おやつ
ぼくのお父さんとお母さんは両方とも働いている。
お父さんは大きな会社で働いていて、お母さんは近くのスーパーでパートをしている。
お母さんはいつも夕方の五時に帰ってくる。それまでぼくは家に一人でお留守番。 でも、寂しくない。おやつがあるから。
お母さんは必ずおやつを置いて行ってくれる。毎日違うおやつで、手作りだというのは見た目でわかった。お母さんが忙しい中でも作ってくれるのはとても嬉しい。
「行ってきます」
二階のベランダにいるお母さんに声をかけると洗濯物を干す手を止めて手を振ってくれる。
お母さんの朝はいつも忙しい。本当はもっといっぱいおしゃべりがしたいけれど、こうやって手を振って送り出してくれるから我慢できる。
少し歩くと隣のおばさんと会った。おばさんはぼくが登校する時間、いつも玄関前の掃除をしている。
「おはようございます」
足を止めてお辞儀する。お母さんがそうするから真似をしている。
「あら、おはよう。ゆっちゃん、今日もお母さんお仕事? 学校終わったら一人でお留守番?」
おばさんはいつも同じ質問をする。お母さんがいうには、おばさんはぼくの事が心配らしい。おばさんには産まれるはずの子供がいて、でも死んじゃったからぼくを自分の子供のようにかわいがってくれているらしい。
お母さんはおばさんの事を信頼していて、何かあったらおばさんに言うのよ、といつも言ってくる。だからぼくもおばさんを信頼している。信頼というのがどういうものかはわからないけれど。
「うん。お仕事だって」
「そうなの、寂しいわね。一人でお留守番大丈夫?」
「大丈夫です」
おばさんは優しく笑う。
「そう、偉いわね。気を付けて学校に行くのよ」
「行ってきます」
ぼくはもう一度頭を下げてから小学校へと向かった。
ぼくは小学六年生になったばかり。新しいクラスメイトとはまだ馴染めない。三年生の時に一緒だった子と同じクラスになったけれど、何年も話をしていないと話しかけるのは難しかった。
「ゆっちゃんおはよう」
去年も同じクラスだったヤジが後ろから声をかけてきた。登校時間が同じだからいつも一緒に学校へ行っている。
「ヤジ、おはよう。今日の一時間目、なんだっけ?」
「国語」
「ねむくなりそう」
「大丈夫だよ。どうせまたけんちゃんが騒ぐから」
けんちゃんは六年生になってはじめて同じクラスになった子だった。授業中もいつも騒がしい。たまに下級生をいじめているのを見かける。弱い者いじめが好きな奴で、ぼくは嫌いだ。
「けんちゃんがいると授業、進まないよね」
「本当にね。おれたち、小学校、卒業できるのかな」
「義務教育だから大丈夫だよ。でも、中学生になった時に勉強についていけるかな」
勉強は好きじゃない。けれど、必要なものだというのはわかっている。だからそれを邪魔するけんちゃんが、ぼくはやはり好きにはなれない。
ヤジと一緒に歩いているといつの間にか教室についていた。教室に入るとけんちゃんが女子に絡んでいるのが見えた。
「おまえ、リボンとかバカみてー。似合ってねぇのにブース」
教室中に響き渡る声。言われた女子は目に涙をためていた。周りにいる女子がその子の背中を擦ってなぐさめている。
「なに泣いてんの? 本当の事言われたからって泣くなよ。そんなんじゃ社会に出てやっていけないんだぜ」
「けんちゃん、あっち行ってよ。あんたに関係ないでしょ」
学年一、頭のよい由美ちゃんが言った。けんちゃんは由美ちゃんが大好きで、だから怒られたのが気に食わないのか、泣いた女子にさらに絡む。
「あーあ、お前のせいで怒られた。いいよな。泣けばいいんだもんだ。そうすれば周りが味方になってくれるもんな」
その子はもっと大きな声で泣き出した。あまりにも大きな声で、驚いたけんちゃんはクラスを見渡した。ぼくと目があう。
「あ、ゆっちゃんじゃん。お前もそう思うだろ」
どうにか味方を作ろうとしている。ぼくは面倒だと思った。
「思わないよ。けんちゃん、謝りなよ。どう見たって君が悪いでしょ」
けんちゃんは顔を真っ赤にした。
「なんだよ、女子にいいとこ見せたいからってさ! お前みたいな弱い奴、すぐにボコボコにできるんだぜ」
じゃあやってみろよ。と言いたかったけれど、喧嘩をすればお母さんが呼び出されるかもしれない。
「放課後にしてくれる? もうすぐ先生も来るよ」
時計を指すと始業のカネがなりそうだった。けんちゃんはあっという顔をして自分の席に戻っていった。
「やっばいねぇ、放課後絡まれるよ。おれ、先帰るかんね」
ヤジは冷たい事を言った。
放課後、ヤジは本当に先に帰った。冷たい奴だ。でも、ぼくも同じ立場だったら同じ事をする。お相子という奴だ。
「放課後になったぜ」
ニヤニヤとけんちゃんが近付いてきた。ぼくは無視をしてランドセルを背負って下駄箱へと向かう。けんちゃんが焦った様子でついてきた。
「おいおい、怖いのかよ」
「無視とかかっこわり」
「負けちゃうもんな」
けんちゃんはぼくに何か言わせようといろいろ言ってきた。ぼくは無視をした。
けんちゃんがランドセルの後ろを棒でつっついてくるようになった。さすがに腹が立ったので「やめて」と言った。けれど、やめてはくれなかった。
さっさと家に帰ろうと速足で進む。けんちゃんも速足でついてきた。
家が近付いてくると隣の庭が見えてきた。そこにはいつもおばさんがいて、ガーデニングをやっている。庭にはたくさんの野菜が植えられていて、たまにぼくの家におすそ分けをくれる。とてもおいしい。
「あら、お友達」
ぼくに気付いたおばさんが言った。「ちがうよ」と言いたかったけれど「うん」と答えた。おばさんは少し悲しそうに「そう」と言った。けんちゃんはぼくのランドセルをつつくのをやめなかった。
おばさんと別れて自分の家に帰る。後ろにけんちゃんがいたけれど、気にせず首に下げていた鍵で玄関の扉を開けた。
扉を開けた瞬間、けんちゃんが勝手に家の中に入っていった。
「勝手に入んないでよ」
ぼくは怒ったけれど、けんちゃんは聞いていなかった。リビングに入ってしまったから追い出すのが難しい。大きなため息が口から出た。
「あー! 食いもんがある」
リビングから大きな声が聞こえた。
あっと思ってぼくは急いでリビングに駆け込んだ。手も洗わないでけんちゃんが、テーブルの上にあったぼくのおやつを食べていた。
それはお母さんが作るおやつの中で一番好きなマドレーヌだった。
ぼくのためにお母さんが作ってくれたおやつなのに。涙が出てきた。けんちゃんはうれしそうにおやつを食べていた。
夜、お母さんに謝った。
「せっかくお母さんが作ってくれたおやつなのに、けんちゃんに食べられちゃった。ごめんね」
「おやつ? 謝る事じゃないわよ。プリンならまだあったでしょ」
ぼくはあれっと思った。
「今日はマドレーヌでしょ」
「え、マドレーヌなんて買っていないけど」
おかしいと思った。買うって何? 手作りじゃないの?
お母さんが不思議そうな顔でぼくを見ている。心配させたくないと思った。
「そうだった」とぼくは言った。
翌日、けんちゃんは学校に来なかった。階段から落ちたらしい。先生は悲しそうに言ったけれど、教室の皆は嬉しそうな顔をしていた。
ぼくはまたひとつ、あれっと思った。
家に帰ると今日もおやつが置いてあった。
手作りのプリンだった。
ふと窓の向こうを見る。
塀の隙間から隣のおばさんがこちらを見ていた。
《これは事実に基づいたフィクションです》 新谷式 @arayashiki_ikihsayara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。《これは事実に基づいたフィクションです》の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます