──結局、二年もしねぇうちに『年季明け』にはなったけどな。


 深船みふねの表通りが見下ろせる、己が根城にしている店の二階の大窓に腰掛けた沙羅さらは、ぼんやりと通行人の姿を眺めながら己の来し方を振り返っていた。


 あの後。沙羅の貢献によって抗争に圧倒的な勝利を収めた『双龍』は、焼き払われた深船の町を博打屋がひしめく繁華街に造り変えた。


 勘助かんすけ達一味が売り払った土地の権利書を巻き上げ、『双龍』のカシラに上納したのは京二きょうじだった。


 京二はそのまま深船再建の総指揮を任され、見事に新しい深船を作り上げてみせたが、最終的に新しい深船の取り仕切りを京二から任されたのは沙羅だ。京二いわく、これは『沙羅の働きに対する報奨』であるらしい。


 ──バカ言うな。テメェが仕切るよりも、深船の住人に顔が利くオレに任せた方が、テメェの世話がねぇってだけだろうに。


 だが沙羅はこの町を縄張シマにできたからこそ、二年という短期間で京二に借りを返すことができた。


 深船で挙げた功績を見込まれ、『双龍』全体の博打稼業までもが沙羅の管轄に収まったおかげで、沙羅の出世が早くなったというのも事実だ。深船の取り仕切りを任されていなかったら、きっと沙羅はまだ京二の下で三下を演じていたことだろう。


 そのことを頭では理解できている。だが時折、心が納得できない。


 先日の一件がそれだ。


 ──借りは返した。だからいつまでもオレの保護者ヅラしてんじゃねぇよ。


 沙羅は京二に恩がある。そして沙羅を『双龍』に引き込んだのは京二だ。かつての上役でもある。義理を重んじるのが極道の世界だ。この関係性は一生続くのだろうとも思っている。


 それでも。


『男ってだけでいつでも女を勝手にどうこうできると思ってんじゃねぇよっ!! バーカッ!!』


 かつて己が切った啖呵たんかが、耳の奥に蘇ったような気がした。


「……」


 沙羅は手にした煙管キセルを手の中でもてあそぶ。火どころか煙草も入れていない煙管はひんやりとしていて、確かに無聊ぶりょうをかこつともにピッタリだ。


 ──今回多発してるかどわかしの裏には、大きな組織の影が見える。


 その感触で思考を切り替えた沙羅は、眼下を行き交う人の波に視線を置いたままスッと瞳をすがめた。


 ──ただ、オレの時とは手口が違う。人身売買の気配が見えるからって、勘助アイツを絡めて考えるのは短絡が過ぎる。


 沙羅が初めて身を投じたあの抗争の中に、勘助が所属している詐欺集団はいなかった。


 あいつらは権利書と拐かした女子供をとっとと売っ払い、さっさと高飛びしてしまったのだという。沙羅自身も京二と顔を合わせた時には二度、三度と転売された後であったらしい。


 その辺りのことは、『双龍』に腰を落ち着けてから聞かされた話と、自身で行った調査で把握している。京二をしてでもいまだに勘助達の尻尾は掴めていないという話だった。


 そのことを思った瞬間、手の中の煙管がわずかに軋みを上げたような気がした。


 ──みんな、地獄で待ってて。


 深船の取り仕切りを任されたおかげで、沙羅はかつての顔馴染達と再会することができた。今の沙羅のシノギは、あの頃の顔馴染達によっても支えられている。


 同時に、彼らに再会したことで、行方不明になった仲間達や、無残に命を散らすことになった顔馴染の存在を嫌でも突きつけられた。行方不明になった仲間達の所在は『双龍』で権力を得た沙羅をしてでも掴めていない。


 そして事の元凶である勘助達一味の存在も、依然として掴めないままだ。


 ──必ずあいつをそこに送り届けてやるから。


 今回、沙羅が多発する拐かしに首を突っ込んだのは、もとを正せば行方不明になった仲間の足取りを掴むためだ。


 蛇の道は蛇。人買いの動向は人買いに尋ねるのが一番早い。人買い組織をいくつか潰して関係者を締め上げれば、行方が分からなくなっているかつての仲間の足取りが掴めやしないかと考えたのが事の発端だった。


 だが今は、別の面からも積極的に首を突っ込んでいる。


 ──ちょっと叩いてみたら、かなりデカいホコリが出たんだよな……


姐御あねご!」


 その『ホコリ』に関して思考を向けた瞬間、階下から慌ただしい呼び声が聞こえてきた。次いでドタバタとうるさい足音が階段を駆け上ってくる音を聞いた沙羅は、煙管を握った手をたもとの中にしまい込みながら気だるく廊下を振り返る。


「姐御! こちらにいらっしゃいやすかっ!?」

「うるせぇぞ、ヤス。ご近所さん迷惑だ」


 階段を上がりきり、そのままの勢いで廊下を走り込んできたのは、沙羅が使いっ走りにしている三下だった。三十路に足を突っ込んだ身の上で階段を全力で駆け上がってきた三下は、沙羅がいる座敷に駆け込んでくると息も切れ切れに声を上げる。


「め……目ぇつけてたトコに、動きがありやした!」

「どこだ」

「坂下橋の近くの……!」


 ──坂下橋……


 この深船からも、『双龍』の本屋敷からも、……京二の縄張シマであるよしからも離れた場所だ。人の行き来が常に絶えず、太い水路もある。船を使えば海まですぐという立地だ。


 人を一人、力に任せてさらうには都合がいい場所とも言える。


 ──さて。


「分かった。案内しろ」

「へい!」


 目星をつけていたが見せたきな臭い動きに、沙羅は迷うことなく乗ることにした。


 自力で切り抜けられるという自負はある。『双龍』に身を投じてからも、その前も、沙羅は己の力で道を切り開いてきた。


 でも。


「……」


 沙羅は案内のためにきびすを返したヤスに気付かれないように、袂の中に隠し持っていた煙管を畳の上に落とすと、足先でそっと壁際へ転がす。目敏い京二がここに来れば『何かがあった』と分かるように。


 万が一の時のための保険を残した沙羅は、先に階段を降りていった己の手下の後を、迷いのない足取りで追っていった。

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