第29話

 セベント・アタカウカは語る。

 キラチトリは、かつて生贄の世話をするために、王宮にはべる一族だった。

 おさは女で、能力の高い者も女に多かったという。

 アステカの祭祀のための生贄には、さまざまな条件が課される。

 『敵の捕虜戦士』程度なら、中南米の戦国時代と言われるほどつねに戦いのあった十五世紀のこと、まったく問題はなかったが、『敵の戦士で、逞しく美しく、ひとつの傷もない者』だとか、『敵の王族』になると、捕虜にすること自体が難しい。

 加えて、捕虜にしてから実際の祭祀まで、何ヶ月も先になることもあれば、生贄が一年間、神の化身となってアステカの民と交流する祭祀もあるのだ。

 そのあいだに病気になったり、自死を選んだり、逃走を企てたりすることもありうる。

 キラチトリは、生贄を最善の状態、生贄としての従順さを保つための者たちだった。

 秘伝の薬草を混ぜた酒をかもし、心身を安らかに保つこと。

 キラチトリの血を調合した薬は矢傷や剣の傷を綺麗に塞いだというし、さらにはキラチトリの肉体を溶かした薬液を流し込めば、壊死した手足を別の捕虜の手足と取り替え、生贄を美しく保つことさえも出来たという。

 そのために、キラチトリらは、おのれの経血を保管し、生まれた子を、年寄りを間引いておのれの医術の糧にしていた。

 生贄のために存在する者たち。

 祭祀にかかわるといえど、表舞台に立つ男の神官とは一線を画し、一族の秘術を他人の目に触れさせることはなかった。祭祀になくてはならぬが、王族の目には届かない日陰の者たち。

 が、それは平穏な暮らしであるとも言えた。

 この平穏が崩れたのは、十六世紀、スペイン帝国との戦いでテノチティトランを失陥し、王が瀕死となったときだった。

 キラチトリたちは、王に、自分たちの編み出した特別の処方をした。

 スペイン帝国の兵士の放った銃弾で、瀕死の重傷を負っていたモクテマス二世の身体をほかの男の身体と繋ぎ合わせ、甦らせたのだ。

 生贄となる捕虜をただ美しく保つという、王族たちの目に届きにくい場所にいたキラチトリたちは、それで一気に注目を浴びることになった。

 ――功績を称えられたわけではない。

 その恐るべき『便利さ』によって、王族を健康に、美しく保つための奴隷とされたのだ。

 戦争で王族が傷つくたびに、キラチトリは命を落とした。

 当初は瀕死を甦らせるような、危急の処置のため。

 しかし、それは段々に『軽く』なっていく。

 戦場で命にはかかわらない傷を負った。

 王子が遊んでいて擦り傷を負った。

 妃が水浴びで蛭に咬まれた。

 王に処方を命ぜられるたび、キラチトリたちはその血を、肉を差し出して王族を美しく保った。

 王族たちのさまざまな『需要』に応えるため、キラチトリたちは『数』を確保するために、望まぬ『繁殖』を強要されもした。

 医術をよくするのはおもに女たちだった。それで、生まれた子のうち男は叛乱を防ぐ目的もあって、『繁殖用』を除き、ほとんどの者が殺されて『材料』にされた。

 そんな扱いが、十五年前のアタカウカ将軍の蜂起まで続く。

 キラチトリとは、そういう一族だったのだ。


「儂もな、じつはキラチトリだ。特別な能力などないし、自分ではほかの人間とどう違うのかわからんがな」

 と、アタカウカ将軍は言った。

「王族の慰み者だったか、すこしはじつのある情愛だったのかはしらんが、母はある王族の子を孕んだ。生まれたのは儂だ。キラチトリの男はほんの少しを残して、殺される。だから母はその王族に儂を匿うように願ったのだろう。王族も、まあ我が子だからな。儂を受け取り、アタカウカ家……子のなかった武門の貴族に下げ渡した。儂を引き取った父母は、さきごろ流行病で亡くなったアタカウカの再従兄はとこの子だと儂のことを触れ回っていたよ。なに不自由なく儂を育ててくれたな。神官職は叔父が継いだが、キラチトリも王族も、神官の資質は持っておるから、儂にもそのちからはすこしはある。だから儂は自分がアタカウカ家の一族である、ということは疑ってはいなかった。たしかに育ての父母とは顔立ちもなにも、ずいぶん違ったから、早いうちから貰い子だとは思っていたが、再従兄の子ならまあ、顔立ちが似ていなくてもそんなものだろうと思っていた。父の死の間際、儂はこの『出生の秘密』を教わった。ただし、父母の名は知らん。『キラチトリの女と、ある王族』だ。それでよかった。儂の両親は育ての親を置いて他にはないからな。讒言ざんげんによって叔父を筆頭にしたアタカウカ家が族滅されるなか、儂だけ死罪にならなかったのは、もしかしたら儂の王族の父親が口を利いたのかもしれんが、それも、どうでもいいことだ」

「あなたがクーデターを志したのは、そのせいもあった?」

 鳳稀梢が尋ねた。

「いや。そんな甘い考えでクーデターなど起こせぬよ、ホウ殿。――が、王宮の奥から、奴隷として自由を奪われていたキラチトリたちが出てきて、逃げていったとき、そこに生みの母親はもういないだろうとは思っていても、どこかで儂に似ている女はいないかと探していたな」

 若い神官がしずしずと部屋に入ってきて、「どうぞ」と三人の前にすずの杯になみなみと注がれた黒い飲みものを置き、立ち去る。

 アタカウカ将軍がまず口をつけた。

「カカオジュースだ。不老長寿の妙薬だぞ」

 それを聞いて、オリエが杯をあおる。

 即座に渋い顔をした。

「なにこれ爺さん、全然、甘くない。カカオって、チョコレートだろ? なんでこんな苦いの」

「馬鹿者め、砂糖を大量に混ぜるなどスペイン人がやり始めたことだ。砂糖も活力のみなもとだがな、あれは摂りすぎるといかん。儂らの伝統的な飲み方は、焙煎したカカオ三十粒を粘り気がでるまでよくすりつぶし、耳かき一杯分の蜂蜜と清水を混ぜる。ちびちびと、じっくりと味わうものだ。蜂蜜とカカオの自然な甘みがする」

「えー……」

 将軍にひと睨みされて、オリエは口を尖らせながらもちびちびと飲み始める。

 飲み残すのは性分に合わないようだ。

 稀梢はそのカカオジュースには手をつけず、別の話題を持ち出した。

「私が火山の麓の採掘場跡地で見た儀式の神官は、女性でした。彼女がキラチトリだということはあり得ますか?」

「可能性はおおいにあるな。キラチトリ以外の神官の家系では、女に神官の教育は施さん」

「キラチトリが王国支持派の側にたって策謀しているのはおかしくはない?」

「おかしいように思えるが、キラチトリが王国支持派を利用していると考えられるだろう。王国支持派だとて、この世界を滅ぼし、第六の世界を創造するなどということまでは考えていないはずだ。海外に亡命した王は数年前に老齢で亡くなったが、彼の息子たちや神官家はテパネカに戻ってくることくらいしか考えておらんだろう。あたらしい世界に自分たちの牛耳れる国があると保証されてはおらんからな。なにか適当に言いくるめられておるのだろうな」

 稀梢は静かに思いあぐねるふうに一呼吸置いた。

「……私にはキラチトリの目的が分からない……キラチトリだって、新しい世界での特等席が確保されてるとは限らないんですから……と思っていたのですが、もうひとつ思い出したことがある。シワトルさんの母親の遺体が、墓から掘り返されて盗まれていた、という情報があるんです」

 アタカウカ将軍が、「ほう」と片眉を上げた。

「それを聞いた時は、シワトルさんの置かれていた状況から、単に彼女の母親も村人に忌まれ、それで遺体を掘り返されて、どこかに捨てられたんじゃないかと思っていたんですが、もしも……そう、もしもこの遺体泥棒が王国支持派の犯行で、ほかにもキラチトリの遺体が盗まれている事実があったとしたら、どうでしょう?」

「キラチトリといえば、ケツァルコアトル神と冥界ミクトランの骨による人類創造、か」

「神様を復活させて世界をやり直そうとしてるのが正しいとすれば、キラチトリの骨で六番目の世界の人類を創造する、つまり、六番目の世界は現生人類を滅ぼし、キラチトリのものとする……これだってあり得ないとはいえないんじゃないかな――と。もちろん、この世界を破壊して、六番目の世界を創造するってところからして、私にはいまだに信じ切れていないんですが」

 それはだれしもそうだろう。

 よほどの狂信か、なにか動かぬ事実を目の当たりにして、確認している者にしか信じられぬ地平の話だ。

「キラチトリ……いったい、どういう人々なんでしょうね。『まだこの世界には通婚ですら可能な人類の近縁種が残っている可能性だってあるんじゃないかって、夢想することがあるよ。』と、レオニードさんがこのまえ仰ってましたが。私はそういうことを語る人が嫌いではありませんが、それでも彼の言葉は夢見がちだと思ってました。でも、……キラチトリ、もしかすると人類の近縁種なのかもしれませんね」

 稀梢が目を細め、なにか見極め切れないものを見ようとするかのような表情をした。

 アタカウカ将軍もまた、ふ、と溜息を吐く。

「レオニード殿か、いちど会ってみたいものだな」

「ところで将軍、私はそろそろ本来の予定に戻ってブラジルに行こうと思っておりまして」

 唐突に稀梢は話を変えた。態度こそ、それまでとまったく変わらぬように見えるが、どことなく口調が逃げ腰になっている。

「おや、貴殿は我が国に祭祀を見学にし来たのだろう? これから起こる最大級の祭祀を見物しないと言うのかね?」

「いやあ……たしかに気にならないと言えば嘘なんですけど、なんというか、命がいくつあっても足りないような気がしてまして」

「あ、なんだよ、一緒にレオのやつ助けに行こうぜ」

 オリエがようやく飲み終わったカカオジュースの杯を床に置いて唇を尖らせた。

「そうしたいのはやまやまなんだけどね、オリエさん。正直、このあとの展開で私が何かの役に立てるような気がしないんだよ」

「そう謙遜することもないぞ、ホウ殿。と……それはそれとして、ホウ殿の持っているパスポートが偽造ではないかという懸念がでておってな。まあ儂としては恩のあるホウ殿のこと、よもやそんなことはないはずと思い、握りつぶす気でいるのだが、いま出国するとなると、ブラジルのほうに一報、入れておかねばならんかもしれんな」

 にやりと笑みを浮かべてアタカウカ将軍が言った。

「……昨日、私は『これから話す内容にテパネカ共和国の法律に抵触する部分があっても不問に付す』という約束を取り付けてあったはずですが」

 稀梢は優雅な微笑みを浮かべて、やんわりと抗議する。

「パスポートのことは別だろう? これは貴殿の入国に関する疑念で、昨日、ホウ殿が話した内容には含まれておらんぞ」

 稀梢はふう、とおおきく溜息をついた。

「これだから権力者はきらいなんですよ。パスポートなんて、私にまっとうな手段でとれると思います? 単に長生きをしてるせいでいろいろ不便なんですよ。それだけです。ここ数百年、犯罪で検挙されたのだって一度もないのに」

「え! そりゃ凄い! あんたも人間殺してるんだろ? オレなんか、指名手配かかってるぜ。こっちの警察がのんびりしてるから捕まってねえだけで」

「そりゃ、準備とか後始末とか、きちんとやってますから! あっちこっちで人間の中身吸いまくって死体を放置するあなたとは違うんですよ!」

 軍を含め、警察権力をもそれなりに握っている人物を前にしてしゃべるにはなかなかきわどい話だが、そのあたりのことはあまり考えていないだろうオリエはともかく、稀梢はもうやけっぱちになっているようだ。

「まあ、今の話は聞かなかったことにしておこうか。それにな、もしも世界の破壊が目的なのだとしたら、ブラジルどころか本国に帰ってもその災禍は免れんぞ。で、ホウ殿、おそらく我が国始まって以来の大祭祀。儂は残念ながらこの祭祀を違法な人身供儀を行っている疑いで取り締まらねばならん立場だが、貴殿は見学を希望されるかね?」

 稀梢は心底……そう、つねひごろから表情を取り繕っているいつもの彼からは考えられないような、苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「――輸血用の血液って、ここにありますか? 四百CCくらい……可能なら倍、分けて欲しいんですが。はやいところ、左腕生やしておきます」

 それだけ言うと、稀梢は葦の籠椅子に深々と背を預け、残っている右手でこめかみを軽く揉んだ。

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凄餐の祭壇 翼ある蛇と煙る鏡 宮田秩早 @takoyakiitigo

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