第6話
「――リナは『好きな人』じゃなくて、『好きだった人』なんだ」
門限のある私のために駅への道を急ぎながら、
他校に通う慎太郎の元カノで、今は連絡が取れないらしい。別れた理由は、彼女の浮気だったという。
「めっちゃダサいけど、未練が全く無いって言ったら嘘になる。中一の時からずっと好きだったし……」
彼女のことを話す慎太郎の横顔は、とても辛そうだった。
「ごめん。こんな暗い話」
気丈に振舞おうとする慎太郎に、私は首を横に振る。
「私でよかったら話して。辛いことは話したほうが楽になるんじゃないかな」
私は失恋したことがない。それどころか、恋すらしたことがなかった。
だから、彼の気持ちの100%はわかってあげられない。
でも、悲しそうな顔は見たくなかった。
「慎太郎の話、何でも聞くよ」
「いや、夢にはこれ以上話さない。絶対に」
私の励ましに対し、慎太郎はきっぱりとそう答えた。
「どうして……?」
信頼されていないのだろうか。
胸にトゲが刺さったような痛みが走る。
「だって」と慎太郎は呟く。
「夢の前ではかっこつけたいから。俺、夢のこと……」
「え?」
カンカンカンと音が鳴り響く。すぐ先の踏切の遮断機が下りようとしていた。駅に行くためには踏切を越える必要がある。
私たちは話を中断して慌てて走り出した。けれど、やはり間に合わなかった。
「ああ、くそっ。門限、間に合うかな」
時間を気にしなければいけないのは私のほうなのに、慎太郎のほうが焦っているみたいだった。
「大丈夫だよ。ちょっとくらい遅れても」
門限はあるけれど、少し怒られればきっと解放される。日頃の行いが良いから信頼されているのだ。
「いや、もう出かけちゃだめだって言われたら困るじゃん。また夢とデートしたいのに」
「デ、デート……」
轟音を立てて電車が目の前を通過する。強い風に目を閉じると、指先が何か温かいものに包まれた。
見なくてもわかる。
この優しい温度は、慎太郎の手だ。
「夢は俺のこと、好き?」
電車が去って、世界が静かになる。
自分の心臓の鼓動までもが聞こえてきそう。
そう思った途端、また反対側から別の車両が走ってきて、私の髪をなびかせる。
「ずるいよ。そんな訊き方……」
私も彼の手を握り返した。
「……好きだよ。慎太郎のこと」
彼が微笑む。
私の震えた声は、しっかりと相手に伝わったみたいだった。
「……よかった」
慎太郎は優しい笑顔を見せてくれた。
彼が私の笑顔を見たいと言ってくれたように、私も彼の笑顔をもっと見たかった。
踏切がなかなか開かない。このままでは門限を大幅に過ぎてしまうかも。
でも、一秒でも長くこうしていたかった。好きな人と手を繋ぎ、見つめ合っていたかった。
夕日が空と街を染めている。
今まで生きてきた中で、一番きれいな景色だと思えた。
嬉しい。
悲しい。
どきどきする。
きれい――。
慎太郎は、私にたくさんの感情を与えてくれる人だ。
彼がこの世界を色づけてくれた。
透明だった心の中を、色鮮やかに染めてくれた。
「俺も好きだよ。……リナのこと」
踏切がやっと開き、人が流れていく。もたもたしていたら、また遮断機が下がってしまう。
それでも私たちはその場にただ佇んでいた。
「……も、もう~!」
大げさに笑うと、彼はようやく名前の呼び間違いに気がついたらしく、はっと口を噤んだ。
「慎太郎ったら、肝心なとこで間違えないでよね!」
私はなるべく明るい笑い声を立てた。慎太郎はつられてぎこちなく笑おうとする。
「ご、ごめん」
でもまた俯いてしまった。
違う。
そんな顔が見たいんじゃない。
慎太郎には、心から笑ってほしかった。
私は彼の手をさらに強く握りしめた。
慎太郎、笑って。
そう言い掛けた時だった。
「――
私たちの背後で、女の子の声がした。
振り向くと、この辺りでは有名な進学校の制服を着た女の子が立っている。スタイルが良くて、とても可愛い子だ。黒く艶やかなロングヘアが白い肌によく似合っている。
でも、彼女は鬼のように険しい形相で私たちを睨んでいた。
慎太郎が「リナ」と低い声で呟く。同時に、再びカンカンカンと警報機がやかましく鳴る。
「慎、今度はその地味な子と浮気するつもりなの?」
「リナ」らしき女の子が近づいてくる。ゆっくりではあるけれど気迫があり、その姿は今日観た映画のゾンビを連想させた。
ゾンビにおののく役者のように慎太郎が後ずさる。彼の手が私からするりと離れた。
――別れた原因は、彼女の浮気。
慎太郎は自分の口ではっきりと言っていたはず。
でも、リナは彼に「また浮気をするのか」と訊いた。だから、慎太郎かリナのどちらかが嘘をついているということになる。
けれど問い詰めるまでもなかった。
慎太郎の顔は血の気を失い真っ青だ。
「……っ!」
彼は身を
「慎! 逃げるな!」
リナの怒声が上がる。
でも彼は止まらない。一目散に向こう側へ走り抜けようとし、そしてレールに足を取られて転んだ。
警笛と衝突音が同時に鳴る。
少し遅れて、通行人たちの耳をつんざくような悲鳴。
「……」
脚から力が抜けてしまい、私はアスファルトの上にへたり込んだ。
きれいだと思っていた景色が恐ろしくなるほどに鮮やかな赤に染まっていく。
悲鳴は止まない。
まるで、パニック映画を観ているみたい。
けれど、私は一言も発することができずにいた。感情が沸き起こらなかったからではない。
初恋の男の子から、教えてもらったことがある。
「人間は本当にパニックになった時には、声を上げることすらできなくなる」、ということだ。
「透明なこの世界を、きみが色づけるから」 了
[短編]透明なこの世界を、きみが色づけるから ばやし せいず @bayashiseizu
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