ハロウィン番外編 : 少女、狐になる

「一体これは、何の真似ですか」


 暁は大きくため息をついた。目の前の小夜に──狐の耳と尻尾が生えていたからだ。「よくぞ聞いてくれました!」というように蜜が、自らの桃色の髪を揚々とかきあげた。


「西の方にいる神がこの間遊びに来たのだけどねぇ、なんでも、向こうでは人間が妖に扮して遊ぶ祭りのようなものがあるんですってぇ。わたくしの社でも人間ちゃんたちとやってみたら、これがまぁ楽しくて楽しくて!」

 

 暁は思った。愉しくて、の間違いではないか?

 夜の女神は、派手でいかがわしい遊びに目が無い。


「良いこと聞いちゃったから、暁ちゃんにもお裾分けしてあげようと思って。可愛いでしょぉ?」


 蜜が小夜を指す。もちろん可愛い。思わず暁は口を横に引き結んでしまった。

 興味深そうに自分に生えたふさふさの尻尾を触る小夜など、可愛いに決まっている。耳も尾も、女神の神力によって勝手に生やされたのだろう。


「その祭りってのはね、夜になると妖がお菓子を強請りにくるんですってぇ。そしてもし、お菓子を渡さないと……こわぁい悪戯をされてしまうのぉ!」


 蜜は歌い上げるように言った。なるほど。大方この女神はその“悪戯“の部分を小飼いの人間たちと楽しんでいるのだと理解した。そういう女神なのだ。


「いつまで小夜をこの姿にしておくつもりですか」


 祭りというからにはごく短期間だろう。その推測は当たっていたようで、女神は仰々しく頷いた。


「今晩だけよぉ。でも、そうやって聞くってことは暁ちゃんも、この姿の小夜ちゃんと楽しむつも──」


 女神を神域からぴしゃりと締め出す。

 鬱陶しくにまにま笑い出した彼女にこれ以上余計なことを言わせたくなかった。

 正直女神の神力を解いて小夜の姿を戻すことなど容易く、やろうと思えば今すぐにでも出来る。しかしそれは余りにも、勿体ないと思ってしまった。


 とはいえ女神の神力が小夜に纏わりついているのは気に障る、こっそりと指を一振りしてその神力を、効力はそのままに自分のものに置き換えた。


「小夜、おいで」


 愛らしい妖狐を膝の上に呼び寄せる。ふわふわの耳の背面がちょうど暁の頬に当たった。鼻を当てて嗅いでみると、日光のような匂いがした。

 小夜は耳をひょこひょこと動かしながら訊ねる。


「ねぇ、妖怪って本当にいるの?」

「いるよ。神は信じるのに、妖怪の存在は信じないの?」


 答えると、その表情は「確かに」と納得していた。妖怪はこの世界に、居るには居る。しかしそれもまた、神にとっては数が少ないだけで人間と同じくらいの些細な存在であることに変わりない。


 暁に背を向けて座る小夜の耳を右手で撫でてみた。付け根のあたりを撫でてやると気持ちが良いのか、耳がぺたりと垂れ始めた。感情豊かだなと思った。


 暁は彼女の尾を見て、あの女神が袴に尻尾を通すための穴を開けていたことに気づく。勿論これも簡単に直すことが出来るが、余念の無いことだと呆れてしまった。

 

 ゆっくりと動いているその尾を撫でてみた。艶の良い毛の感触が心地よい。小夜も満更でもなさそうな顔をしている。気持ちが良いのだろう。

 今度は白が混ざった山吹色の尾の付け根に手を当て、そっと片手で包むように根元を持ってみた。掴んだそれをすぅっと、ゆっくり撫で上げる。すると背筋をぶるりと震わせた小夜が、もじもじと膝の上で動き始めた。


「あ、暁……その触り方、変な感じ、するから」

「変な感じって、どんな?」


 身じろぎする小夜を見て、体の奥底から愉悦が込み上げてくる。あぁ、確かにこれは……。

 頬が緩んでいくのを感じる。自分だってあの女神に言えたものじゃないな、と思った。ひたすら下から上へ、執拗に尻尾を摩り続ける。


「ねぇ、違っ……わた、私がいたずらっ、するんでしょっ……!?」


 撫でられるたびにちょっと涙目になっている小夜も可愛い。納得がいかないというように抗議を始めたようだ。

 しかし悪戯か。確かにそんなことも言っていたなと女神の話を思い出す。指を一振りして、多種多様な菓子を畳の上に広げてやる。既に眷属になった小夜は、もう暁の出した神力のこもっている菓子を食べても何も問題がない。狐にとっては菓子と変わらないだろうと思って油揚げまで出してみた。


「はい、どうぞ。好きなだけ食べたら良いよ」

「ちがっ……そういうのじゃないの! せっかく私が暁に……」


 言葉を止めて、少し迷って小さな声で呟いた。狐の大きな耳がぺしょりと目のすぐ上まで垂れ下がる。


「いつも私ばっかり胸が高鳴ってしまうから……今日くらいは暁のことも、どきどきって、させたかったのに」


 瞳をうるうると潤ませて、悔しそうな表情で暁を見つめる。睨みつけているようにも見えるが、全くもって怖くない。思い通りにならない苛立ちと焦りのせいか、尻尾は左右に大きく揺れている。

 暁に矢で撃ち抜かれたかのような、雷に打たれたかのような衝撃が走った。あまりの愛おしさに、胸がきゅうきゅうと苦しくなる。

 

(はぁ……”私ばっかり”、ね)


 本当に振り回されているのはどちらだろうか。そっと彼女の両頬を包んで、それから一度手を離して人差し指と親指でみょん、と摘んでやる。


「ひゃひふふほ!」


 恐らく「何するの!」と言っている。へたれていた耳がぴんっと上を向いた。頬が緩むのを頑張って堪えるが、きっと自分は今、だらしない顔をしているんだろうなと思う。小夜の手を取り、ちゅ、と音を立てながら手の甲に口付けを送る。


「どきどきしてるよ、小夜の前ではいつだって」


 小夜への想いを自分の中で受け入れてから、歯の浮くような台詞が自然に出てくる。しかし全て本心からだった。小夜は顔を茹で蛸のように染め、また耳を垂らした。その狐の耳に唇を寄せ、すっかり大人しくなってしまった彼女に囁く。


「それで、小夜はどんなお菓子をくれるのかな」

「え?」


 間の抜けた声が小さな口から発される。落ち着かなげに狐の耳と尻尾がうろうろ動き始めた。勿論妖狐になった小夜からの悪戯というのも唆られる話だが、今はそれ以上に彼女を困らせてみたくなっていた。


「自分から仕掛けて置いて、やり返されることは考えてなかったの? 私はお菓子を用意したから悪戯を免れたけど……」


 視線が右往左往し始める。全く考えていなかったようだ。小夜は神酒を飲み干し眷属となったが、まだ神力を操れるほど身体に馴染んでいる訳ではない。今から何か作ろうにも、暁が今はこの場から離してくれないだろうと悟ったのだろう。ぷるぷると震え出した。その姿はもはや狐というより兎のようだった。


「小夜がお菓子をくれないなら......ねぇ?」

「あ、暁は妖怪じゃなくて神だから……このお祭りに則る必要は無いんじゃない、かな?」

「耳を生やしたとて小夜も妖ではないのに、そんな都合の良い言い分が罷り通ると思う?」


 小夜は完全に言い負かされた。

 うっそりと朝焼け色の瞳を細めた暁は、それはそれは妖しい笑みを浮かべる。その時小夜は、まな板の上で料理されるのを待つだけの魚の気持ちを完全に理解した。


「さぁ、悪戯させてもらおうかな」



 数週間後、「あのあと暁ちゃんと、どうだったのぉ?」と肘をつつきながら聞いてくる蜜の質問に、小夜は顔を真っ赤にしながら黙秘することになったのだった。


_______


もう一話お正月ssを三が日の間に投稿予定です。

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