第8話 糸村紡に困っています


 第8話「糸村紡に困っています」


 癒師の朝は早い。

 「片瀬!」

 「…おう」

 今朝も叩き起こされた。まだ午前五時。何をするにも早い時間。

 「なんだ…っ」

 急にキスされて言葉が途切れる。仄かに甘い味が口の中に広がる。

 「…まんじゅうだな」

 「…いつも思うけどあんたよくわかるよね」

 ひょんなことがあって、僕たちは晴れて付き合うことになった。付き合うことになった…と言っても元々同棲していたようなものだし、雇用関係も変わらないけれど。

 兄妹と言う関係性から、彼氏彼女に。

 これは大きな進歩だと思う。

 「朝ごはん、何食べる?」

 「さすがにまだ早いって…」

 「知ってる!聞いてみたかっただけ!」

 そう言うと、紡はベッドに飛び込んできた。…肘が鳩尾に決まった。

 「かーたせ」

 「なんだよ」

 「朝から元気だけど」

 「どこ触ってんだよ」

 「…しちゃう?」

 「しないからな…二度寝ならしたい」

 紡は頬を膨らますとベッドから出て行った。

 「今日、片瀬の実家行くんだよね?」

 「あぁ。雇用関係越えての同棲だしな…流石に一報入れておいた方がいいかなと思ってさ」

 「今更感ハンパないけどね」

 …それは凄く思う。

 「片瀬って、変なとこ古臭いっていうか律儀だよね」

 「そうかな」

 そうかもしれない。


 あれから鞍持普の襲撃はない。

 一応念を置いて事務所を変更したり依頼を精査したりしてみたけれど、気配も感じない。…紡のことはいよいよ諦めてくれたのだろうか。いや、紡というより僕に執着している可能性もあるが…。

 紡は、変わった。

 あの襲撃以来から、と区切るのが一番いいだろう。

 気が強いのは相変わらずだが、何というか、大人になった。

 依頼に対する姿勢も変わって、僕以上に依頼主に話を聞くようになった。多分だけれど、紡の中で『傷を癒す』ということそのものが変化しているのかもしれない。

 体の傷は心の傷、ならば、心の傷もまた体の傷となる。

 癒術では体の傷しか癒せないから、心の傷も癒そうとしているのだと思う。依頼主は誰もが本当に楽になったと言ってくれた。今まではなかったことである。


 「あのね、片瀬。今回の挨拶ってさ…その、結婚の挨拶とかじゃないよね?」

 「まぁ一応結婚できる年齢ではあるけどな。

 結婚したいのか?」

 「えっ…!?えっと!?」

 わかりやすく戸惑っている。

 「結婚の挨拶じゃないよ。…まぁそれはゆくゆくかなって思ってる」

 「何ゆくゆくって」

 「今じゃないって意味だよ」

 「なんだー緊張して損した」

 紡はそう言うとトーストを頬張った。

 僕は白米。日本人だからと言う訳でもないが朝は決まっている。

 「今日の依頼はないからゆっくりできるよ」

 「そうなんだ!じゃあさ、買い物付き合ってよ!」

 長くなるし荷物持ちがしんどくなるくらい買い込むからあんまり行きたくないが仕方ない…。

 「何買うんだ?」

 「甘いのとか、結婚情報誌とか」

 「…結婚する気満々じゃねーか」


 所変わって、実家に向かう車の中。

 「紡、今更なんだけど、変わったよな」

 「え?そう?髪切ってないけど」

 「そういう意味じゃなくて…。

 なぁ紡。困っている人がいたら、紡ならどうする?」

 「なにそれ。うーんとね」

 紡は窓の外を眺めながら、

 「困ってるから助けるかな。態度と状況でその人が困ってるってわかるんなら理由なんて置いておいて助ける。

 だって私ほら、助けられる力もあるし」

 「後半付け加えなかったらまだよかったよ」

 意味わかんないと拗ねる…そう言う所もかわいいのだけれど。

 ちなみに僕は助けない。

 「世の中のすべての人が助けて欲しいってこともないだろう、困ってるように見えてもそうとは限らないし。

 過ぎたお節介は身を亡ぼすし、なによりそんな稀有な力はもっと慎重に使うべきだと思うね」

 「え?そんな理由で助けないの?」

 紡は続けて、

 「力はそりゃ有限かもしれないけど、ほっといてもいつかなくなるかもなんだし使える時に使えばいいんじゃないの?

 後ね、人を助けるって得てしてお節介だと思うよ」

 「…なるほど」

 以前の紡ならどう答えただろう?そんなに変わらなかったかもしれないが、きっと変わらなかったのは僕の方だ。

 「…僕の方がまだ子供だったわけだ」

 「なーに?」

 「いや、なんでもないよ」

 信号待ちで車が停まる。

 「紡」

 「うん?」

 振り向いた紡は本当にかわいくて、

 「今後も僕のこと困らせてくれよな」

 茶目っ気いっぱいに笑った。

 「言われなくても!」

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気の強い女癒師に困っています 犬蓼 @komezou

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