白雪姫の静寂

及川稜夏

第1話

 その日、僕は急いで家に向かっていた。妹から「早く帰ってきて」とメールがあったからだ。いつもなら、妹からのメールなどスルーする。だが、その時の文脈からは並々ならぬ緊迫感を感じたのだ。


「開けるぞ」

 それだけ言ってガチャリとドアを開け妹の部屋に入る。程なくして、僕はこの行動を後悔することになる。


 妹が珍しく助けを求めてきて数分。まさか、こんなことになっているとは思いもしなかった。

 部屋には顔面蒼白で涙の跡をたくさんつけた妹が1人。傍に倒れる妹の友達と思しき少女が1人。こんな時だが、可愛らしさよりも美しさを感じる顔立ちだ。


 白い肌に艶やかな黒い髪、口紅でもつけているのか未だ真っ赤な唇。閉じられた目を縁取る長いまつ毛。童話に出てくる白雪姫のよう。だからこそ、首元にくっきりと残る跡が痛々しい。


「違うの……言い合いになってカッとなったばっかりに……こんな……」

 いったい何が違うのだろう。

 くたりと力なく横たわる少女は、たとえ棺に入れて揺らそうが、背中をドンと殴ろうが、——それこそ白雪姫に出てくる王子様の如く僕が彼女にキスをしようが(絶対にしないが)——もう二度と動くことはないだろう。それだけは明白だった。


「ごめん、ごめんね、ユノちゃん。殺すつもりなんて……」

 妹の啜り泣く声だけが部屋に響く。


 今日、確か母は夕方に、父は夜に帰ってくるはずだ。

 時計をふと見る。まだ、昼の11時だった。

 その時僕が取るべきだった正しい行動は、すぐさま救急車を呼び、父と母に伝えて、妹を警察に連れて行くことだったかもしれない。


 だが、いきなりこの光景を見せられて気の動転した僕には、あるいは友達を絞め殺してしまいある種パニックになっていた妹には、そんな発想、微塵も浮かばなかった。きっと2人揃ってテンションがおかしくなっていた。

 だから、僕は言ってしまったのだと思う。


「……よし!じゃあ今からユノちゃん埋めよう!」


 我ながら最低である。


 気がつけば、家の裏にある山の中にいた。僕は妹と一緒に穴を掘っていた。途中、何回か休憩を挟んだけれど、ずっと掘り続けていた。


 何度も、何度も繰り返した。

 そうして、ついに少女を埋めるだけの空間ができた。

 かなり深い穴だ。

 2人で、ユノちゃんを優しく横たわらせる。

 首さえ見なければ、棺に横たわる白雪姫のようだ。そして。




 僕が振り下ろしたシャベルが妹の頭に直撃する。硬いものに突き刺すような嫌な感覚。

 どさり。気絶した妹がユノちゃんと同じ穴に落ちてゆく。

「……え?」


 一瞬の出来事だった。僕は自分がいったい何をしてしまったのかがわからず混乱していた。ただわかることは、僕の両手で握られた血のついたスコップと、穴に落ちた二体の少女の亡骸のみ。


「……え?なんで?どうして……?」

 死体が2体に増えてしまった。

 頭がおかしくなりそうだ。いや、もうなっているのかもしれない。だってこの状況、普通じゃないじゃないか。

 とりあえず、何か行動を起こさなければならないと思った。


 僕は、ユノちゃんと妹の2人が入った穴を埋める。

 ただ、ガツガツという音だけが響く、

 僕らは兄妹揃って殺人犯になってしまった。

 もう、白雪姫の少女も、妹も帰ってこない。


 腕時計をふと見る。

 そろそろ、母の帰ってくる時間だ。

 僕は何事もなかったかのように家に向かう。何もなかったかのように装おうとする。


 きっとユノちゃんは僕が帰ってくるより先に帰ったのだ。妹はユノちゃんの見送りについていって、どこかの公園で話し込んでいるだけなのだ。


 そして、僕に来たメールは妹のいたずらで、やがて帰ってきた妹とくだらない話題で笑い合えるに決まっている。


 玄関を開けると、ちょうど母と鉢合わせになった。

「あら、おかえりなさい」

 いつも通りの母の声が聞こえてくる。

「あのね、お母さん……」

「どうしたの?」

 首を傾げる母は、僕を見て微笑んでいる。

「ううん、なんでもないよ」


 妹はまだ帰ってこないか聞かれたが、友達と話し込んで遅くなるらしいと言っておいた。


「ご飯できてるから先に食べなさい」

と言われ、言われるがままに僕は食べ始めた。いつもと変わらないはずだった。


 異変に気づいたのは、食べ終わる直前。ピリリと舌先が痺れたのだ。それがどんどん体全体に広がってゆく。


 急いで水を飲んだが遅かった。体が動かなくなっていく。

「殺人犯の娘も、殺人犯の息子もいらないわ。もちろん嘘つきも」

 意識も遠退いていく。視界の端で母が薬の瓶を持ち、狂ったように笑っている。


 1日で死体が3体。帰ってきた父はいったいどんな反応をするのだろうか。

 妹を殺した僕はきっと怒られるだろうなぁと薄ぼんやりと思う。


 いつだったか、妹がユノちゃんのことを

「なんかすごいなんとかの跡取り娘なんだって」

 と話していた。その時は

「それだけじゃ何も分からない」

 と話を流したのだったが、いったいなんの跡取り娘だったのだろう。


 この現実離れした1日も、それに関係するのではないだろうか。

 視界が暗くなって感覚も無くなったころ、少女の笑い声が響いた、気がした。

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