オルトロスの誤算

あいんつ桜

第1話



「うわぁぁぁ……」「助けてえぇ……」「ママーっ……」


 サラマンダーの業火に焼かれる捕虜たち。

 魔王直属の部下である犬を模した双頭の魔物オルトロスはその様子を見つめると、満足気に収容所のもとを去った。


 オルトロスは魔王の城へ帰還して、玉座の上で足を組み頬杖をついている魔王の前でひざまずき、報告する。


「魔王様、ご報告でございます」

「なんだ、申せ」


「収容所にいた人間ども、どうやら謀反を企んでいたようですので、勝手ながらサラマンダーの炎で根絶やしにいたしました」


「……なっ」魔王の目が見開く。


「お喜びください。これでこの世から人間どもは全滅いたしました。世界征服が達成されました。我ら魔族の時代がやってきたのです」

 オルトロスは期待を込めて相手からの反応を待った。

 ついに魔物たちの悲願が達成されたのである。

 永かった人間どもとの戦いの日々も、終わりを告げた。


 この戦いを終焉に導いた立役者は、間違いなく眼前にいる魔王様であった。

 古来より魔物は生息していたが、その魔物たちを統べる王たる存在はいまだ誕生していなかった。だが。

 魔王様が常世の闇から産まれ落ちて以来、魔物と人間との勢力図は一変した。

 魔王様は魔物の中では珍しく人型の形状をしており、また怪力や魔法など珍しく特に目立った特質も授かっていない。


 しかし魔王様は理外を超えた頭脳の持ち主であり、また人のカタチを模していることから、人間たちの生活にたやすく潜伏することが可能だった。生まれたときから青年の姿をしていた魔王は、町人になりすまし、とある町の市場をひと歩きしただけで、人間どもの話す言語をたちまち理解した。彼は本能に従い、人間のせん滅を目標にかかげ、人間たちと仲良くなり、数限りない千単位の情報収集と数限りない万単位の裏切りを繰り返したことで、人々を袋小路に追い詰めたり、指揮官と兵を分断したり、人間の王に毒を盛ったり、庶民を酒で眠らせ魔物たちを手引きするなど、魔物による町の侵略を容易にしてきたのだ。


 人間たちもなぜこれほど手際よく魔物に攻められてしまうのか、訳もわからぬまま勇者や戦士を募ったが、すべて魔王様が仕掛けた罠にはまり、落とし穴の底の毒針で命を絶ったり、私の巣に誘導されたあげく私に食われたりと、悲惨な末路を辿った。


 こうして魔王様が誕生してからものの半年で、魔王軍が圧倒的優勢になり、人間は住処を追われ殺戮は繰り返され、その数を減らしていった。


 やがて、この世に生息する人間の数がおよそ二千人を割ったとき、魔王様の突然の提案で「千人を捕虜として、収容所へ連行せよ」というお達しを受けて、部下たちはそれを実行した。


 この圧倒的状況でいまさら捕虜を用意する必要があるのかと思ったが、私はすぐにぴんときた。

 魔物の中にはとくに人間の肉を食らうことを至上の喜びとする連中もいる。

 私にとって動物の骨のような嗜好品に近いものだ。

 私は魔王様の下々への心遣いに深く感激した。


 だが私は昨日、ゴブリンからの報告を受けて知ってしまった。捕虜の人間どもが謀反を企てていることを。


 魔王様の心遣いはありがたいが、何より我々にとっての悲願は世界征服、つまりは人間どもの絶滅である。

 私は万万が一の逆転劇をおそれ、すぐに人間の殲滅をサラマンダーに指示した。


 そして人間はいなくなった。魔王様はこれを聞いてどんな表情でお喜びになってくれ――


「なぁにしてくれちゃってんのぉぉぉぉぉぉ!」


 魔王は勢いよく立ち上がり、オルトロスを叱咤してきた。


「……はい?」


 オルトロスはポカンとした表情をする。


「あれは私の大事なお客さんだったんだよぉぉぉぉ!」


「……お客さん?」オルトロスはしばし硬直し、自分の中の考えをまとめる。すぐに尋ねた。


「あ、あれはわれわれ魔物のための食糧庫ではなかったのですか?」


「ちっがうよぉぉぉ! これだから犬畜生は! 俺に無断で勝手な真似しくさって!」 


「あの、魔王様?」オルトロスは双頭を揺らしながら動揺していた。


 はああああ、とため息をついた魔王は、またどっかりと玉座に腰をおろした。


 そして右手の指をパチンと鳴らした瞬間、その右手にカードが1枚出現した。

 カードの柄に見覚えがあった。あれは、人間でいうところの「とらんぷ」という奴らしい。

「俺が生まれて初めて市場に出かけたとき、人間に教えてもらった「手品」というやつ……俺それに最近ハマってたんだよ」

「そ、それは高尚なご趣味をお持ちで」なぜ愚かしい人間の娯楽になどうつつを抜かすのか、という言葉は飲み込んだ。


「手品はいくら知能指数が高い俺でも一朝一夕とはいかない。特にクローズドマジックとかはな。だから襲撃の合間合間に練習して、昨日、やっと人間どもにお披露目できるレベルにまで到達したと思ってたのに、のに、のに、さぁあああああ!!」

 オルトロスはなんとかご機嫌斜めの魔王をなだめようと躍起になる。


「お、お客さんが必要であれば、われわれ魔物たちがいるではありませんか。人間とは違って鉄球サイズから帆船サイズまで様々な魔物がおります。お披露目したいとおっしゃられましたね? い、今すぐ近くにいる魔物たちを集結させます! 城の大広間でやりますので魔王様はどうぞご準備を」

「えーっ……」ぶつぶつ唱える魔王。




 こうして数刻のち、およそ百体の魔物たちが集まり、晴れて魔王による「仰天! 魔王様のマジックショー」は開演した。

 魔王がフォークを手に持って構える。用意した仮設の玉座にカンカンと金属音を立てる。

「はい、このフォーク、本物ですよ。固いですよね。それを……ほらっ」

 魔王が撫でるようにフォークを触っただけで、まるで飴細工のようにフォークがぐにゃぐにゃに曲がってしまった。

 魔物たちがワーッと歓声をあげるなか、最前列にいたオークがぼそっと言う。

「え、そんなん怪力の俺たちでもできるんだけど」

 その無遠慮なひとことが耳に届いたのか、口の端をヒクつかせる魔王。


 魔王は続けた。

「さて、次はトランプを使ったマジックでーす! そこの“糞”オークさん、こちらへご登壇ください」

「えっ……は、はい!」

 オークは微妙な名指しをされたのですぐに駆け付け、頭を下げて平伏した。魔王はそんなんいいから、と言わんばかりに相手を無理矢理立たせて、彼にトランプの束から好きな一枚を引かせて、筆で適当なマークを書かせた。字なぞ書いたことのないオーク。結果よくわからない渦巻きのサインができた。

 その後オークを引っ込めさせると、魔王は

「さあ、オークさんが書いたこのサインつきのカードは世界にたった一つしかないものです! それを~はいっ!」

 魔王が合図をかけると、そのカードは手元から消えた。

「あれっ、消えてしまいましたね~、実はこのカード、奥にいるワイバーンさんの爪の中に移動したんです! ぜひ確かめてみてください!」

 指を刺されたワイバーンが自分の爪を確認すると、確かにオークの渦巻きサイン付きのカードがあった。

 魔物たちが再度ワーッと歓声をあげる。だがオークの隣に座っていたダークピクシィがぼそっと

「あら、そんなの私のテレポーテーション使えば簡単に真似できるわ」

と小賢しげに言い放つ。魔王はそれも聞き逃さなかったのか、キッとダークピクシィを睨みつけた。

「ひっ!」彼女は顔面蒼白になる。魔王は続ける。


「……さて、次は今日の目玉! 人体切断でーす! ご協力いただくのはスライムさんでーす……ちょと! 出て来るの早い早い!」

 協力者のスライムは事前の打ち合わせをまったく無視した態度で、ヌメヌメと魔王に近寄り、空気も読まずデカイ声で発言した。

「あー、魔王様、これから人体切断をやるんですよね。はいはい、いかようにも僕の体をバラバラにしてください。僕ら粘液生物はいくら切られても再生や修復が可能ですので、適当につないで頂ければ勝手にくっつきますので……」


「もおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――! だから嫌なんだよ! 人外相手のマジックショーはさぁあああああああ!」

 突然魔王は絶叫した。


 マントを玉座に投げつけ、ステッキを膝で折る。


「俺みたいな、魔法も怪力も持たない、同じ体型で、ピクシーみたいに小さくもワイバーンみたいに巨大でもないスライムみたいに千切れもしない、少しの賢さと、虚弱で脆弱で貧弱な……」


口から出血しているのでは思うほど歯噛みする魔王。


「人間! 人間! ニ・ン・ゲ・ンに見てほしいの俺は! もぉーやめだやめだ!」


仮設玉座を何度もキックする魔王。



 そこへ、外の見回りをしていたガーゴイルが大広間にやってきた。

「魔王様! 大変であります! 隣町の廃墟の地下室から、密かに隠れ住んでいたというニンゲンのつがいが見つかりまして……」

「なにっ!? 生きているのか?」

「はっ、生きてます。さっそく始末しに……」

「やぁめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」




――その後、魔王は唯一の人間の生き残りであった一組の夫婦を保護し、魔王みずからが現地に迎えに来て、談笑をしながら彼らに同伴して、魔王城へと夫婦を歓待した。


 その後彼らに五日間、快適な衣食住を提供したのち、魔王はようやく念願の人間相手のマジックショーをお披露目することが叶った。


 期待、驚き、固唾、称賛、拍手――夫婦の反応に大満足した魔王は、その後、玉座をその夫婦に譲り、魔王軍は「人間護衛軍」と立場を変えて、やがて彼らとの共生を選択したとかなんとか。



(完)

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