タイムカプセル
太陽が昇り、空は白み、何事もなかったかのように日常は続く。
「はて、なにか起きたのかね?」
近場のおばさんおじさんに昨夜のことを聞いたところ、とぼけた顔で首をひねった。
坂を下った先にある商店は畳まれ、空き地だけがぽっかりと残る。
反対側の森は静まり返っており、なにもかもが夢だったかのようだった。
目を伏せ、息を吐き出す。私はそちらに背を向け、ふたたび歩き出した。
帰り道、スマートフォンを取り出し、平らな画面をタップする。メールを開いた。長らく連絡こそ取ってこなかったが、昔貰ったアドレスなら知っている。
『話がしたくて送りました。まだ私と向き合う気があるのなら、応えてください』
送ると即、スマホをしまった。私は淡々と歩き進め、家まで戻る。
部屋にこもり、窓から外を眺めているとき、ブルッとスマホが震えた。暗転していた画面をタップすると、メールのアイコンが映る。
『放っといてくれ』
頑なな返事。わざわざメールを打ったあたり、応じる気はあると見た。
『言っておくけど、私は謝りません。あなたが現在を消したら、私まで巻き込まれるの。個人の目的に世界を巻き込むんじゃ、ありません』
薄っぺらい画面をポチポチとタップ。
『話を大きくするんじゃねぇ。お前だってこの世に固執する意味はないはずだ』
『世界のことなんてどうでもいい? でも、私には走り続ける理由だけはあるのよ』
スマホを持ったまま、立ち上がる。
『あなたはいつか、言ってくれた』
前を向き、口角を上げる。
『《過去を振り返る暇があるなら現在を変えていかなきゃならない。なにより、前を見て進み続けるお前が好きだ。たとえ報われなくても、挑む姿勢が美しい》』
ちょうど中学校の体育祭前だった。運動がさして得意でもない私は少しでも団に貢献できるように、走り込みを重ねる。だけど、どれだけ練習し研究を重ねようとも、ちっとも足が速くならない。
もう無駄だとあきらめかけたとき、彼が呼びかけてくれた。黄昏に染まった景色で逆光に照らされた少年が妙に輝いて見えたのを覚えている。
彼の言葉は自己満足に過ぎなかったものに光を当ててくれた。彼が見た理想の自分を守りたい。そのためだけに私は、私を貫く覚悟を決めたのだ。
『あったな、そんなこと。忘れてくれ』
『自分の言葉にくらい責任を持ってよ』
一呼吸置く。画面を見ると充電のアイコンが赤くなり、残量がミリ程度。そろそろ夕食時だ。切り上げる前に一つだけ。
『もうすぐ成人式。あの約束を覚えてる? タイムカプセル。二人で開けようって決めたよね』
約束の場所は公園の奥にある森だ。空いた空間の隅、樹の麓に埋めてある。
彼が反応することを期待しながら、メールの画面を消した。電源ボタンを押すと真っ暗になる。返事は来なかった。
カレンダーの数字が進み、成人の日。
式典が終わり、ぽかぽかとした陽気を縫うように、歩道を進む。振り袖は脱いでパンツルックの動きやすい格好。
横断歩道の前で立ち止まり、信号が変わるのを待つ。
私は一人でもタイムカプセルを開けに行くつもりだ。でも、やっぱり来てほしい。
荒々しい足音が近づくのを待ちながら、目をつぶった。やがて信号が切り替わる。私は一歩を踏み出した。
運命の分岐点 全てを失った彼と、なにも得ていない私 白雪花房 @snowhite
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