額の十字架
時輪めぐる
額の十字架
ある日、帰宅すると妻は居間のソファに座って、スマホで自撮りをしていた。
「ただいま、イクちゃん。何してるの?」
「あー、おかえり。ちょっとこれ見て」
妻は、前髪を手で上げて額を見せた。
額には、十字架の形に赤黒い痣があった。
「うわっ、どうしたの?」
「冷蔵庫のドアにぶつけちゃって。痛かった」
普通、冷蔵庫のドアに額をぶつけるか? という突っ込みは取り敢えず横に置いておく。
彼女なら有り得る。
「どうぶつけたら、そんな十字の痣になるん?」
「ね、不思議でしょ? 私、以前から、ぶつけた痕が変な文字みたいになるのよ」
何を言っているのか分からないという顔をすると、妻は少し口を尖らせて自分のスマホのフォトフォルダを開いた。
「オレの『変なものフォルダ』が火を噴くぜ」死語っぽく言って、自分のスマホ画面を見せて来る。
そこには、毛の生えたホクロとか、変な形のイボ、ぷっくり膨れたオデキ、地図みたいな発疹などの写真が所狭しと、ラインナップされていた。
何で、こんなの撮るかなぁと、思いながら見ていくと、文字の様に見える赤黒い痣の写真が何枚か混ざっていた。
「これって、全部イクちゃんの?」
「そうそう、変なものコレクション。これとか、これとか、こっちも。どこかの文字に見えない?」
指差す先の画像は、確かに文字のように見える。以前、ネットで見たルーン文字とか、古代文字などに似ている気がする。
「確かに、何かの文字に見えるね。今日の額の痕もだけど、こんな形になるようにぶつけるのは、すごく難しいと思う。てか、絶対無理」
「以前、こういう痕が出来た時に調べたんだけど、該当する文字が見つからなかったの。なので、取り敢えず保存してあるんだよね。何か意味があるかもしれないし」
ここで僕の腹が鳴る。
「うーん。ところで、夕飯は?」
「あー、カレー作ろうと思って、冷蔵庫開けて、オデコぶつけて」
「つまり、まだ作る前ってことか」
「そうとも言う。てへっ」
可愛く笑う妻の腹も鳴った。
宅配ピザを頼んで夕飯を済ませると、僕はネットで謎の文字を検索した。
『古代文字』『人体に現れる謎の痕』等、夢中になって調べる内に一つの単語に行き当たった。
『聖痕』
キリスト教信者に起こる奇跡で、磔刑になったイエス・キリストと類似の傷痕が体に出現するという。ちょっと、似ている気もするが、妻はキリスト教信者ではない。なので、あれは聖痕ではなく、聖痕の様なもの。もしかしたら何かのメッセージかもしれない。良い事ならいいが、もしも悪い事を知らせるものだったら。僕は急に心配になった。
「ねぇ、イクちゃん。これからも、ちゃんと写真撮っておいて」
「……ん、分かった」
妻は眠そうに言うと、背を向けて眠ってしまった。
僕の不安は黙っていた方がいい。
翌日から、僕は帰宅すると、イクちゃんに訊ねた。
「ただいま。今日は、ぶつけた?」
「ううん」
「ただいま。今日は?」
「炬燵に膝をぶつけた。痛かった」
「で? 痕を見せて。むむ、文字っぽい。読める、読めるぞ。これは『イ』?」
「ただいま。今日は?」
「曲がる時にコーナーを攻め過ぎて、壁に肩をぶつけた。見て見て、痛そうでしょ?」
「痛いの痛いの飛んでけ! これは『ハ』に見えるな」
「ただいま。今日は?」
「もう、毎日訊かないで!」
「ただいま。今日は?」
「掃除機に脛をぶつけた……」
掃除機に脛を? どういう状況だろう。
「どれどれ、『イ』に見える」
何と一週間の内に、妻は冷蔵庫の件を入れて五回も体のどこかをぶつけていた。どんだけ、そそっかしいんだ、イクちゃんは。
「ほらほら、やっぱり、文字みたい。これは『ミ』?」
今日は肘をタンスにぶつけたらしい。
「そうだね。ちょっと、『変なものフォルダ』を見せてくれるかな」
妻と二人で、この一週間に現れた痣の写真を日付順に見て行く。
最初は『十』で『イ』『ハ』『イ』『ミ』と続く。『イ』の様なものが二つある。
自分の知っている文字や意味で考えてみるが、サッパリ分からない。アナグラムなのか? 紙に書き取り、ああだのこうだの文字を入れて替えて考える。何か意味のある言葉にならないだろうか。
頭を抱えていると、唐突に妻が言った。
「意味はない」
「えっ? そうかもね。意味は無いのかも」
「ううん、そうじゃなくて、意味はない」
妻は、画面を指差していく。
「イ ミ ハ 十 イ」
声に出して読む。
「ナ?」
『十』をよく見ると、下端がわずかに左に曲がっていた。それは、『十』ではなくて『ナ』だった。アナグラムを使った意味深なメッセージだと思っていたが、それが答えなのだろうか。イクちゃんの痣が、何か良くない事の知らせではないかと、不安で仕方なかったけれど、ひとまず安堵した。
「なぁんだ。意味がなかったんだ」
妻は、残念そうに言う。
「何もないのが一番だよ。イクちゃんが元気なら、僕は幸せさ」
「えへへ」
「ただ、打ち身が多すぎ。気を付けてね」
「うん」
僕達は、『変なものフォルダ』をそっと閉じた。
額の十字架 時輪めぐる @kanariesku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます