第17話 騎士の心
夜半、ユレンは目を覚ました。あたりの暗さと虫の声でおおよその時刻を把握する。寝直そうと目を閉じて、しばし横になっていたが、一向に眠気はやってこなかった。諦めて起き上がり、暴走した髪の毛を軽く整える。手探りで杖をつかんだとき、かたわらから声がした。
『こんな遅くにどうしたよ、ユレン』
カシューだ。荷物のそばで丸まっている彼は、はっきりとした声で問うてくる。本来、〈竜の目〉や〈竜の耳〉に睡眠は必要ないので、すぐに起きることができるのだ。
「目が覚めちゃって。風に当たってこようかな、と」
ユレンが歯切れ悪く答えると、カシューは『ふうん』と気のない返事をする。
『妖精どもがいるから危険はないだろうが。一応、気をつけろよ』
「うん。リーンさんのこと、お願いしていい?」
『任された』
俊敏に起き上がったカシューは、王女が眠っているであろう方に顔を向ける。それを見たユレンは、布団代わりにしていた
闇の中、森を歩く。点々と光る花が咲いてはいるが、ユレンが足もとを見通せるほど明るくはない。ユレンは、いつも以上に丁寧に周囲を探り、足を進めた。
春とはいえ、夜風はまだ冷たい。だが今は、この冷たさが心地いい。
森に住んでいた頃は、そんなことは思わなかった。ただ暗闇が怖くて、森小人たちに泣きついたものだ。
ふとそんなことを考えて、ユレンは口元をほころばせる。昔を思い出すなんて、ここしばらくなかったことだ。自分の出自の話をしたせいだろうか。
ユレンがヤーデルグレイスの養い子だと知って、レイトリーンとエイヴァは言葉を失くすほど驚いていた。養父から聞いた昔話を語り終えた後の、乾ききった空気は、当分忘れられないだろう。本当は妖精の試練の話も聞きたかったのだが、そんな状況ではなくなってしまった。
「これで避けられちゃったりしたら……さみしいなあ」
知らず、呟きが漏れる。背の高い植物を避けたユレンは、ため息をついた。それからふと顔を上げ――人影があることに気づく。
その人は、野営地から少し離れた場所に立っていた。動く気配はない。ユレンは、なるべく音を立てないように近づく。人の輪郭が見えて、彼がその正体を察すると同時、相手も振り向いた。
「案内人殿。こんな夜更けにどうなされたのですか」
エイヴァは、制服をきっちり着込んで立っていた。いつもと変わらぬ表情で問うてきた彼女に、ユレンは湿っぽい視線を投げる。
「おれは散歩中。ちょっと目が覚めちゃって。……エイヴァさんこそ、何してるの?」
「見ての通り、見張りです」
エイヴァは当然のように言って、剣の鞘を叩いた。
「ティーネちゃんの結界があるから、危険なものはそうそう来ないよ?」
「森の内に限って言えばそうでしょう。しかし、ターレスのような輩が忍び込んでいる可能性もあります。気を抜くことはできません」
反論するエイヴァの表情は、かたい。ユレンは肩をすくめて、「そうだね」とだけ言った。そして、彼女の足もとを見る。
「あの。隣、いいかな」
「構いませんが……」
エイヴァはわずかに首をかしげた。ユレンは構わず、彼女の隣に行く。ちょうど座れそうな岩があったので、そこに腰かけた。
ユレンはしばらく夜の闇をながめていた。が、ふと視線を感じて顔を上げる。エイヴァと目が合った。
「どうしたの?」
「いえ……その杖は、森小人の作品なのですよね。あの仮面――ゴオグル? も」
少し口ごもったのち、彼女はそんなことを言う。ユレンは深く考えずに「うん」と答えて、杖を掲げた。
「ものづくりが上手な人がいてね。その人とお弟子さんが作ってくれたんだ」
「素材も、森で採れるものなのですか」
「森のものもあるけど、それだけじゃない。大事な部品の材料は、別のところに住んでる
地底小人は、文字通り地下などに好んで住む小人だ。
小人という種族は大陸じゅうに散らばっているが、どこに好んで住むかによって呼び名が違う。名前だけでなく、体格や得意なこと、魔法を使えるかどうかも変わってくる。
そんな小人の話を聞いたからか、エイヴァはわかりやすく眉を上げた。それから、小さく咳払いする。
「そうなのですね。確かに、それほど貴重な物なら、人の町では手に入らないでしょう」
「だよねえ」
苦笑したユレンに相槌を打ち、エイヴァはすぐ前を向いた。ユレンは、その横顔をまじまじと見つめてしまう。どうしていきなりそんなことを言い出したのか――護衛の意図がよくわからない。
エイヴァはその後、考え込むように頭を上下させ、今度は体ごとユレンの方を向く。
「……ごまかしてはいけませんね。きちんとお伝えしなければ」
頭を傾けたユレンの前で、彼女は膝をついた。突然のことに、彼は翡翠色の目を丸める。
「へ?」
「案内人殿――いえ、ユレン殿」
気の抜けた反応を示す少年をよそに、エイヴァは低頭した。
「レイトリーン様を守っていただき、ありがとうございます」
ユレンは、呆然と雀茶色の頭を見下ろす。思い当たる節がなかったので、全力で記憶を辿る。その結果、あることに思い至り、おろおろと口を開いた。
「も、もしかして、ターレスさんのこと? あれは結果的におれが戦うことになっただけだし、おれだって森を守りたかったし、逃げられちゃったし……だから、そんなふうにしなくていいよ?」
一気にまくし立てると、エイヴァが顔だけを上げた。彼女は、凪いだ湖面のようなまなざしを少年に向ける。
「結果的に貴殿が対処なさっただけ。それは、そうかもしれません。ですが貴殿は、レイトリーン様のことも考えてくださっていたのでしょう」
エイヴァが口の端を持ち上げた。ユレンにとっては初めて見る、彼女のほほ笑みであった。
「でなければ、我々のところに連れてきたかった、などという言葉は出ないはずです」
ユレンはしきりにまばたきする。
霧の中でターレスが豹変したとき、彼をレイトリーンのところへ連れていくことばかり考えていた。とにかく、落ち着いて話し合ってほしかったのだ。それはそんなに特別なことだろうか。
ユレンは困惑していたが、この場にカシューがいたならば、『そりゃあ俺っちたちは部外者だからな。そこまでする義理は、本来ねえだろ』くらいのことは言ったであろう。
少年の絡まり合った思考のことなど知る由もないエイヴァは、再びわずかに頭を下げた。
「それだけでなく、ご自分を責めておられたレイトリーン様を励ましてくださった。レイトリーン様の御心を守ってくださったことに、感謝しているのです」
ひっそりとして、それでいて力強い声は、夜の森によくとおる。ユレンは再びエイヴァを見下ろした。少し悩んだすえに、そっと手を差し出す。
「全部うまくいったわけじゃないけど。ちょっとでもリーンさんを助けられたならよかった。ありがとう、エイヴァさん」
エイヴァはきょとんとしていたが、ユレンがじっとしていると、その手を取って立ち上がった。互いの指が離れると、ユレンは力の抜けた笑みをこぼす。
「それにしても、びっくりした」
「……? 何にですか」
「エイヴァさんにお礼を言われたことに。だってほら、おれのこと、すごく警戒していたでしょう」
ユレンがそう言うと、エイヴァは「当然です」と腰に手を当てる。
「初めての土地で知らない人物に声をかけられたら、誰でも警戒します。王女殿下をお守りする護衛という立場なら、なおのこと。それに、貴殿はレイトリーン様に対して距離が近すぎましたので、そのうち取り返しのつかないことをするのではないかと思っていたのです」
エイヴァは淡々と、しかし怒涛のように語った。その後、顔をゆがめて「実際にやらかしたのはターレスの方でしたが」とぼやく。
いつになく感情豊かな護衛を見て、ユレンは頬をひきつらせた。
「距離、近すぎたかなあ」
「近すぎです。わかりやすく言えば、なれなれしい」
「なれっ……?」
容赦ない評価に、ユレンは声を詰まらせる。固まった少年を見て、護衛は何度もうなずいた。
「レイトリーン様はお優しいのでお目こぼしくださっていますが、王族にそんな態度で接したら、普通は不敬だと罰されます。そうなれば――」
彼女は首の前で右手を水平にし、まっすぐに引く。斬首だ、と言いたいのだろう。悲鳴をのみこんだユレンは、うなだれた。
「……ごめんなさい。もっと勉強します」
「わかればよろしい」
エイヴァは、まじめくさって腕を組む。しかし、すぐに表情をやわらげた。
「ですが、貴殿の場合はそのくらいがちょうどよいのかもしれません」
「どういうこと?」
ユレンが聞き返すと、エイヴァは妙にかたい空気をまとって人差し指を立てる。
「〈翡翠竜〉様のご子息なのでしょう。見ようによっては、一国の王よりずっと上の立場になります」
「ええ?」とユレンは素っ頓狂な声を上げた。
「おれ、別に偉くなりたいわけじゃないよ。ヤーデだって嫌がるだろうし」
「あくまで考え方の一例として申し上げただけです。お気になさらないでください」
突き放すように言ったエイヴァはしかし、ふっと口もとをほころばせる。そよ風のような笑い声が流れていった。
ユレンは口を尖らせる。
「そんなふうに言われたら、余計気にしちゃうって!」
両腕を振って騒ぐ少年を、王女の護衛はほほ笑ましそうに見ていた。そして、彼らを陰から見守っていた妖精たちも、笑みをこぼしていた。
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ユレンの祝福 蒼井七海 @7310-428
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