正月番外編ss: 少女、年を越す
「弓彦たち、大変そうだね」
「年末年始は一番忙しい時期だからねぇ」
大晦日の夜。
もこもこぬくぬくの
もうすぐ年も変わるという遅い時間にも関わらず、宮司である弓彦や他の巫女たちが慌ただしく駆け回っている姿が目に入る。
境内には露店がいくつか並んでおり、大変賑わっていた。
小夜にとっては東雲神社に住んで二度目の大晦日となるが、実際に境内でその雰囲気を味わうのは初めてのことだった。年末年始には乙羽たち村の者もこの東雲神社の本宮にやってくることを知っていたため、一度目は完全に本殿に篭っていた。
ついこの間までの二年間、村長や領主(今となっては元、であるが)に追われていたこともあり、外に出るには反射的に身がすくんでしまうこともある。
しかし祝言も先日執り行い、眷属の身となった小夜は、これから外のことにも慣れていこうと決意したのだった。
そして今日がその第一歩、”初めての買い物”である。
自分一人で何かを買うという経験を、小夜はまだしたことがない。祭りの経験から露店での買い方を知っていること、暁のお膝元ともいえる領域であることから、挑戦の舞台を大晦日の東雲神社としたのだった。
暁
手を繋いで、人混みの中を抜けていく。
「さて、何を買おうか?」
「うーん」
きょろきょろと見回してみる。まずは空いている店にでもと思ったものの、どの店もそれなりに行列が出来ていた。
「好きなものを選べばいいんだよ」
「好きなものって言われても……あっ!」
目に入ったのは「天ぷら」の文字。
かつて(暁と東雲祭で色々あった日に)食べた芋の天ぷらがそこで売っていた。
「天ぷらか。良いんじゃない?」
「買ってくるから、暁はそこで待っててね!」
自然な仕草で着いてこようとする暁を制止し、小夜は列に一人で並んだ。巾着の中の小さな財布を取り出し、ぎゅっと己の手のひらを握る。
ちなみに小夜のこの軍資金は、弓彦が暁の命令で領主の家から引っ張ってきたものである。
前領主が勝手に神の末裔を騙ったことへの抗議文を送ると、代替わりした家の者から謝罪文とともに
「受け取ってしまえば、謝罪を受け入れたことになるのでは」と渋っていた弓彦も、「いや、小夜が気にせず使える金があるのは良いんじゃないかな」という暁の言葉に納得したようで、そのまま小夜のもとへ降りてきたのだった。
とはいえ小夜もあまり使う気にはならず、大半は弓彦に預けて一部だけ手元に残すということで話はついた。
やがて列は捌かれ、小夜の番がやってくる。緊張した面持ちのまま、はちまきを巻いた店主に代金を差し出した。
「あの、お芋の天ぷらを、二つ!」
「あいよっ!」
目にも止まらぬ速さで天ぷらを揚げた店主から、髪に巻かれた二つの天ぷらを受け取る。落とさないように注意しながら人混みを掻き分け、暁が待つ長椅子に戻る。
「か、買えたよ!」
「良かったね」
嬉しそうな報告に嬉しそうに笑顔を返してくれる暁に、一つを差し出した。
横並びに座り、天ぷらにぱくりとかぶりつく。
「美味しい!」
以前食べたものは柔らかな甘味がしたが、今回のものは少ししょっぱかった。塩が振られているのだろう。店によって味が違うということに気づき、興味深く感じる。噛むたびにさくさくと音が聞こえてくるのも、新鮮な心地がした。
夢中で食べ進めていたところで、隣から視線を感じる。食い意地が張っていると思われただろうかと恥入った小夜は、最後の一口を咀嚼する口元を手で隠した。視線で「なに?」と尋ねると、美貌の神は微笑を浮かべる。
「いや、可愛いなって」
祝言を挙げてから暁はずっとこの調子である。あの蜜ですら溜息をつくくらいに、彼はすぐ甘い言葉をかけてくるのだ。
「も、もう! 冷めちゃうから早く、暁も食べて!」
彼の手元を見ると、ひと口ふた口しか食べていないようだった。
「私は天ぷら作れないんだから、味わわないと勿体無いよ」
最後に「誰かさんのせいでね」と付け加え、じとりと軽く睨む。しかし、「睨んでも怖くないよ」と暁は悪びれずに眉間を軽くつついてきた。
そう、小夜は暁から天ぷら料理禁止令が出されていた。
一度弓彦から教えてもらったあと、一人で作ろうとした際、油が跳ねて腕を火傷したのだ。暁はすぐに飛んできたかと思うと頼んでもいないのに神力で治療し始め、さらには家で天ぷらを作ることを禁じてきた。
小夜としては火傷が怖くて料理などやっていられるかという話だったが、暁は譲らない。
その過保護さには、あの蜜も額に手のひらを当てるほどだった。
「うーん、そうは言ってもね。小夜以外の作るものは、あまり味が感じられないんだよ」
そういえば、いつだったか食卓でそんなことを言っていた気もする。だから今までは、人間の食に興味が持てなかったのだと。
暁の分も買ったのは迷惑だっただろうか。申し訳なさそうに眉を下げた小夜を見て、彼は楽しそうに言った。
「だから、小夜が食べさせて? そうしたら少しは美味しくなるかもしれないだろう?」
「なっ……!」
甘えるような暁の頼みに顔が熱くなるのを感じる。
こうやって小夜を揶揄うときの彼は、本当に生き生きとした良い顔をするのだ。
いつまでも揶揄われてばかりではいられない。毅然とした態度を取らないと、と内心気合いを入れた小夜は、彼から天ぷらを受け取り口元へ持っていく。
しかし暁はにこりと笑うだけで、一向に口を開けようとしない。
「こういう時には何て言うのか、あの女神に習ったんじゃなかったの?」
小夜は理解した。暁は食べさせてもらう際に「あーん」と言わせたいのだ。
以前、蜜に「これが正しい様式よぉ〜」と半ば騙すような形で教え込まれたそれを二人の夕食の際に使ってみると、彼はたいそうお気に召したらしい。何度もせがまれ、彼の中での一種の流行にすらなっているようだった。
蜜にそのことを伝えたら、彼女は「ねぇ暁ちゃん。わたくし最近、だしに使われてなぁい?」と暁に詰め寄っていた。「だしに使う」の意味は小夜には分からなかったが、暁はどこ吹く風というような態度だった。
恥ずかしくなった小夜は最初の一度以外彼の要望に応えたことはなかったのだが、ここで引いたら負けだという気がした。もう一度天ぷらをずいっと差し出す。
「あ……あーん」
満面の笑みを浮かべた暁はぱくりと天ぷらに口をつけた。実はこの神、意外と一口が大きいのだが、何故か今回は小さく食べるだけだった。
咀嚼を待ってもう一度差し出すと、また彼は唇を引き結ぶ。笑顔ではあったものの、「一口毎に言え」という圧だった。
「はい、あーん!」
また揶揄われていると分かったが、自棄のようにその言葉を言いながら暁に食べさせる。まるで餌付けみたいな図だった。
「はぁ……」
「ご馳走様」
何とか食べさせ終わり疲労を顔に滲ませていた小夜とは対照的に、彼はほくほく顔である。
紙に染み込んだ油で、手がべとべとしていた。このまま着物にでも触ってしまえば汚れがついてしまうだろう。巾着の中に手巾も入れていたが、取り出す際に巾着を汚してしまいそうで躊躇した小夜は、汚れとは無縁の神に頼むことにした。
「暁、私の巾着から手巾出してくれない? 指の油を拭いたいの」
しかし、その次の瞬間に小夜は悟る。
暁にとってお楽しみの時間はまだ終わっていないかったことを。
「油なら、私が拭ってあげよう」
暁に両手を固定され、指が彼に咥えられる。もう噛まれるなどとは思わないが、吃驚して肩が震えた。
こんな恥ずかしい姿、他の人に見られたら堪らない。そう思って慌てて周囲に目を遣るが、境内を歩く大勢の人間の誰一人として、小夜たちを気にする様子はなかった。
(結界張ったの?! このために?!)
神力の無駄遣いをしている目の前の男の舌の動きが、調子に乗って段々と色気を帯びたものになってくる。
「どうせ見えないんだから、口付けくらい――」
「駄目に決まってるでしょ!」
小夜は慌てて手を振り解き、今度こそ巾着から手巾を取り出し、油とは違う液体で濡れている指先を拭いた。
形の良い眉を顰め、拗ねたように唇を尖らせる目の前の男に小さく「か、帰ってからね!」と付け加えると、彼はまた上機嫌に戻ったのだった。小夜の方だって、彼とくっつくのは嫌どころか、むしろ喜んでくっつきたいと内心は思っている。
何だかんだ祝言後、二人は甘い時間を過ごしているのだった。
その時、一際大きな声が大衆から上がる。年が変わったのだ。思えば昨年は乙羽たちと対峙し悪縁を断ち切ったり、暁と両想いになることができたりと、色々なことがあった。新年もたくさんの思い出を暁と一緒に積み重ねていけたらいい。
小夜は、感謝の気持ちと心からの愛情を込めて、夜明け色の瞳をじっと見つめる。
「暁、明けましておめでとう。今年もよろしくね」
「こちらこそだよ、小夜」
提灯に照らされた銀髪を揺らし、美貌の神はふわりと笑ったのだった。
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本作はカクヨムコン10ライト文芸部門応募作品です。
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また上記の短編も、少しでも興味の惹かれたものがあれば是非お読みいただけると嬉しいです!
気まぐれな神の罰当たりな寵愛【完結】 汐屋キトリ @GA2439208
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