3,裕美編
「どうもつまらないな。」
杉ちゃんが夕食を食べながらボソリと言った。
「つまらないって何が?」
水穂さんがそう言うと、
「あんまり静かすぎて、ちょっとつまらないんだよね。」
杉ちゃんは申し訳無さそうに言う。それを聞きつけた結衣は、
「申し訳ありません。あたしも、母に何回も提案してはいるんですけど。従業員さん以外に、お客さんと相手をしてくれる人がいてほしいですよね。本当に、誰もいないのではつまらないですものね。」
と、二人に言った。
「つまり、コンパニオンさんのことですか。」
水穂さんがそういった。
「母は、いらないいらないって、ずっと言ってるんですけどね。私はね、もう時代も代わりましたし、やはり周囲に何も無いところですから、コンパニオンさんも必要なのではないかと思うんですよ。別に売春と関係があるようなわけじゃありませんよ。ここに来るお客さんは、みんな訳アリの人ばっかりだし、話し相手になってくれる人が、いてくれたほうが良いと思うんですよね。」
「そうですね。確かにそうかも知れませんが、僕達は贅沢は言いません。これまで通りで大丈夫です。」
水穂さんはそう言うが、
「いつも同じ人相手で、つまらないからさ。誰かいてくれると嬉しい。」
杉ちゃんは本音をボロリといった。
「じゃあ、私、母に相談してみるわ。そういう人を連れてきてくれる事業者があるかどうか。」
結衣はそう言って、お茶を取りに厨房へ戻った。そしてお母さんであり、この小田島旅館の女将さんである、茉莉子さんにちょっと話しかけてみた。
「お母さん、あたしたちの旅館もコンパニオンさん頼もうよ。あの二人も話し相手がほしいって言ってるのよ。もちろん、こんな山の中だから、芸者さんも、コンパニオンさんもなかなか来られないっていうのもわかるけど。」
「馬鹿なこと言うもんじゃないわ。」
結衣がそう言うと、茉莉子さんはきつく言った。
「うちは売春するためにあるわけじゃないのよ。」
「そうだけど、梅ケ島の自然がすべてなんていう商売では、もう人気は出ないってわかってるでしょ。」
「うちは女郎屋ではないのよ。そんな汚らしいサービスを作ったら、梅ケ島の山が悲しむわ。」
茉莉子さんは何を言っても必ずこれであった。最終的には、梅ケ島の自然にもうしわけない、という答えになってしまう。だからこの旅館も、人気が出ないので繁盛しないのではないかと結衣は思った。
「うちの旅館は、カラオケも無いし、コンパニオンも無いし、そのための旅館なの。それをぶち壊すような真似はしないでちょうだいね。」
「でも。」
結衣は、決定打と思われることを言った。
「あの杉ちゃんたちは、話し相手がほしいと言ったわ。本当よ。あたし、自分で確かめたわ。それにどう対応したら良いのかしら。」
「女将さん。」
結衣と茉莉子さんがそう言い合っているとき、一人の女性が二人に話しかけた。と言ってもまだ下働きで、着物もきちんと身につけていない。二部式の無地の着物を身に着けていた。
「もしよかったら、私が二人の話し相手になりますよ。」
「良いの、裕美ちゃん。」
茉莉子さんはそう彼女に言った。
「大丈夫です。あたしは、前の職場で経験があるからわかります。」
ゆみと言われた女性は、そう自信を持っていった。
「大丈夫です。私は、もし、性的労働を強いられても、何も問題ありません。」
「わかりました。じゃあ裕美ちゃんお願いね。」
結衣がそう言うと、裕美ちゃんと呼ばれた女性は、ハイと言って食堂へ行った。
「はじめまして。結衣さんから名を受けて、お話相手になります。鈴木裕美と申します。」
裕美ちゃんと呼ばれた女性は、二部式着物のまま、杉ちゃんたちの前へ現れた。
「はあ、鈴木ゆみさんね。へえ、まだ下働きか?まだ二部式の着物着て、ちゃんと仲居さんとしての、色無地を着てないだろう。」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ。あたしはまだ、この小田島旅館で働いて、一年も経っていない、新参者ですから。」
と裕美さんは言った。
「はあ、なるほどね。ちなみに、前職は何だった?こういう仕事をするやつは、訳アリのやつが多いけど?」
杉ちゃんに言われて、ゆみさんはちょっと小さくなって、
「はい。モデルだったんです。でも、なんだかその仕事が嫌になってというか、人間関係でちょっとトラブルになってしまって、それでここに来ました。」
と言った。
「へえ、モデルだったんですか。身長も高いし、体つきもしっかりしているようだから、向いていると思ったんですが、辞めてしまわれたのは残念ですね。」
と水穂さんが言った。
「まあ、色々事情があったんだと思うけどさ。なかなか、ニューハーフを雇ってくれるところも無いしな。僕すぐわかったよ。お前さん、もともとは男だったんでしょう?色々手をつけて、女性の体に近づけてあるようだけど、その身長を縮めることは、できないからなあ。」
杉ちゃんがでかい声で言った。裕美さんは、
「どうしてわかっちゃうんですか?」
と言ったが、
「まあでも、良いじゃないですか。それがあなたにとって目標となることであれば、それを目指す人生だってあると思いますよ。外見からしたら、ほとんど女性に見えますよ。大丈夫です。」
水穂さんが優しく言ってくれた。
「本当にそう思ってくださいますか?」
裕美さんは水穂さんに確認するように言うと、
「ええ、できる限りそうなろうと工夫されてるんだなというのがわかりますもの。髪型も長髪にして、パーマもかけてるし。」
水穂さんは優しく言った。
「そうですか。ありがとうございます。あたしを、女性として見てくれたのは、初めてのお客さんです。みんな私が事情があるとわかると、逃げていってしまうのです。」
「そうか。それでお前さんはずっと下働きなわけ?それもなんか辛いねえ。それなら、着物をちゃんと着れるようになろうよ。そうなれば、仲居さんとして、勤務できるようになるよ。」
裕美さんがそう言うと、杉ちゃんがすぐに言った。
「でも、着物なんて、そんな高いものすぐには買えないし。幸い、紺の色無地であれば良いと言うことになってるんですけど、なかなか買えなくて。」
「そういうことなら、リサイクルの着物で通販があるからそこで買えばいいよ。安くて、1000円で着物が買えるから。それに、おはしょり無しで着ても、決して悪くないよ。」
杉ちゃんがそう言うと、水穂さんが持っていたスマートフォンの、
「例えばこういう感じです。リサイクル着物通販と検索して、色無地紺で絞ってみると、ああありますね。ほら、1000円。よく仕事で着物を着るんでしたら、化繊でも良いかもしれないですが、それは女将さんに聞いて下さい。よろしければ、これを購入してみて、着物を着てみてはいかがですか?」
画面を示しながら言った。たしかに、紺色の色無地で、1000円で販売しているサイトがあった。
「でも私、帯結びが。」
裕美さんが言うと、
「いや、それは大丈夫。作り帯というものがある。胴に帯を巻いて紐で縛り、それにお太鼓を差し込む形で着れば、それでいい。それに帯締めや帯揚げの結びかたも簡単だし。着物を着るってそんなに難しいことではないよ。だから、もっと気軽に楽しんでくれると嬉しいな。」
と、杉ちゃんがにこやかに言った。裕美さんは、
「そうなんですか。そんなこと全然知りませんでした。その1000円と言うのを私も買ってみます。なんか、お二人と話をして、元気になれたみたい。すごく嬉しいです。」
と、にこやかに言った。
「そうそう。着物なんて、すぐになんとかできるものだぜ。格付けが難しいと言われるが、それだってすごい簡単だしね。リサイクルの着物だって、すぐに手に入るから、それで楽しく着物で仕事をしてくれよな。ゆみちゃんよ。」
杉ちゃんにそう言われて、裕美さんは思わず、
「もう一回そう言ってください。」
と杉ちゃんに言った。
「私、戸籍ではひろみとなっているんですが、どうしても女性になりたくて、ゆみって読んでくださるように頼んでるんです。女性になればなるほど私は、自分であるような気がするんです。」
「わかったよ。なんぼでも言ってやらあ。そういうことなら任しとけ。水穂さんも、僕も、つらい思いはしてきたんだし、自分のホントのことをわかってもらえないっていうことは、よくあったから、その辛さも多少は理解できるよ。じゃあ、これからも頑張ってな、ゆみちゃん。」
裕美さんの話に杉ちゃんは即答した。
「ありがとうございます。そうやって即答してくれるって嬉しいです。それなら、お酌をしてもよろしいですか?」
裕美さんがそう言うと、
「僕らは酒は飲めないので。」
杉ちゃんはそれは断った。
「でもふたりとも大変だったって、どういうことですかね。私も、モデルだったときはいじめられたりしましたけど、お二人もなにかあったんですか?車椅子だったから?」
裕美さんは杉ちゃんたちに聞いた。それは単に接客業で聞いてるわけではないような気がした。
「いやあねえ。あんまり口に出したくないけど。」
「日本にも、人種差別があったんですよ。」
杉ちゃんに続いて水穂さんが言った。
「特に水穂さんなんかは大変だったよねえ。いじめというか、一生いじめとつきあっていかなくちゃいけないんだからね。」
「そうなんですか。ある意味あたしと一緒ですね。あたしも、いくら女性になろうとしても、どうしても理解されないこともありますから。水穂さん頑張ってください。あたしは、応援するしかできないですけど、あたしのこと、女性だと認めてくれたお礼に、水穂さんのことを応援しています。」
裕美さんの目は真剣だった。なんだか簡単にそうだねと言っては行けないような気がした。
「ゆみさんありがとうございます。残念ながら日本の歴史は変えることはできないけど、その気持だけで十分です。」
水穂さんはにこやかに言った。
「本当に何も飲まないんですか。私、水穂さんになにかお礼をしないと行けないんじゃないかなと思うのですけれど。それでは、行けないのかな。」
裕美さんはそう言っているが、
「ええ、何もいりません。裕美さんが明るく過ごしてくれればそれで良いです。」
水穂さんはそういった。
「そうですか。それなら、あたし、ここにいる間、水穂さんたちの話し相手にはいくらでもなりますから、必要が出たら呼び出してくれますか。あたし、絶対役に立ちたいと思いますから。」
「ええ、わかりましたよ。」
裕美さんの問いかけに、水穂さんは静かに答えた。裕美さんは、ちょっとほころびたような笑顔で、ありがとうございますと言った。
温泉旅行も、あっという間に終わって、5日間の日程が過ぎてしまった。杉ちゃん一行は、またタクシーに乗って静岡駅へ帰っていくことになった。タクシーの用意は、女将の茉莉子さんがした。
「本当にありがとうございました。何よりも、結衣が、動き出してくれたことが嬉しいです。」
茉莉子さんは、杉ちゃんたちを見送りながらそういった。
「いえいえ、大したことはありません。結衣さん、またきっと法律の勉強したいとか言うと思いますから、それを言い出したら、快く受け取ってください。」
水穂さんがそう言うと、
「まあいやねえ。あたしは、したくなったら自分でちゃんと言うわよ。それくらいできなくてどうするの。」
結衣さんは、水穂さんにそういうことを言った。
「まあそんなことを言うくらい、明るくなってくれたなんて、なんか嬉しいを通り越してしまったみたい。」
茉莉子さんが言うと、
「でも、あたしだって、言いたいことがあるときはちゃんと言いますからね。もう、ちゃんと、言ったほうが良いって、あたししっかり学ばせてもらったわ。」
結衣さんは、にこやかに言うのだった。
「それでは、もうすぐタクシーが見えると思いますので、お気をつけてお帰りください。道中長いと思いますから、酔い止めに持っていってください。」
茉莉子さんは、そう言って二人に匂い袋を渡した。杉ちゃんたちは、ありがとうございましたと言ってそれを受け取った。それと同時に、ワンボックスタイプのタクシーがやってきた。運転手が、杉ちゃんを、スロープを使って後部座席に乗せる。水穂さんは、自分で後部座席に乗った。
「じゃあどうもありがとうございました。」
「また来てくださいね!」
茉莉子さんと結衣さんは、にこやかに車が動き出すのを見送る。座席のドアが閉まり、車のエンジンが掛かって、ワンボックスタイプのタクシーが見えなくなるまで、二人は見送っていた。
タクシーを乗り継いで、杉ちゃんたちは、富士市に帰ってきた。長旅を経て製鉄所に帰ってくると、ブッチャーが、出迎えてくれた。製鉄所では特に変わったことはなかったという。杉ちゃんがきょうは療養のために旅行に言ったので、土産は無いよと言うと、ブッチャーはがっかりした顔をしていた。水穂さんの方はつかれてしまったらしく、すぐに布団に入ると言った。何をしに行ったんだとブッチャーは言ったが、水穂さんは、着物を着替えてすぐに布団に入ってしまった。
しかし、静岡の秘境と呼ばれる梅ヶ島温泉では、結衣さんが、若女将として、小田島旅館を手伝っていることが噂になっていた。また、紺の色無地を着た、裕美さんは、いつもと変わらずに接客を続けていた。そして、体の弱かった武子さんは、何度も療養のために、小田島旅館を訪れている。
温泉旅行 増田朋美 @masubuchi4996
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