


「絶対、駄目」


 俺は最悪の可能性を想像して、それを忌避すす余り、強力に拒絶した。

 すると、ユラは「怒り心頭」と言わんばかりの、憎々しげな表情を浮かべた。それを直感した瞬間、ユラの歪んだ口が開いた。ところが、


「…………」


 ユラは何も言わなかった。そのまま口を噤んで俯いた。その反応を目の当たりにして、俺は彼女の心情を慮って、自分の言動に不安を覚えた。


 俺の言い方が拙かった――かな?


 俺は「謝るべきか?」と迷いながら、ユラの様子を窺っていた。

 すると、ユラが再び顔を上げた。その美貌は、能面のような無表情になっていた。それを見て、俺は顔を張られたような精神的衝撃を受けた。


「!」


 俺は息を飲んで目を見張った。その直後、見詰める先の可憐な口が開いて、そこから冷気をはらんだ無機質な声が漏れた。


「じゃあ、どうするの?」


 ユラは、俺に代案を尋ねた。それに対して俺は、


「…………」


 何も言えなかった。

 そもそも、俺に策は無い。ユラだけが頼りだった。

 ユラの案を蹴ったら、そりゃ、何も無い。今更ながら、自分の愚かしさを恨めしく思った。

 だからと言って、ユラの案を採用することは、絶対にできなかった。


 ユラがいなくなって、それで魔王様を倒しても――意味が無い。


 今の俺に許された選択肢は二つ。「無策で魔王に挑む」か、或いは「ユラを失って魔王に挑む」か。そのどちらか。それ以外の選択肢は、「逃げる」を含めて、最初から無い。


 どうする? どっちにする? どっちも嫌なのだが?


「うむむ」


 俺は考えた。「ユラを犠牲にせず、魔王に敵う策」を必死に考えた。しかし、人間である俺の脳内に、人知を超えた魔法の対策など有るはずが無い。そんな道理は通らない。それでも、


「うむむむむむ」


 俺は必死に考えた。


 常識に囚われるな。経験に囚われるな。人間であることに囚われるな。直感を信じろ。何か、何か、何か――……


 考え過ぎて、俺の思考回路が短絡し掛けた。もしかしたら、脳の神経が何本か焼き切れていたかもしれない。それでも、俺は考えに考え続けた。

 五里霧中の思考の中、ユラの言葉が何度も閃いた。


(((『合体』しよう)))


 合体。合体って何だ? 何でそれが気になる? 合体って、合体って、合体って――何だ?


 いつの間にか、俺は脳内で何度も「合体」と唱え続けるようになっていた。その最中、唐突に「俺」と「鎧」の姿が閃いた。


 俺と――鎧? あっ、これだっ!


 俺に天啓が下りた。それを直感した瞬間、俺は声を上げていた。


「俺と鎧で合体できる?」

「え?」


 鎧との合体。それで強くなれるかどうかは分からない。しかし、俺は「これしかない」と直感していた。

 ユラを犠牲にせずに俺の強化が図れるならば、これに越したことは無い。


「できる? できるなら――」


 俺はユラの返答に期待した。ユラから「流石、玲君」と褒められることを期待した。ところが、


「駄目」

「え?」

「絶対、駄目」


 ユラは全力で却下した。その取り付く島もない態度に、俺は少なからず憤りを覚えた。その一方で、希望も覚えていた。


 これって、「できるから駄目」ってことだよな?


 俺は「これしかない」と覚悟を決めて、ユラの方に向き直った。彼女の顔を真正面から見詰めた。しかし、俺の行為は「それ」で終わらなかった。

 俺は続け様にしゃがみ込んだ。畳に膝を着いた。両掌を畳に着け、頭を下げて――


「お願いします。俺と鎧の合体方法、教えて下さい」


 俺は平伏して、ユラに懇願した。すると、下げた頭の上から、ユラの美声が降ってきた。


「駄目」


 ユラは却下した。しかし、それを受け入れることは、今の俺にはできなかった。


「そこを何とか」

「駄目」

「そこを何とか」


 暫く押し問答が続いた。そのやり取りを繰り返していく内、ユラから聞こえる声が震え出した。


 今にも泣き出しそうだ。


 俺は「自分がユラを追い詰めている」ということを自覚していた。しかし、それでも、諦める訳にはいかなかった。


「そこを、何とか――」


 懇願した回数は、とっくに忘れていた。それでも、俺はしつこく粘った。粘り続けた。すると、ユラの口から「駄目」以外の言葉が飛び出した。


「玲君が鎧と合体したら、玲君が戦わなくちゃなんだよ?」

「うん」

「そうしたら、玲君が負けたら――」


 ユラがに告げた内容は、俺を含めて、「全ての生物が最優先で回避する最悪の結末」だった。


「玲君、死んじゃう――ううん、『消滅』するかもしれないんだよ?」

「!?」


 俺の消滅。ユラの言葉は、本当に文字通りの意味だった。


 そりゃ、まあ、うん。そうなるか。


 対魔王戦に於ける敗北の瞬間。それは、全て「消滅」だった。その事実を想起して、俺は「ユラの言葉は真実である」と直感できた。


「光魔法で消滅させられたら、私には――蘇生できない」

「!」


 俺はユラに甘えていた。今も、心のどこかで「ユラが助けてくれる」と高を括っていたのかもしれない。その為か、俺はユラの「できない」という言葉を聞いた瞬間、想像以上の精神的衝撃を受けた。

 しかし、この場には俺以上に「愛洲玲寿の消滅」を恐怖している者がいた。


「玲君がいなくなっちゃう!! 私のお父様みたいにいなくなっちゃうよっ!!!」


 ユラは叫んでいた。その悲痛な声を聞くほどに、俺の胸が軋んだ。


 ユラにとって、魔王様――光の支配者は、親の仇だもんな。


 ユラの声を聞いて、彼女の心情を想像すると、俺の目から勝手に涙が溢れてきた。今更ながら、「やっぱり止めよう」と言いたくなった。


「ユラ――」


 俺はユラに声を掛けながら、ユックリ立ち上がった。その瞬間、彼女の顔が目に入った。


 ユラは泣いていた。

 

 ユラの涙を見てしまうと、俺の心中に罪悪感が募った。今すぐあふれる涙を拭ってやりたかった。

 しかし、俺は「その資格」を自ら放棄した。


「だからこそ、だ」

「!?」

「命を懸けるから、ううん、命を懸けないと、できないことが有る、と、思う」


 俺の言葉は、ユラを更に傷付けた。しかし、それでも、俺は声を上げ続けた。


「魔王様、光の支配者は、正直、何を考えているのか分からない」


 俺は魔王の真意を知らないことを、正直に打ち明けた。その事実は、ユラの説得に於いては障害となる可能性が有った。しかし、敢えてそれを告げることで、彼女に「俺が直感している魔王の真実」を理解して欲しかった。


「だけど、魔王様、光の支配者は、この戦いに命を懸けていることは分かる」

「それは――」


 俺の話の途中、ユラが声を上げた。しかし、俺は敢えて彼女の言葉を遮った。


「俺も、それに見合うものを懸けなきゃ、勝てない」

「そんなことな――」

「それにっ!!」

「!?」


 俺が声を荒げると、ユラは驚いて息を飲んだ。その反応を見てしまうと、ユラに対する罪悪感が一層募った。その想いは、俺に言葉を紡ぐことに躊躇いを覚えさせた。

 しかし、俺は尚も声を上げ続けた。


「こうすることで、あの人の本当の目的、本当の気持ちが分かる、と、思うんだ」

「…………」

「何となく――だけど」


 魔王、光の支配者の真意。それに付いてはユラも知りたいところだと思う。その直感は、多分当たりなのだろう。


「…………」


 ユラは、何か考え事をしているかのように黙ってしまった。


 果たして、光の支配者は贖罪を望んでいるのか? 或いは別の意図が有るのか?

 前者なら、俺を殺せないだろう。後者なら、俺を殺す――かもしれない。それを見極める為に、この俺、愛洲玲寿は、


「俺の子孫の仇は、先祖である俺の手で取る」


 自分の命を懸ける。その覚悟を、俺は自分の子孫に宣言した。


 第二十八話に続く。

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魔王殺し、妖刀ムラマサ The Revengers 霜月立冬 @NovemberRito118

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