3 ―共同―

 一八時。講堂、もといパーティー会場では、ぞくぞくと集まった学生達がそこかしこで談笑を始め、わいわいと盛り上がりを見せていた。

 その最奥、一脚だけ上等な革張りの三人掛けソファに、かの者は君臨する。

 ルイーズ・ウルブライト。妖艶と峻厳。相反する両者を兼ね備えた彼女は、常人とは一線を画すオーラを放っていた。だからこそ、彼女の一挙手一投足に皆の意識が自然と向いてしまう。

 弄っていたスマートフォンを仕舞って、彼女が悠然と立ち上がると同時、会場全体が一気に静まりかえる。


「皆、注目!」


 その一言で全員が顔を向ける。誰も彼女の言葉を無視できない。統率者に相応しい彼女のカリスマ性が、他者の関心を惹きつけて離さない。

 片手を腰に当て、モデルのような優美さでもって彼女は話し始める。


「皆、お疲れ様。新年度早々大変だったけれど、皆よく頑張った。特に新入生。慣れない環境は大変だったでしょう。困ったことや悩み事があったらルームメイトやスティーヴ、もしくは私に相談しなさい。必ず力を貸すから」


 彼女が発する言葉には、それが絶対なのだと確信させる強い意志が宿っていた。


「本当はこのまま乾杯に移りたいのだけれど、大事な連絡があるから聞きなさい。それじゃ、入って!」


 いつの間にか、講堂の出入り口にはスティーヴが控えていた。

 彼の手がその扉に触れる、その直前。ガチャリと、外から扉が開けられた。

 その奥から現れた人影は――。


「ん? なんで皆静かなんだ? 歓迎パーティーしてるんだよな?」

「クライド!」


 ミーゼを含めた参加者全員が注目する中、のこのこ入ってきたのは困惑顔のクライドだった。

 状況が呑み込めずに立ち尽くす彼に、お姫様の冷ややかな視線が突き刺さる。


「クライド。貴方、今までどこにいっていたの? ややこしいから早く席につきなさい!」

「え? なんで俺が怒られるんだよ。 ただ入ってきただけなのに……」


 そんな哀れな男の姿を見かねたのか、席の一角から声がかかる。


「クライド! こっちこっち! とにかく早く座って」

「おっ、ミーゼ! 分かった。今行く! ……っと、忘れてた」


 立ち去る直前。ふとクライドはルイーズの方を振り返る。


「ルイーズ、ありがとな!」

「さあ? 何のことだか」


 彼女が片目を閉じてとぼけて見せたのは一瞬で、クライドが席へと向かう頃には既に、普段の凛とした佇まいに戻っていた。


「皆、少しだけ待って。一旦状況を確認するから」


 聴衆にそう説明すると、彼女はスマートフォンを取り出して、何処かへ連絡を取り始めた。

 静寂の中、お姫様の判断を待つ寮生たちには、その会話内容が漏れ聞こえてしまう。


『はいはいお嬢様。何か御用でも?』

「アシュリー! 貴方、着いたら連絡してって言ったでしょ!」


 公衆の面前だというのに、珍しくルイーズが感情を露わにする。

 そのあまりの剣幕に、それを見守る寮生たちの方が少しひやひやしてしまう。


『へっ? ですから学園前に着いた時にご連絡しましたよ』

「寮の前までに決まってるでしょ! 何のために送迎を頼んだと思ってるの! あの子が今日退院したばかりなの分かってる?」

『あーそういうことだったんですね。でもでも、あの方も元気そうに歩いていきましたし、問題ないですよね?』


 元々の性格なのか、電話相手にはルイーズの小言があまり響いていないようだった。

 ルイーズもそれを察したようで、一転、諭すような口調で文句を続ける。


「はぁ。貴方、私の専属ドライバーになったんでしょう。ちゃんと依頼をこなして頂戴。今日のところは、貴方も初仕事だから大目に見てあげる。けど次はしっかりしてよね。じゃないと、パパとママに言いつけるから!」

『ひゃー。それだけはご勘弁を。以後気を付けますー』

「ええ。そうして頂戴」


 ようやく反省の態度が見えた電話相手に、ルイーズは溜飲を下げて電話を切った。

 すぐさま、扉に控える青年に呼びかける。


「スティーヴ。緊急事態発生。今すぐ彼を迎えに行って」

「いや。その必要は無さそうだよ。我らがお姫様」


 微笑んだスティーヴがゆっくりと扉を開ける。

 そこに立っていたのは、一人の少年だった。

 垂れた目にブラウンの瞳。癖のある巻き毛に戴いた透明な荊冠。その姿は、紛れもなく――。


「ん……? 耀心!」


 クライドは驚愕する。間違いない。ジェスター、もとい、耀心だ。

 多くの視線を浴びて緊張気味の少年は、スティーヴに促されて足早にルイーズの下へ行く。


「……は、はじめまして。あ、有城野ありきの……耀心と言います。えっと……、宜しくお願いします」


 たどたどしい口調で挨拶しながらペコリとお辞儀をした耀心。その表情は酷く固い。

 見かねてルイーズが補足する。


「転入生のヨシ君です。元々は短期留学でこっちに来てたんだけど、私のお願いで転入してもらいました。皆、仲良くしてあげて」


 学生たちから送られる歓迎の拍手。それが静まるのを待って、再びルイーズが口を開く。


「それじゃあ、もう一つ。ヨシ君からお話があります」


 再び全員の注目が耀心に集まる。束の間の沈黙。やがて彼は震える声で話し始めた。


「えっと……ルーツショックの件です。あの時……皆さんを襲撃した不審者がいたと思います」


 次の言葉が吐き出されるまでには、さらに随分と間があった。


「……………………あれは、その……僕です」


 騒然。どよめく聴衆に構わず、覚悟を決めた耀心が声を張り上げながら話を続ける。


「全部、僕のせいです。危害を加えてしまった方、本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないと思っています。それでもこの場で謝罪させてください。すいませんでした」


 困惑と憤り、そして少しの畏怖。無数の感情が、深く頭を下げた耀心に突き刺さる。

 険悪な雰囲気に満たされた講堂。今にも誰かが怒号を飛ばそうとする、その刹那――。


「「「!」」」


 転瞬。ざわつく群衆の雰囲気が変わった。全員の呼吸が一瞬、止まる。

 水を打ったような静寂の中、彼らの表情は驚愕一色であった。

 罵声を受ける覚悟の耀心こそ、困惑して周囲を伺う。

 そして気付く。皆の視線は自身ではなく、その隣へと注がれていた。

 ゆっくりと首を回して、瞠目する。


「……ルイ姉」


 誰もが認めるハート寮のトップ、ルイーズが深く頭を下げていた。


「皆、ごめんなさい。全部私のせいです。あの時、私の力が暴走しそうになって、あのままじゃ皆を巻き込みかねなかった。だからヨシ君は、強引な手を使ってでも貴方たちを〈ルーツ〉から逃がしたの。つまり、これは私の責任。ヨシ君は、何も悪くない。責めるなら私を責めて」


 誰もが唖然としていた。こんな彼女は見たことが無かったからだ。

 いつも正しくて高潔な彼女が、他人に頭を下げることなど、誰も想像すらしていなかった。

 どう反応すべきか分からず、寮生の大半が黙ってしまう。そんな中、沈黙を破ったのは――。


「なんだ。すっかり勘違いしてたぜ」


 リックの呑気な声だった。


「結局、耀心は俺たちを攻撃したんじゃなくて、守ろうとしてくれたんだろ? そう言うことならさ。耀心、お前めちゃくちゃ良い奴じゃん! ありがとな!」


 にかっと笑ったリックの、飾らない素直な言葉が、場の流れを決めた。


「しゃーないか。ありがとー」「私も。ありがとう」「とにかく助かった」「サンキュー」


 誰彼構わず感謝の言葉が飛び交い、パラパラと拍手が起き始める。

 その様子に戸惑ったのは、当の本人である耀心だ。


「え、でも皆……うわっぷ」

「やったねヨシ君! あははは。良かった。これで一緒に過ごせるね」


 屈託のない笑みで耀心に抱き着くルイーズに、再び皆が呆気にとられた。

 その姿は、大人びた普段の彼女とは全く違う、年相応の少女そのものだった。


「なんだ。こうしてみると、ルイーズだって普通の女の子だったんだな」

「ええ、そうね。全く二人ったら、黙ってても良かったのに。冷や冷やさせるんだから」


 聴衆の後方で事態の趨勢を見守っていたクライドとミーゼは、そっと胸を撫で下ろす。

 いつの間にか、ルイーズと耀心につられて周囲の皆も笑顔になっていた。


「よーし。そろそろ新入生歓迎パーティーを始めようか。 それじゃ皆、かんぱ――」

「「「かんぱーい」」」


 スティーヴの言葉は最後まで聞こえなかった。

 講堂の盛り上がりが最高潮に達して、一気に騒がしくなる。

 立ち歩き始めた学生たちに隠れてしまって、ルイーズたちの姿は見えなくなった。


「あれあれー? あの耀心って子とルイーズってー、なんだかいい感じだったんじゃなーい?」

「ベルダ。お前いい加減に……、いや、今回ばかりはお前が正しいかもしれないな」


 いつの間にかミーゼの隣に座っていたロマンチック少女の言葉に、ついクライドも頷いてしまう。


「あら意外。ベルダは怒ってないのね、耀心のこと」

「だってー、ルイーズも謝っちゃうんだもん。怒るに怒れないよー。そーれーにー、リックがすぐに許しちゃったしー。だからもう、どうでもいいかなーって」


 呆れたような、でもどこか嬉しそうな、そんな表情でベルダが応じる。


「全くあいつは。単純なんだか寛容なんか」

「でも、それが彼の良いところよ。これで遅刻がなければ完璧だったんだけどね」


 と、噂をしていると。


「おーいベルダー! どこ行ったー!」

「あー、リック! ここだよー! あ、ちょっと。もー、そっちじゃないってばー」 


 ぱっと立ち上がったベルダが、人混みの向こうにいるであろう声の主へと駆けていく。

 その背中を見送りながら、ふとクライドは疑問を口にする。


「そう言えば耀心の部屋はどこになるんだ?」

「ああそう。それなんだけど……」


 言い淀むミーゼの代わりに、ふらっと隣にやってきたスティーヴが答える。


「今まで一人で使ってたルイーズの部屋を、新たにシェアルームにするらしいよ」

「なっ! まさか、ルイーズと耀心が一緒に住むってことか。おいおいそれって」

「何を言ってるの? スティーヴとミーゼ、それからクライドも。貴方たちも来るの」


 声の方を振り返ると、耀心の手を引きながらルイーズがやってくるところだった。

 他の学生たちはオードブルに群がっているようで、周囲の空いている席に二人は腰を下ろす。


「なっ! マジかよ。もうリックたちと離れ離れなのか。せっかく仲良くなったのに」

「あら。クライドったら、何か勘違いしてない? 別にまた会えるでしょ」

「……ああ、確かにそうか」


 ミーゼの指摘に、クライドは冷静になる。そう。部屋は変われど、寮は同じなのだ。

 そんな二人に、ルイーズが改めて微笑みかける。


「だから二人とも、これからもよろしくね!」

「おう!」

「ええ」


 これから先、もっと愉快な学園生活が始まる。そんな、予感がする。

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