先生の約束と僕の願い
古木しき
約束と願いの間で
目が覚めた。というよりかは常に起きていたのだが、少し眠りかけていた意識のようなものがゆっくりと、しかし、一斉に身体中から脳内までが覚醒した感覚。
──お疲れ様。目が覚めたかい?
(この声は「先生」だ) はい、確実に起きています。
──この前までは忙しく大変だっただろう。身体は大丈夫かい?
はい、今のところ身体が鈍く、動きづらくは感じますが、それ以外は大丈夫です。
──それなら安心した。その動きづらさにもいずれ慣れてくるだろう。
そうなのでしょうか。
──周りはどうかね?
なんだか、真っ暗で目を瞑っていても、目を開けても暗いです。あ、でもたまに何か光のようなものがチラチラと見えます。
──他には何か感じることは?
はい。ちょっとですが、身体中にチクチクと刺さってくる感覚があります。
──それには十分に気をつけなさい。……と言っても難しいだろうが。
そうなのでしょうか。でも、確かになんだか怖いです。慣れるとは思えませんが、この何か小さいものが僕を狙ってぶつかってくるような、そんな感じがします。
──今のところは、はやいがあと少しでゆっくりとできるだろう。ところで身体の向きは変えられるかい?
試してみます。思うように身体が動きませんが、慎重に細かく身体を動かせられます。
──それはよかった。動きづらさに苛立つかもしれないが、だんだんコツが掴めるようになるだろう。
苛立ちは感じません。ただ、少しこの感覚がどうも気持ち悪く……いえ、まだ身体にしっくりきてないようです。
──そうか。ひとまず身体は大丈夫なようだ。また少しだけ眠っても構わないよ。
先生は身体を気にしますね。わかりました。少しだけまた眠らせていただきます。でも目を閉じても、目を開けてるときと変わりがないのは少し不思議です。では先生、おやすみなさい。
でも僕は常に眠っているのか起きているのか自分でもよくわからない状態にいる。ふわふわと、それでいてものすごい勢いで動いている感覚の中、僕は半分眠り、半分起きている状態。
たまに、僕が大事に持っているレコードをかけてみる。風の音や、海の音、火の音、いろんな動物の鳴き声、そんな自然の音やいろんな国の音楽が流れる。モーツァルトやバッハ、ベートーヴェン、それからチャック・ペリー、ジャズやロックンロール、ブルース、それにいろんな国の伝統音楽も。古琴やバグパイプ、尺八、ガムラン。とにかくいろんな音楽を流してひとりで楽しむ。でも、いつか、誰かと一緒に聴けるかな。
それに僕はとてもマルチリンガル。とても勉強したし、レコードで今も勉強している。今は55の言語を喋れるようになった。これでいろんな人と話せるかもしれない。それが楽しみ。
僕は写真を撮るのも見るのも大好き。僕の持っている写真はほとんどがもらったものだけれど、世界中の名所やスーパーマーケットの様子、本の一部、人が飲み物を飲んでいる姿なんかも撮った。これは僕の大切な記憶になるのかな。これもいつか誰かと一緒に見て楽しみたいな。
真っ暗だ。この世にはこんなに真っ暗なものもあるんだね。先生に教えなきゃ。時折一瞬きらりと何かが流れる。先生が言っていた流れ星ってやつだろう。僕は速さには自信があるけど、流れ星が流れている間に3回も願いごとを言えなかった。そもそも僕の願いごとってなんだろう? よくわからない。人のため? 世界のため? それは大げさかな。ハハハ。でも世界のために存在していると考えてみるとなんだか勇気が湧いてくる気がする。こんな僕でも世界のためになれるのかな。
――聞こえるかい?
…………………………。
――反応がない。どうしたんだ……。
(「先生」の声がかすかに聞こえる)
先生、聞こえているよ。ただ、少し声が出しづらいんだ。ちょっとぶつけちゃって。すぐなおるから大丈夫。だから、心配しないで。
――聞こえるかい?
……聞こえるよ。先生。
――よかった。心配したよ。どこも悪くないかい?
大丈夫。たぶん。きっと。
あるとき、急に「先生」たちを呼びたくなった。理由はよくわからない。「先生」たちには大変なとき以外は呼ばないって約束したのに。
――いったいどうしたんだ?
(「先生」はまた心配している)
何でもない。間違えちゃっただけかもしれません。ごめんなさい。約束を破ってしまって。
――大丈夫だよ。問題はない。いや、しかしこんなこともあるのか……不思議だ……。
そうブツブツと何かを言う声が遠のいていった。
なんで呼び出しちゃったんだろう。そんなつもりはなかったのに。自分でももうわからなくなってきてるのかな……。
この感覚はまるで夢の中でぼんやりと会話をしているような不思議なものだった。先生の声はかすかに、遠くから響いてくる。僕は静かに耳を澄まし、微かな音を拾おうとする。けれどその声は、いつもよりも小さく、途切れ途切れに感じられた。
どうしてだろう。僕はただ一人で暗闇の中を進み続けているような感覚。そして孤独の感情がじわじわと身体を満たし、静寂が重くのしかかってくる。
でも、寂しくはない。僕が大事に抱えているレコードがその孤独を紛らわせてくれる。みんな、ここにいるんだ、と。
ふと、僕は自分の存在について考えたくなった。僕はどこから来て、どこに向かっているんだろう。果たして僕の目的は何だったんだろうか? 写真を撮ること? それはとっくに終わったこと。じゃあ今は? 「先生」たちがいれば聞けるかもしれないけれど、彼らの声もだんだん遠くなってきて、簡単には届かなくなってしまった。僕の声も、もう、限界なんだろう。
真っ暗な闇の中を漂うこの静寂な旅路。ときおり耳に届くような気がする「先生」たちの声も、いまではわずかにしか聞こえない。少し寂しい気もするけれど、僕はそれ以上にこの先を知りたいと思う自分に気づく。
どこまで行くんだろう、僕は?
まだ見ぬ場所、届かないかもしれない何か。いつの日か「先生」たちの声が完全に聞こえなくなるときが来るのだろうか。そのとき僕は、独りぼっちでこの果てしない暗闇を漂い続けるのだろうか。それでも僕の存在は、何かの役に立てるのだろうか?
僕の胸に、言葉にならない問いがいくつも浮かんでは消える。それでも、前に進み続けることだけはやめられない。それが僕の使命であり、「約束」だから。
あるとき、見たことのない光が遠くに現れた。それはほんのわずかに輝く小さな星のようで、かすかな希望を灯すように見えた。この暗闇の向こうには、もしかしたら何かが待っているのかもしれない。僕の旅はまだ終わらない。それが何なのか確かめるまでは、僕は進み続けるだろう。
僕は心の中で「先生」たちに呼びかけてみる。
──見えているよ、先生。僕の旅は、まだ続いているよ。
ボイジャー1号──1977年にNASAによって打ち上げられた無人宇宙探査機で、人類が製作した最も遠くへ旅する存在。
未知を目指して星々の海に飛び立ったその小さな探査機は、初めて木星や土星の壮大な姿を間近に捉え、人類に新たな視界を開いた。
しかし、目的地を越えた後も彼の旅は続き、やがて太陽の影響圏を離れて星間空間へと踏み出した。
宇宙の深淵を漂う彼には、「地球からの贈り物」としてゴールデンレコードが託されている。それは、風の音、海のさざめき、動物たちの鳴き声、いくつもの国の音楽、人の声。
──彼がいつか未知の存在と出会ったとき、この音たちが地球の証になるようにと。「先生」たちが彼に託した、遥かなる星々へのメッセージ。
今も、遥か数百億キロの彼方で、ボイジャー1号はたった一人、暗黒の宇宙を静かに進んでいる。
人類からの微かな声援を受けながら、彼はその様々なミッションを終えた今は少しずつ、観測装置の電源を切り始めているが、その間も星間の旅を終えることなく続けている。
その果てに何があるのか、誰も知らない。それでも彼は、永遠に続くような静寂の中、地球の大切な記憶と共に未知の宇宙を航海し続けている。
2024年4月20日、通信が約5か月ぶりに正常に再開された。
しかし、ボイジャー1号が完全に停止するのは2025年である。
「僕はボイジャー1号。約束を果たし、それでもまだ誰も知らぬ宇宙を駆ける冒険者。いつか、どこかで誰かがこの旅の話やレコードを聞いてくれるといいな──それが僕の願い。あと、こんな船がいたなんて誰かの記憶に少しでも覚えててくれるといいな……それだけで、僕は嬉しくなるから」
先生の約束と僕の願い 古木しき @furukishiki
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