4 ―宣誓―
「あーあ。これで全部丸く収まれば良かったんだがな」
歓迎パーティーから一夜明けた土曜日のお昼前。
学園のカウンセリング室で、クライドはそう愚痴を漏らした。
「悪いな先生。俺はどんなに嫌な現実でも、最後はちゃんと向き合うって決めてんだ」
呼びかけた先、扉の近くに立っているのは、彼の担当医であるウォール・ベイドマンだ。
「どうしたんだいクライド君? 例の病院襲撃事件はこれで無事解決だろう? さっきの刑事さんたちが、そう話してくれたじゃないか」
クライドがわざわざ休日にここいる理由。
それは、結局先延ばしにしたままだった病院襲撃事件の事情聴取の件だった。
この少し前まで、担当刑事二人と付き添いのウォールを交えて、事件当時のことを思い出せる限り話していたのだ。
その最後、ダメ元で尋ねてみたら、担当刑事たちは事件の詳細を教えてくれた。
襲撃犯を唆した黒幕の名前は、サイモン・ブラッキス。七年前、彼の息子が例の事故に巻き込まれてから精神疾患を抱えていたらしい。そんな彼は、息子に会いたい一心でルイーズの力に固執し、彼女の行方を捜していたようだ。数ヶ月前、自らが知っている情報を使って応冠否定派に接触したサイモンは、その中でも特に自分の話を信じて慕ってくれた二人に指示して、あの病院の騒動を引き起こした。実はその際、彼も現場にいて、襲撃犯たちの行動を囮に使い、どうにかしてルイーズの個人情報を盗み出した可能性があるということだった。その手口に関しては、いまだに謎らしい。
「いやはや、運が悪かった。だってあの病院には生徒のデータも保管されていたんだからね。でなければ、ルイーズ君が特定されることもなかったはずだ」
そう。そこが引っかかっていた。
「『運が悪かった』だって? なあ先生。本当にそう思ってるのか?」
クライドが問い質すと、ウォールは怪訝な表情を浮かべた。
「一体君は、何が言いたいのかな?」
一度、唇を舐める。誤魔化しは無しだ。目の前の男に、真正面から言葉をぶつける。
「あんたが犯人にルイーズの情報を流したんじゃないのか?」
「ははっ。あまり笑えないジョークだね、クライド君? 一体何を根拠に」
「椅子だ」
「……」
その瞬間。ぴくりと、ウォールの眉が微かに動く。やはり、怪しい。
「あの時、あんたに促されて俺が座った椅子。あれがずっと気になってた」
畳みかける。ウォールが何か言い逃れを思いつく前に。
「さっき警察と話したことを、もう一度確認するぞ。あんたは襲撃の間、ずっと診察ベッドに隠れていた。それも一人で。間違いないよな?」
「ああ。その通りだ。……別に何もおかしくはないだろう?」
そう。端からみれば何もおかしくない、いたって普通の行動だ。
だが、一つの事実を知っているクライドにとって、それはあまりにも不可解な話だった。
「じゃあどうして、あの椅子は温かかったんだ?」
一瞬、ウォールの動きが止まった、ように見えた。
「あれは来院者が座る椅子だろ? でも、あんたはずっとベッドの下にいた。なあ、教えてくれ。どうしてこんなことが起きるんだ? これじゃあまるで、俺が入ってくる直前まで、誰かがそこに座っていたみたいじゃないか!」
ウォールの目が微かに見開かれる。それが意味するのは感心か、驚愕か。
「そう考えると、あんたが俺をさっさと学園へ返したのも納得がいく。早く警察に帰って欲しかったんだろ? だってあの時、まだ部屋にはもう一人いたんだから。それこそ、診察ベッドの下にでも。例えば、この騒動の黒幕だったサイモン・ブラッキスとかな!」
「ふっ」
ウォールが鼻で笑うように息を吐く。その顔には、普段通りの余裕が張り付いていた。
クライドとしては強い口調で詰め寄ったつもりだったが、あまり手応えは感じられない。
「仮にそうだとして、なんで君はさっきの刑事にそれを言わなかったんだい?」
「それは……もう証拠がないからだ。言ったとしても、俺の思い込みって思われるだろ?」
「そうだね。当時の防犯カメラ記録も、例のウイルスのせいで運悪く残っていないしね」
その言葉とは裏腹に、ウォールの表情は不敵に笑っているように見えた。
「それじゃあもう一つ聞こう。なんでそれを今言ったんだい?」
ウォールの問いはもっともで、だからクライドの答えも決まっている。
「そんなの簡単なことだ。せめて自分の中で白黒つけたかった。それだけだ」
「ほう。で、その結果は? どうだったかな?」
ウォールの試すような言葉に、クライドは目を閉じて思案する。ここまでのやり取りを振り返って、記憶の中でウォールの言動を反芻する。
やがて全てを呑み込んで、その目を開いた。
「グレーだ。やっぱり駄目だな。俺にはあんたの心の内までは見透かせない。それに、あんたが犯人と内通していたとして、その動機が俺には分からない。でもきっと、あんたは何かを隠している。今はこれだけで十分だ。俺はもう、あんたを信用できない」
予想していたことだが、彼の本心はそう簡単に読めるものではなかった。
「そうか。それは残念だ。君とは仲良くしたかったんだがな。よし。じゃあお別れの前に一つ、僕が隠していることを教えてあげよう」
「なっ!」
どういうわけかウォールは気を良くしたようで、人差し指を立てて話を始めた。
「君に渡した『ラングールの手記』。その最初のページに書かれていた文言を覚えているかな?」
「『be ingenious(独創的であれ)』だろう。後世の研究者たちに残した言葉だっけか」
その言葉にウォールは頷いた。
「正解だ。それはもともと、師匠が死の間際に残した言葉だった。弱々しく途切れながら呟いたそれを、彼の妻が聞きとり記したものだ。私もその場にいて聞いていたよ。当時、私は師匠の助手だったからね。けれど、私にはさっきの言葉が違うように聞こえた」
「どういうことだ?」
もったいぶるようなウォールの説明にクライドが先を促す。
「『be a genius(聖霊とならん)』。私にはそう聞こえた。」
「……ん? もっとシンプルに纏めてくれ。つまりあんたは何が言いたいんだ?」
クライドの困惑は深まるばかりだ。博士が残した最後の言葉、その内容が本と違うことに、一体どんな意味があるというのか。
「その言葉を残す直前まで、師匠は意識不明だった。その三日前に起きた出来事が原因でね」
どこか遠くを見るような眼差しで、目の前の男が昔話を始める。
「あの日、師匠は自分の応冠の出力を最大まで上げて、〈シード〉で何かをしようとしていた。意識が飛びそうになりながらね。それを見かねた妻マリアが慌てて、彼の首から応珠を奪いとり、それが原因で彼は意識不明になったんだ」
初耳だった。それが事実なら重大な事故のはずだ。だが、そんな話は聞いたことがない。
「君だって知っているだろう。今日、
「!?」
情報が多過ぎて何一つ纏まらない。だから、ただ問うてしまう。その答えを求めて。
「博士は、結局何をしようとしてたんだ?」
縋るように尋ねたクライド。しかし、ウォールは首を横に振る。
「それは分からない。ただ、この経緯を知った上でさっきの言葉をもう一度振り返ってみるといい。どうだい? なんだか興味深いだろう?」
応冠開発者ジョナサン・ラングール。彼は生前、その幻想の冠の先に、一体何を見たというのだろうか。
分かることは一つ。ただの学生であるクライドには、想像もつかないということだ。
「ははっ、そう思いつめるなよ。ああ、そうだね。非常に曖昧で個人的な意見を述べるとするならば、師匠はきっと、今よりもっと先の未来を見たかったんだろうね。研究者なんてそんなものさ。僕もそう思ってるんだから。皆、常に新しいものを求めてる」
慰めにもならない言葉で話を切り上げて、ウォールは扉へと歩き出す。クライドの思考はまだぐちゃぐちゃで、ただ見送ることしかできなかった。
「世間では、冠の時代だとか意志の時代だとか言っているが、私は違うと思う」
去る直前、ウォールは振り返らないままこんなことを言っていた。
「今は塔の時代だよ。我々ハイアーズとは文字通り、塔を登ってより高みから世界を見ようとする者だ。じゃあね、クライド君。いずれ君が高みに至った時にまた会おう」
ひらひらと手を振って、別れを告げるウォール。
その背中越しに語られた言葉の意味も意図も、クライドにはまだ、分からなかった。
煮え切らないウォールとの話を終えて、一人でカウンセリング室に残されたクライド。
パンッと両手で頬を叩き、意識して気持ちを切り替える。
大丈夫。何か起きてるわけじゃない。あの人が怪しいと分かっただけで十分だ。
ラングール博士もウォールも、未来を見たかった。であるならば、ウォールがサイモン・ブラッキスと内通していた真の目的は、もしかして……。いや、今はまだ何もわからない。それでも、考え続けていれば、いつかきっと何かが掴めるはずだ。そう信じている。
そうやって、言葉に込められた想いについて考えていたからだろう。
ふと、思いつきで電話を掛けた。
一人だとまた妙な思考に囚われてしまいそうだったし、何より、思い立った時にしないと永遠に忘れてしまいそうだったからだ。
「おお、どうしたクライド? お前から電話なんて珍しいな。しかもこんな時間に。ちょっと待ってろ。今ジュディを起こしてくる」
実家にかけた電話を取ったのは、クライドの父アランだった。やはり家族の声というのは、いつ聞いても落ち着くものだ。
「いや良いよ。ただ、こっちの学校に来てから連絡してないと思ってさ。大丈夫。こっちは上手くやってるよ。友達だってできたんだ、それも沢山」
「ほう。それは良かった」
イギリスの現在時刻は真夜中のはずだが、父の声は上機嫌だ。
「入学早々色々あってさ、もう吹っ切れた。今は返って、気持ち良いくらいだよ」
「なんだ。ちょっと見ない間に随分変わったじゃないか」
父の声を聴きながら窓を覗くと、晴れ渡った青い空からスカイセプターが伸びている。
陽光を反射して白く輝くその塔は、明るい未来への架け橋に見えた。
「いいや。違うよ、父さん」
父の言葉をさらりと否定して、空の向こうへと手を伸ばす。
これは自分自身に行う宣誓であり、いつかの答え合わせだ。
脳裏に蘇るのは、学園に来る前に交わした両親との会話。
あの日、母が言おうとして父が止めた言葉を、今更知りたいとは思わない。
けれど最近、やっと想像がつくようになった。
難しく考える必要はない。答えはきっと、とてもシンプルだ。
そう。例えばこんなことを言いたかったんじゃないかと思う。
「俺は、俺だ! これまでも、これからも。ずっとな!」
クラウン・エッジ 加賀瀬 才 @Psy_Kagase
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