第3話

「本当に、ありがとうございました」


 私は慇懃に頭を下げ駐車場に停めていた社用車に乗り込み、運転席の窓を開けた。

 清水さんは、首を突っ込む勢いで窓から車内を覗いてきた。


「良い記事にしてよ」

「ええ」

「俺も女房もね、良かれと思ってやったんよ。良かれと思って、手術したん」

「……ええ」


 私は頷く。


 清水さんには、高知県で暮らしている娘の他に息子が二人いた。

 彼らもチムドレンだった。

 しかし両人とも手術を受けた結果、幼くして亡くなっている。


 神職でもなんでもない清水さんが煙突神社を管理するのは、ここが彼の地元と言うだけではなく、祀られているサバイバル・チムドレンたちに縁を感じて、というのが理由らしい。


「息子たちの煙突を取ってやりたいっていう一心で」

「ええ」

「良かれと思って手術したん……。それを、それを記事にもちゃぁんと書いてくれなくちゃ」

「ええ。……同僚になに言われても、僕は必ず、清水さんたちの想いを記事に書きますから」

「頼むよ」

「ええ」


 私たちはかたく手を握り合った。

 山道をすいすい上り下りしていた老人の手の弾力の無さに驚かされる。


 清水さんはまだ何か言いたげだった。

 言い訳するときのように口をもごもご動かしていたが、やがて「体力付けるんだよ。若いんだから」と取るに足らぬことを言って、そして去っていった。



 私はシートに深く体を預け、一人苦笑した。

 清水さんから見ればたしかに若いのだろうが、私も今年で六十五になる。先日、とうとう電車で座席を譲られてしまった。

 同い年の妻はいるが、子どもはいない。その代わりというわけではないが、部下がたくさんいる。


 ずっと被っていた帽子を取り、頭を撫でた。

 手のひらに、硬化した皮膚のこりこりとした感触を受ける。大昔に切除されたである。


 六十五年ほど前、私は双子の妹とともに低出生体重児として生まれてきた。

 私と彼女は頭頂で結合していた。頭と頭がくっついていたのではない。お互いの頭からのびた「煙突」で繋がり合っていた。


 一歳になる前に、私たちは手術を受けることに決まった。生まれた時は二センチだった煙突の長さは、手術当日までには三十センチにのびていたという。


 メスで煙突を半分に切り、私たちは一つから二つになった。

 生き残ったのは、兄である私だけだった。

 生きていくために煙突が必要だったのは妹のほうで、私はただたまたま、腹の中でくっついてしまっただけだったらしい。


 私は手術を受けたチムドレンでありながら、この年まで生き長らえた。

 ただ、切られた皮はきれいに消えてくれず、上手くのびていくこともなく、そのまま天使の輪っかのように今も頭に張り付いている。


 煙突になりきってはいない私の頭を見た周囲の人間たちに、「サバイバル・チムドレンじゃないか」とよく勘繰られたものだ。

 サバイバル・チムドレンは、すなわち被ネグレクト児を指す。「風呂に入っていないんだろう」と揶揄われたり、「よかったら」と食糧を恵まれたりすることが多々あった。


 しかし、私はネグレクトを受けていたわけではない。毎日食事を与えられていたし、風呂も用意してもらっていた。

 見当違いの揶揄も同情も大変鬱陶しく、私は普段から帽子を被って頭を隠すようにしていた。


 私たち兄妹に手術を受けさせた母も父も、十年ほど前に他界している。

 彼らについて思い出そうとしても、妹の遺影を眺めて暗い顔をする横顔ばかり。最低限の世話はしてもらったが、親子らしい会話や関りはほとんど無かったと記憶している。


 自分も年を取った今でこそ、子を亡くした両親の気持ちはなんとなくだが理解できるようになったつもりだ。

 しかし出来損ないのチムドレンであった幼き日の私は、完ぺきなチムドレンであった天国の妹に嫉妬心を覚えることもあった。


 大人になり結婚しても私が子を儲けなかったのは、自分の両親や妹に対する複雑な想いが臆病者にさせたからだった。

 自分を可愛がってくれなかった両親を私は心のどこかで恨んだ。

 しかし、「ではおまえは我が子を十分に可愛がってやれるのか」と訊かれたら……。


 「うん」と頷く自信は終ぞ持てぬまま、こうして還暦過ぎとなってしまったわけである。





 エンジンをかけ、車を走らせた。


 山道を下っていく。

 途中、帰宅途中の清水さんを見かけるかもしれないと思ったが、すれ違うことはないまま国道へ出た。


 信号待ちをしながら、左手側にそびえる緑の山々を見上げる。そのどこかに今日取材した煙突神社があるはずだが、具体的な場所は当てられない。


 山から空に向かってにょきにょきとのびている煙突を想像した。

 煙突の下には、「サバイバル・チルドレン」たちがいる。食事や水を与えられなくても生きていける子どもたちだ。

 のびすぎた煙突では上空の空気しか吸えず、死因も酸素欠乏症だったという。

 人肌の温もりもほとんど知らずに亡くなっていたのであろう彼らが不憫でたまらない。



 信号が青に変わる。

 両親が最期まで恋焦がれていた妹の名を胸の中で呼んだ。


 「愛」。


 頭の煙突がのびていれば、私も両親から受け取っていたかもしれないもの。

 それが、己の片割れの名前であった。






「The Chim-dren」 了

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[短編] The Chim-dren ばやし せいず @bayashiseizu

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